第8話:予期せぬ出来事

『キッ』


 夜十一時、軽いブレーキ音を響かせて、GTRは主要道路から外れた細い山道の道沿いにある建物の前に停車する。ナイラグル・ニイガタ州の警察と追いかけっこをしてきたGTRは『チン……キン……チン』と泣き声を上げて、エンジンを冷やし始めた。


 〝ソーサラー〟はGTRを降り、目の前の建物を不思議そうに見つめる。コンクリで出来た建物に木でデコレートした古ぼけた建物だが、広い。大きさはワインディングロードの3倍はある。


「? ここは?」

「少し休憩していくぞ」


 GTRを降りた〝ドライバー〟はそう言うと建物の中に入って行く。〝ソーサラー〟は不思議そうな顔をして、〝ドライバー〟について行った。


   ◇


「うわあああああ! これ全部食べていいんですか?」

「ああ、今回は慌てる必要もないからな。ゆっくり食べろよ」


 〝ソーサラー〟の目の前には初めて見るペレログ・ナガノ州=長野県特産の〝ソバ〟と呼ばれる麺類と、カレーライスの大盛りが並んでいる。〝ドライバー〟のチョイスは〝ワインディングロード〟でも提供しているカツ丼だ。


「でもここ、なんの店なんですか? レストランじゃないし、ダイナーでもないし……」


 〝ソーサラー〟は怪訝そうな顔をして、店内を眺める。


 確かにその建物はエスサァリイ・トウキョウにある外食系のレストランとは雰囲気が違う。入り口付近にはその土地の名産品を土産物で売っていたり、自家栽培の野菜や果物を関税を掛けずに闇で売っているのも見える。


「ああ、ここは〝ドライブイン〟だ」

「〝ドライブイン〟?」

「まあ、取り敢えず食べようぜ。ソバが伸びちまうし、冷めちまう」

「ハイ! いただきまーす」


〝ソーサラー〟はそう言うやいなや、ソバに取り付いた。見慣れない山菜が乗ったソバだが、箸を器用に使って一口すする。


「……美味しい!」


 目を輝かせた〝ソーサラー〟は、『ズーッ』『ズーッ』『ズーッ』と三啜りぐらいでソバを全て啜ると、『ゴクゴクゴク』と汁を飲み干す。その食べっぷりを、〝ドライバー〟は唖然として見つめていた。


「おかわり! 今度は……この〝山菜の天ぷらソバ〟で!」

「す、すごい食べっぷりだな……〝ソーサラー〟」

「美味しいものはいくらでも入ります! ……でも何で最初に全部頼んじゃダメなんですか? 待つ時間がメンドクサイじゃないですか?」

「全部頼んじまうと、食べている間にソバが汁を吸って伸びちまうし、冷めちまうだろ? たくさん美味しく食べるなら、面倒くさくても食べ終わってから頼むんだ」

「それもおぢさんの知恵ですか?」

「知恵って云うより、マナーだ。美味しいものを美味しく食べるため、のな」

「ふーん」


 〝ソーサラー〟はそう言いながら、カレーライスに取り掛かった。


「おまちどう様」


 店員が再び山菜の天ぷらソバを持ってくる。〝ソーサラー〟の顔が再び輝いた。


「ここ、どの辺なんですか?」

「ナイラグル・ニイガタ州(新潟県)とペレログ・ナガノ州(長野県)の州境あたりだ」

「何でこんなお店があるんですか?」

「〝ソーサラー〟みたいに魔法で荷物を小さく出来なかった頃は、大きなトラックで荷物を運んでいたんだ。それこそハイウェーが無かったころは、何日も掛かってな。そうするとお腹もすくし、休憩も必要だろ? そういうドライバーのための〝ドライブイン〟だったんだが、その後の時代……自動車が爆発的に増えた時代、ドライブを楽しむ人が増えた。〝ドライブイン〟は運転をするドライバーたちの食事と休憩のための憩いの場に成っていったんだ」

「ふーん……じゅるじゅる」


 ソバの汁を啜りながら〝ソーサラー〟は興味深そうに聞いていたが、突然不満そうに顔を膨らませた。


「何で今まで連れて来てくれなかったんですか、こんなおいしいところ! 隠してたんですか!?」

「悪い悪い、そういうわけじゃないんだ。ほら、いつも時間制限があるから余裕ないだろう? ……それにここはちょっとつらい思い出とかあってさ……」

「つらい思い出?」


 〝ドライバー〟の思いがけない言葉に、〝ソーサラー〟は思わず身を乗り出す。


「ああ、まだこの仕事を始める前……ある女性と来た」

「その女の人を、また泣かしたんですね!」


 〝ソーサラー〟は半分茶化したように言ったが、〝ドライバー〟は真剣だった。


「ああ、どうしても言えないことがあってさ……何か隠しているのには、向こうも気付いたみたいだったけれど、何も言わずに一緒に居てくれた。でもどうしても隠して付き合うのが辛くなっちゃって……だから別れたんだ」

