32

ミドガルズオルムは、うねうねと這うように動き出すと、ラースとシグリーズを見据えた。


見ていると石にでもなってしまいそうな、まさに獲物を狙う蛇の目だ。


そして、周囲を自分の長い体でおおい始めた。


逃がすまいと二人を囲み、岩のように大きな頭を振って襲いかかってくる。


ラースとシグリーズはその一撃目をなんとか避けた。


しかし、シグリーズは避けただけで血を吐き、その場にくずれてしまう。


「シグ、シグ!?」


空に逃げていた妖精が、シグリーズのもとへ戻ってくる。


子どものように泣きわめきながら、早く逃げるように言葉を吐き続ける。


「だ、大丈夫だよ、アルヴ……。私は女神ノルンから加護を受けた選ばれし者なんだから……こんなことくらいで負けない」


「シグ……」


シグリーズはアルヴと呼ばれた妖精に向かって、苦しそうにしながらも微笑みを返し、立ち上がった。


その様子を見ていたラースは思う。


なぜ笑う?


どうして立ち上がる?


もう限界のはずだ。


ただでさえ弱いくせに敵を助け、そのうえでまだ強がるのか。


幼い頃から神童しんどうと呼ばれ、その恵まれた体格と地頭の良さで、できないことやわからないことなどなかったラース。


しかし、そんな彼でもシグリーズのしていることは何一つ理解できなかった。


最初に村の人間から金を巻き上げているところを割って入ってきたときは、どこにでもいる正義感ぶった奴だと思った。


冒険者の中には、たまにそういう人間がいる。


そんな人間はいくらでも見てきた。


それでもそういうタイプの人間は、少し痛めつけてやればすぐに引っ込むような情けない奴ばかりだった。


今回だってそうだ。


この女の化けの皮をがしてやろうと、力無き善意ぜんい偽善ぎぜんだと、教えてやろうとした――はずだった。


「うおぉぉぉッ!」


ラースは体が勝手に動いていた。


シグリーズを担ぎ、アルヴを手で掴むと突然走り出す。


周りを囲むミドガルズオルムの体を飛び越え、むちのようにしなる尻尾しっぽを振り払い、一刻も早くこの場から去ろうと駆けていく。


「なんなんだよ急に!? 一体なんのつもりだ、お前!?」


「俺だってわからねぇ! 意味が知りてぇんならテメェで考えろ!」


驚くアルヴにラースは怒鳴り返した。


なぜこの女を助けようとしているのか、自分自身でもよくわからない。


死にかけのシグリーズを見捨てれば助かる確率は上がる。


責任などない。


義務などない。


義理などはもっとない。


敵である自分を勝手に治療したこの女の自業自得だ。


だがどうしてだか、ラースにはシグリーズを放っておくことができなかった。


そして、なんとかミドガルズオルムの包囲から逃げ出すことができたラースに向かって、空から白い鳥が飛んでくる。


鳥がわざわざ蛇神へびがみが現れた場所に来ることに違和感を覚えたが。


魔物ではなさそうだとラースが思っていると、手ににぎっていたアルヴが無理やりにすり抜けた。


「メル!? どうしてここに!? えッ? そっか、ドルテが近くに来てるんだね」


白い鳥はユラの街にあるドルテの酒場の女店主ドルテ·ワッツの飼っているはと――メルだった。


どうやらメルは、アルヴたちに伝言があるようでクルックーと鳴きながら何か伝えている。


「お前、鳥としゃべれるのか?」


「いいから、このまま真っ直ぐ走って」


「説明しろよ。他人の意見を聞こうってんだ。わけわかんねぇまましたがいたくねぇ」


「疑い深いヤツだなぁ。じゃあ言うよ。この先に、あたしたちを助けてくれる人がいるんだ」


ラースは耳を疑った。


その助けてくれるという人物は、相手がミドガルズオルムだとわかっているのか?


後ろから追ってくる巨大な蛇の魔獣は、並の冒険者など何人いても歯が立ちそうにない。


そんな強い奴がこの周辺にいたのなら、自分の耳に入っていそうなものだが。


ラースは、いまいちアルヴの言うことが信用できなかった。


「とても信じられねぇが、最悪そいつをおとりにして逃げるか」


「最悪なのはお前だ! ふん。お前は勝てないと思っているみたいだけど、ドルテはホントに強いんだから」


「ドルテだと? ただの酒場の店主が化け物に勝てるはずねぇだろ」


「信じないならそれでいいもーん。ドルテは絶対に勝つもん」


助けてくれるという人物がドルテだと聞き、ラースは酒場の店主に何ができると鼻で笑い、とりあえず全力で走り続けた。


もしミドガルズオルムに追いつかれたら、自分はまだしも、毒におかされているシグリーズは確実に死ぬだろう。


それにこの辺には、逃げ込める場所などない。


だったらダメで元々、ドルテに賭けてやる。


そう思いながらひた走った。


「いた! ドルテだよ!」


言われた通りに真っ直ぐ駆けていると、赤毛にエプロン姿をした妙齢の女性が見えてきた。


ドルテ・ワッツだ。


ラースは彼女の姿を見て、自分の目を疑う。


なんとドルテは防具も身に付けず、さらには手に武器も持たず、ほうきを肩に担いで立っていたからだ。


やはり他人などあてにするものじゃない。


掃除用具であの蛇神が倒せるものか。


ラースは落胆し、予定していた通りドルテを囮にして逃げる作戦を決行しようとした。


そんなラースを見たドルテは、煙草たばこに火をつけて、口から紫煙しえんを吐き出しながら言う。


「よくあいつから逃げられたね。大した脚力だよ、あんた」


「わりぃが、あんたを囮に使わせてもらうぞ。こっちには重症者がいるんでな」


「好きにしなよ。あんたが何をしようが、あたいは蛇退治するだけさ。それとアルヴ。メルのことは任せたよ」


ドルテはそう言って煙草を捨て踏みつけると、ほうきを手にミドガルズオルムへと向かっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る