君たちはどう書くのか

いちはじめ

君たちはどう書くのか

 担当の後について重たい足取りで選考会議の会場に向かう合間、先生は逃げ出したくて何か欠席できる上手い言い訳はないものかとずっと考えていた。

 なぜなら、これから月刊雑誌の小説投稿コーナーの選考委員会の委員長として選考会議に出席し、最優秀賞と佳作数点を選ばないといけないのに、何の評価もできていなかったからだ。どうも『偶然』という課題が難解だったようで、満足のゆく作品がなく――それは私の責任でもある訳だが――どうしたものかと思案しているうちにこの日を迎えてしまっていた。

 通された会議室に入ると、既に選考委員全員が揃っていた。室内はなぜかいつもより重苦しい雰囲気に包まれている。

 ――こりゃ今日は荒れるな。

 予想していたこととはいえ、先生はこの先のことを思うとますます足取りが重くなった。

 案内された席にどっかと座ると、先生は選考対象の作品の束をカバンから取り出した。

 雑誌編集者の仁科さんが、緊張気味に開会を宣言した。

「さて、先生も到着されたので、早速第二十四回選考会議を始めたいと思います」

 開会宣言が終わるや否や、二人いる副委員長の一人、山吹さんが発言した。小説家の彼女は、この雑誌社が主催する小説講座の講師も兼ねている。

「今回は課題が難し過ぎたようですね。応募数が普段の六割ほどしか集まりませんでした」

 山吹さんの対面の席に座るもう一人の副委員長の小暮さんが後を継いだ。彼は評論家で、予備選考の責任者を務めている。

「いやいや、数の問題じゃありませんよ。中身が問題です。採点表を見てください」

 採点表には選考対象の作品に対する各委員の採点が記載されている。ここではそれぞれの作品を、五つの項目で採点しその合計点を判断基準の一つとしているが、今回は総じて点数が低く、普段なら予備選考で落選しているような点数のものも含まれていた。

「どれもパッとしないんですよね。そもそも課題をきちんと物語に落とし込んでいるものが少ない」

 山吹さんと反目することが珍しくない小暮さんが、うんうんと相槌を打っている。

「その通り。ま、仕方ないけど……。点数が半分にも満たないものばかりだ。今回は消去法になるのかな」

 皆の意見を聞きながら、先生はいつこちらに話が振られるかと気が気でなかった。

 採点表はいつも先生の欄を空白としている。そうしないと、どうしても先生の採点に忖度した選考がなされてしまうからだ。しかし紛糾した場合には先生の点数が決め手になる。ただ今回は本当に空白なのだ。皆の意見が出そろった後で、安直にそれに従うつもりだったのだ。

 だが困った。選考委員が作品を一つ一つ吟味していくのだが、議論が沸騰するばかりで結論に達しそうにない。

 突然、会議の進行係である雑誌社の立花君が結論を切りだした。いつまでも煮え切らない会議にしびれを切らしたようだ。

「皆さんがどれも納得できないのは分かります。でももう決めましょうよ。一番点数の高いのは四番の作品です。課題の扱いは未熟でも話としてはまあまあ面白いし、これでどうです?」

「それはダメだ。課題をどうこなしているかは重要な評価点だ。未熟なものは選ぶべきではないよ。それに点数が高いのは君が高得点を与えているからだろう。あえて選ぶなら着想がすぐれている八番だろう。この着想は面白いよ」

 山吹さんがすかさず反論した。

「小説ですから着想だけでは……、私は九番の作品を推します。この中では一番バランスがとれてますから」

 むっとした小暮さんが言い返す。

「バランス? そんなこと言っているから君は平凡なものしか書けないんだよ」

「何ですって、小説を書かない人にそんなこと言われたくはありません」

 議論が思わぬ方向に飛び火し、熱くなった二人はほかの選考委員を巻き込んで、喧々囂々の文学論を戦わせ始めた。

 先生の中で何かが爆発した。

「もういい!」

 先生の突然の絶叫に、会議室は一転、潮が一斉に引いたような静寂に包まれた。

 そして先生は、応募作品のタイトルが振られている表紙を次々と引きはがし始めた。皆は、何を始めるのかと固唾をのんで先生に注目している。

 先生はそんなことは意にも介さず、最後の作品の表紙を剥がすと、それらをテーブルの上でトントンと一束にまとめ、皆を見回した。

「いいか、これから私はこれをぶん投げる。そして表になって落ちたものが最優秀作品だ。それが複数ある場合は一番上になったものとする。これで異存はないな!」

 虚を突かれ声も出せない選考委員をしり目に、先生は表紙の束を会議室の空中に放り投げた。

 皆はあんぐりと口を開けたまま、表紙がひらひらと舞い落ちて行く様を目で追った。そして腰を浮かして一斉に床を覗き込んだ。

 にも表になっていたのはただの一枚だけだった。

 最優秀作品が決まった。

 その作品のタイトルは『君たちはどう書くのか』

                                 (了)

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