34

――突き刺さったランスからは血がゆっくりと流れている。


腹をつらぬいたのだ。


肉を裂き、骨を折り、内臓はズタズタになっているはずだ。


どんな人間でもこれ以上戦えない。


しかし、そんな重傷の相手にひるんでいるのは、槍を刺したアレクサンダーのほうだった。


「人間にしてくれただと……? 貴様、一体何を言っている? 気でも狂ったか?」


訊ねられたラースは、口の中にあふれれてきた血をペッと吐き出した。


痛みでそんな余裕などないはずなのに、彼は敵に笑みを返す。


苦痛で動けないはずなのに、、両手で掴んだランスを握りつぶしていく。


「狂った……そうかもな。俺は不覚にも、そこで寝ている底辺冒険者だった女にかされたんだよ」


「自覚があってもなおそう言うか……。口では悪く言いながら大した心酔しんすいぶりだ。余程よほどたらし込まれたらしい」


「あぁ……俺は、この女に首ったけだ……」


ラースは苦しそうにしながらもまだ笑っている。


アレクサンダーは槍を引き抜こうとするが、やはりラースが物凄い力で掴んでいるため抜けない。


どこにこんな力があるというのか。


腹に穴が開いている状態で、どうしてこんなことができる?


アレクサンダーが嫌な汗をいていると、ラースの体に刺さった槍がくだかれた。


いや、力づくで握り潰したといったほうが正確せいかくだ。


「ぐッ!? 貴様、私の槍を破壊するのが狙いだったのか!?」


「ついでだ、ついで……。偶然、腹に槍が刺さったから、壊しておくかってなもんよ……」


ラースはニカッと白い歯を見せると、アレクサンダーは慌てて距離きょりを取った。


すぐに腰に帯びた剣を手に取り、敵が向かって来るかと警戒する。


だが、ラースは笑みを浮かべたまま動かない。


その場から一歩も動くことなく、ただ立ち尽くしている。


まだ何かを狙っているのか?


ラースの怪我を見れば、絶対的に優位なはずのアレクサンダーだったが、彼に油断はない。


自慢の槍こそ破壊されたが、武器ならばまだある。


いくらラースが向かってこようと、今の奴など恐るるに足りない。


「後は頼んだぜ……。俺はしばらく寝るからよぉ……」


離れたところから身構えるアレクサンダーの前で、ラースはゆっくりと前に倒れた。


バタンと派手に倒れ、そのまま両目をつぶっている。


杞憂きゆうだったかと、アレクサンダーが胸を撫で下ろしていると、前のめりに倒れたラースに女が近づいてくる。


それは黒髪のショートカット女――シグリーズ·ウェーグナーだった。


「ラース……ありがとう。ゆっくり休んでね。あなたが起きるまでには、全部終わらせておくから」


シグリーズは屈むと、眠っているラースに手をかざした。


その手からは光が現れ、ラースの体を包んでいく。


腹に空いた穴がふさがっていく。


この輝きは回復魔法ヒール。


アレクサンダーは、その奇跡のような光景に目を奪われていた。


やはりここまでの効果を持つ回復魔法を使える者など、カンディビア全土を探してもいない。


「そこまで力があるのか……。やはり貴様はなんとしてでも我が国へ連れて行く!」


「さっきからそればかり口にするから、あなたにも何か事情があるんだろうけど……」


立ち上がったシグリーズは剣を構えた。


アレクサンダーも剣を握り直し、二人は向かい合う。


「この戦争はもう終わらせる……。もちろんデュランフォード軍の勝利でね。それが私の仕事だ」


おろかなり、シグリーズ·ウェーグナー。貴様の剣では私にはかなわん。大人しくゲルマへ来てもらおう」


アレクサンダーが言葉を返したのと同時に、ガキンという金属がぶつかり合う音が鳴りひびいた。


重なる二本の剣。


鍔迫つばぜり合いの形となり、シグリーズ、アレクサンダー両者の視線が交差する。


「やっちゃえシグ! 強いだけじゃダメだってことを、カミナリ野郎に教えてやれ!」


倒れているラースの頭の上からアルヴがわめいている。


声を張り上げている妖精を見たアレクサンダーは、やはりシグリーズには何か特別なものがあると、あらためて思っていた。


妖精はけして人にはなつかない。


長いカンディビアの歴史の中でも、妖精と心を通わせられるのはエルフ族だけだと子どもでも知っている。


そもそも妖精の姿は、特定の人間にしか見えないのだ。


アレクサンダーは以前にも妖精を見たこともあって、アルヴの姿を見ても驚きはなかった。


しかし、彼は確信する。


シグリーズ·ウェーグナーは選ばれし者であると。


彼女の力さえあればゲルマ国を救えると。


「デュランフォード国の現王、ラース・デュランフォードは言っていた。貴様に人間にしてもらったと」


アレクサンダーは互いに剣が重なり合った状態で刃を押しつけ、シグリーズを強引に後退させる。


そして彼女と距離ができると、剣に魔力を込めた。


アレクサンダーの得意技である魔法を纏わせる技――雷撃は、ランスでなくても当然使える。


「最初に耳にしたときは気が狂ったのかと思った。好いた女に入れ込むあまりの狂人の戯言たわごとだとな」


剣に稲妻いなづまがほとばしる。


その刃は、雷鳴をとどろかせながらシグリーズへと向けられる。


「だが、それでもあながち戯言ではないのかもしれん。なぜならば私もまたラース・デュランフォードほどではないにしても、貴様への興味が尽きない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る