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「地元でとれた銘柄米を使用しております」

 ざらりとした和紙でできたメニュー表。その隅に書かれた表記を見て溜息をつく。昨晩のチェックイン時に朝食を選んだのだが、和食なんかにしなければ良かった。

 高級旅館にしては珍しく共同の朝食会場だが、他のテーブルと間隔が空いている上に衝立ついたてまであり、何だか殿様のような気分になる。目の前は一面ガラス張りになっており、日本庭園の池で泳ぐ錦鯉達が優雅に背びれを動かしていた。

「谷原さん、糖質制限でもしてるんですか」

 目の前でバクバクと米を食べる安川が不思議そうに言う。

 カボスが添えてある鯛の塩焼き、その場で豆乳を沸かして作る湯葉、軽い食感の山菜の天麩羅、朝から豪華すぎるおかず達には箸をつけたのだが、アサヒカリには全く手が伸びない。

「年取ると色々大変なんだよ」

 昨日の話を教えてやろうかとも思ったが、雷の下りから話し始めたら、おそらく信じてもらえないので止めた。

「へぇー、ていうか昨日なんで大浴場来なかったんですか? サウナで待ってたのに全然来ないんで、ヘロヘロになりましたよ。糖質制限するくらいなら、サウナ入って汗流せば良かったのに」

「そうだな、大人しく行っとけば良かった」

 心の底からそう思う。そうすればあんなもの見なくて済んだのだ。

 あれから、遅くまで日置と話していた。アサヒカリの下りでは吐きそうになったが、何とか昨日聞いた話を全て彼女に伝えた。今日は本格的に調査をするということで、町中を見て回るのだという。正直何が彼女を突き動かしているのか分からない。仕事なのか、興味本位なのか。

 仕事だとしたら、警察の心霊対策部署みたいなものがあるのだろうか。

 国民には知られず、陰ながらああいったものと戦う特殊な人達がいて、我々は守られている。そう考えるとわくわくするが、同時に馬鹿らしくなった。同じ官僚としてそのような秘密が保持できないことは理解しているのだ。実際そんな部署があったら、すぐ白日の下に晒されて、なぜ隠蔽してたか新聞やテレビ、挙句の果てには国会で徹底的に追及されるだろう。

 再度メニューに目を落とすと、朝比養鶏場からの卵とある。食べ方を選べたので目玉焼きにしたのだが、安川は卵かけご飯にして食べている。幸せそうにかきこんでいるが、全然羨ましくない。

 手もとの茶碗に盛られたアサヒカリを見る。例の棚田で獲れるものは収穫量が少ないので、恐らく違うだろう。それでも無理だ。

 あの亡者——降ってきたものの特徴を聞いて日置がそう名付けていた。

 亡者を栄養として育つのだろうか?

 豊穣の神の正体が亡者なのか?

 分からない情報が多すぎる。日置が調べたくなる気も分かるが、それは実物を見ていないからだ。

 好奇心は猫をも殺す、という諺がある。昔からイギリスでは、猫は九つの命を持ち容易に死なないと思われていた。ただ過剰な好奇心を持ってしまうと、その猫でさえもあっけなく死んでしまうという言葉らしい。日置には調査に同行してほしいと誘われたが、自分の命は一つしかないためきっぱりと断った。

「あ、ここにいた。谷原さんおはようございます」

 目玉焼きをつつきながらぼんやり考えていると、突然声をかけられる。

 振り返ると、私服姿の日置玲奈が立っていた。昨日は座っていたので分からなかったが、顔立ちの割には身長が低く、意外なギャップである。肩掛けしたデニムジャケットにボーダーのTシャツ、サラっとした黒いパンツがとても似合っていた。

「部屋に行ってもいなかったので探しました。私は部屋食だったので、こういう会場あるのを知らなくて」

 目を丸くしている自分と安川を置いて、淡々と一人で話し続ける。そういえば、日置の部屋は間取りが異なっており、広い角部屋だった。恐らく宿泊コースの値段によって食事のとり方が違うのだろう。

「昨夜は断られてしまったのですが、改めてお願いに来ました。あなたが必要です。付き合ってもらえないでしょうか」

 色々と誤解を招きそうな表現に言葉が出ない。

 昨日の夜に何があったんですか、という安川の視線が横顔に痛いほど突き刺さってくる。さてどうやって説明しようか、頭を抱えた。

「ああ、すみません。言葉が足りていませんでした」

 困惑する二人の様子を見てか、ばつの悪い表情をする日置。

 空いている椅子に座り、安川に一から説明を始める。

 だからあんなに顔が真っ青だったんですね、納得したように部下は頷く。半信半疑という感じはあったが、御幣を見た時のビビり具合で何かあったことは信じてもらえた。昔から感情が顔に出やすい方だったが、こんな時に役立つとは思わなかった。

 ちゃっかりと注文したコーヒーを啜りながら、日置が続ける。

「調査をするに当たって、町長や議長を知っている谷原さんがいると色々助かるんです。自分勝手な理由だと思いますがお願いします」

 だから必要と言ったのか。流石に一晩経って恐怖は薄れてきているが、昨日会ったばかりの人間に付き合う義理はない。

 それに今日は土曜日だ。

 午後からの沙耶のテニススクールには間に合うと思っていたが、訳の分からない調査に付き合ったら、今日中に帰れるかでさえ定かではない。それに大きな疑問が残っている。

「何で日置さんはそこまでして調べたいんですか、動機を教えてください」

 心霊対策の部署が存在する可能性は万に一つもない。

 そうなると通常捜査の延長線上ということになる。熱心な刑事であれば休みをとってまで調査をするのかもしれないが、自分に同行する義務はないはずだ。

 仕事なので、という返事を期待して、断ることを前提に質問を投げた。日置は一瞬、目を伏せた後に口を開いた。

「亡者の匂いを感じた被害者というのが、実のめいだからです」

 再び目線を上げた時、彼女の両目は冥い怒りに満ちていた。

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