26

――シグリーズは山道を下っていた。


急な斜面を飛び降りていった老騎士を追いかけて、下から聞こえる激しい金属音を頼りにきりくなってきた道を降りていく。


「オーレさん、よくこんなとこをヒョイヒョイ降りていけたな……」


年寄りとは思えない動きで、まるで野生動物のように山道を下っていったオーレに驚きながら、シグリーズは足元に気をつけて老騎士を追いかける。


ラースのもとへ行くように言われた彼女だったが。


敵に向かっていったオーレを無視できず、自分も戦いの場へと向かっていた。


ざっと見て、追いかけてきていたゲルマ軍は一人で相手ができる数ではない。


幸いなことにこちらは上、敵は下。


地形を利用して二人で戦えば勝てなくても逃げるチャンスは作れるはずと、シグリーズは考える。


それでもその確率はかなり低い。


なぜならばゲルマ軍は、こんな急な斜面の山道を馬で駆け上がってくるような連中だからだ。


しかし、それでもシグリーズはオーレを置いて行くことができなかった。


彼女の傭兵としての仕事でいえば、先ほどゲルマ軍の本陣を落とし、敵の食料を燃やしたことで完了していると言っていい。


後はデュランフォード軍が籠城ろうじょうでも長期戦でもなんでもすれば、食べる物が尽きてゲルマ軍は撤退てったいせざるを得ないだろう。


だが、それでも老騎士を見捨てることはできない。


それは依頼主であるラースに、オーレ·シュマイケルは必要な人間だと、シグリーズが思っているからだった。


オーレのおおらかな性格――。


些事さじにこだわらず常に余裕をもった気質は、この荒れた戦乱の世で自国を照らす光となる。


たとえいくさに勝利しても、そんな人物を失うのは依頼主の損失に他ならない。


「私の実力じゃ役には立たないかもだけど……。オーレさんが傷を負えば治せる……」


シグリーズは、女神ノルンから受けた加護によっていやしの魔法が使える。


その魔法は、長年修業を積んだ魔導士を軽く凌駕りょうがするほどのもので、対象者が生きてさえいればどんな瀕死ひんしの状態でも治すことが可能。


お世辞にも冒険者として強いとはいえない彼女が魔王軍との戦いで生き残れたのは、すべてこの力によるところが大きかった。


シグリーズ本人も忘れ、これまで彼女とパーティを組んだ人間のほとんどが気にも留めていなかった優れた治癒魔法だが。


そのおかげでシグリーズと共に戦った者で、命を落とした冒険者は誰一人としていない。


この功績を誰も褒めないのもあったが、彼女の相棒の妖精アルヴはももっとほこっていいと思っている。


「いた! オーレさんだ!」


けわしい山道を下り、シグリーズはようやく老騎士を発見した。


足場の良い位置へ移動して戦ったのだろうか。


オーレがいた場所は、山道にしては広がっており、普通の道のように平坦へいたんになっているところだった。


両手のガントレットから突き出した剣を構え、微動びどうだにしない老騎士の背中を見たシグリーズは、慌てて老騎士に駆け寄る。


そして、気がつく。


近づいてみてわかる。


オーレのいる平坦な場所には、無数のゲルマ兵士と馬の死体が転がっていることに。


百、二百人はいるだろうか。


死体の欠損が酷くて正確な数はわからないが、馬を入れなくても物凄い数だ。


その血だろうか。


地面は真っ赤な絨毯じゅうたんでもいたみたいに、そこだけ赤く染まっていた。


「オーレさん! 大丈夫ですか!?」


老騎士から返事はなかった。


その全身から血を流し、直立不動ちょくりつふどうでただ前を見ている。


両目は閉じているものの、臨戦態勢りんせんたいせいのままだ。


それでもかすかな呼吸音を感じ取ったシグリーズは、すぐに治癒魔法をかけようと手を伸ばしたが、急に側面から突き出された槍につらぬかれてしまった。


刺さった腹部から全身が焼けるような痛みが走る。


慌てて下がったシグリーズが攻撃された方向へ目をやると――。


「戻ってきたのか……貴様」


そこには眼帯がんたいの騎士――アレキサンダー·ドルフが立っていた。


彼は全身がずぶ濡れになっており、身に付けていた甲冑も脱ぎ捨てている。


だが、自慢のランスと剣だけはしっかりと持っていた。


シグリーズは予想する。


おそらくアレクサンダーはオーレの攻撃で山の下にある川に落とされたのだと。


「せっかくオーレ·シュマイケルが時間をかせいだというのに、これでは老騎士の努力がむくわれんな」


言葉を吐きながらアレクサンダーのランスがシグリーズを襲う。


シグリーズは痛みに耐えながら剣で防ぐが、槍が速すぎてふさぎきれず、今度は肩口を貫かれた。


その衝撃で吹き飛んだ彼女の体は宙を舞い、激しく岩に叩きつけられてしまう。


「浅かったか。しかし、もう動けまい」


アレクサンダーは、岩に背を預けてぐったりしているシグリーズへとゆっくり歩を進める。


息の根を止めようと近づいてくる。


だが、急にアレクサンダーの足が止まった。


その理由は、シグリーズが立ち上がったからだ。


「私の槍を喰らって立つだと? 確かシグリーズと言ったか……貴様、不死身か?」


「冗談のつもり? どこをどう見たって普通の人間でしょ、私は……。ただ、そう簡単に死ぬわけにはいかないってだけだよ」


フラフラとおぼつかない足取りで立ち上がったシグリーズは、弱々しく答えた。


アレクサンダーの表情が険しいものへと変わる。


「あのドルテ·ワッツが傍に置くだけはあるということか……。しかし、次こそ仕留める!」

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