「へえ……」


 〝ドライバー〟の珍しく真剣な顔を見て、〝ソーサラー〟は感心したように言うと、まじまじと〝ドライバー〟の顔を眺める。いつも飄々として冗談を飛ばし、人の裏をかいているこのおぢさんの意外な一面を見て、少し驚きもした。


「その女の人って、どんな人だったんですか? キレイな人でしたか?」

「ああ、とても綺麗だった。色白でスマートでよく笑う子だった。この辺は冬には雪が凄い、一緒に雪を見に来たんだ」

「……自慢にしか聞こえません」


 〝ソーサラー〟はふくれっ面で返す。


「雪の中ではしゃぐ彼女は本当に綺麗だった。彼女が『こんな綺麗な世界があるなんて、信じられないわ』って言うのを聞いて思わず言ったよ」

「「君の方が何倍も綺麗だ」」

「ほよ?」


 〝ドライバー〟のセリフに誰かが完璧なハーモニーを被せたのを聞いて、〝ソーサラー〟はソバを啜ったまま、声のした方を見た。〝ドライバー〟の後ろにサマーコートを着てフードを被った、〝ドライバー〟より少し小柄な人物が座っている。


「やっぱり君か、アイリーン」


 〝ドライバー〟は振り向きもしないで、後ろの人物に声を掛ける。


「まさかあなたが、本当にここに立ち寄るとは思わなかったわ」

「君との思い出を大事にしているのさ」

「あたしには辛い思い出よ」

「それについては申し訳ないと思っている」

「……ウソばっかり」

「入って来た時、懐かしい香水の匂いがした。相変わらず着けているんだな、〝タブー〟」


 そう〝ドライバー〟が言った瞬間、後ろの人物が息を呑むのが聞こえる。


「本当に覚えていてくれたのね……」

「その香り、その声、美しく白い肌……君の事は何一つ忘れちゃいないさ」


 〝ドライバー〟がそう言うのを聞いて、その人物は少し俯いて思いを巡らせていたが、ふたたび顔を上げた。


「じゃあ、あなたがあたしに何をしたかも覚えているわね」

「……もちろんさ」

「なら、ここで撃ち殺されても文句は言えないわよね」

「申し訳ないが、まだ殺されるわけにはいかない」

「もう、あたしの銃はあなたの背中に向いているわよ」


 〝ドライバー〟は背中に何かがグイッと押し付けられるのを感じてふと見ると、右の背中に後ろの人物が背中越しに銃を押し付けているのが見える。


「悪いな、オレももう、君に銃を向けているんだ」


 いつの間にか〝ドライバー〟は後ろの人物の右わき腹にルガーを向けていて、判らせるようにグイッと押し付ける。


「キャッ!」


 ルガーの銃口に敏感なところをつつかれたその人物は、軽い悲鳴を上げて椅子から飛びあがり、天井から吊るされた馬車の車輪で造られたシャンデリアの上に飛び乗った。


「相変わらず、抜け目がないわね……敵わないわ」


 シャンデリアの上の人物は、コートを脱ぎ捨てる。派手にウェーブの利いた前髪を、額から生えた雷獣の角がきれいにかき分け、そそり立っている。


 長いワンレングスのストレートの髪が、パッドでいからせた肩に掛かっている。体のラインがぴちっと見える虎の皮で出来た縞模様の入ったボディコンスーツに先端が尖ったエナメルの靴、長く伸びたまつ毛とビシッと入ったアイラインがシャープな顔を引き立てている。その美しい姿のまわりは、溢れんばかりの電流がほとばしっていた。


「〝適合合体〟したのか……」

「昔のあたしじゃあ、あなたに敵わないから。……戦場で雷獣に出会った時、〝サイン〟が出たの。強くなるのに必死だったあたしは躊躇わなかったわ……あなたより強くなれるならね」

「相変わらず惚れ惚れするね……その潔さに」


 〝ドライバー〟はアイリーンの姿を、少し悲しさをにじませた目で愛おしそうに見上げた。

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