No.2 重圧(3)《清華》

 ショートプログラムの競技が終わった。


 疲れがドッと出てきていて、もうフラフラになってしまうこともあるんだ。

 最近は浅い眠りになることが多くて寝不足な気がしている。


 ちなみに結果はわたしが一位に、伶菜れいなちゃんが八位、友香ゆかちゃんは十二位になっていた。

 ジュニアの優凪ゆうなちゃんは七位、彩羽いろはちゃんは九位にいる。


「お疲れ様、みんなゆっくりしてね」

「はい」


 東原ひがしはらFSCフィギュアスケートクラブで泊まっているホテルの部屋に入ると、みんなそれぞれ即座メイク落としを取り出している。


 そのなかで衣装を出して、次の公式練習で使うものを入れ替える。


「ああ~。ミスった」

「演技で何かあったの?」

「あ、清華せいかちゃん見れてないのか」

「うん」


 ベッドに横になっている友香ちゃんが少しだけ悔しそうに話していた。


「コンビネーションジャンプでミスって、トウループをサルコウにつけたのは良いんだけどね。上手くいかなくて」

「そういうことか」

「今年のジュニア勢強いからね」


 ベッドでゴロゴロとメイクを落としてから、二番目にお風呂に入ってからスマホをいじることにした。

 伶菜ちゃんが一番長風呂することを知っているので先に入ったんだ。


「あれ、そろそろテレビ何かアニメやってるかな?」

「何かやってる?」

「わからないな。番組表みないと」


 友香ちゃんはこれからアニメをリアタイするみたいだった。

 同時並行で何本か見ているらしいので、厳選するみたいだ。


 特には変わらないけど、SNSはほどんど見ていない。


 この時期に発信することは試合に出たことと、コンパルソリーの動画を上げるくらいだ。

 それ以外は見ない方が良いなと思っているんだ。


「あれ。Twitterとかは見ないの?」

「あ、うん。グランプリファイナルのときに荒れまくったから」

「あ~。うちもあったな」


 風呂上がりの友香ちゃんがうなずいてこちらを見ている。


 確か二年前にあった北京オリンピックの代表として選ばれたとき、他の選手の方が良いなどというコメントが露骨に書かれていたりしていたらしい。


 それと同じようなコメントが書き込まれることがあるので、あまり見ないようにしている。


「もうこれは実力で黙らせた方が良いね」

「そうなるよね。清華ちゃんが一番世界選手権に近いんだからね、グランプリファイナルも優勝しているし」

「うん」


 そのときに重圧がのしかかって、頭がグラグラとしてしまいそうになる。


 容赦なく中傷するコメントは心に突き刺さってくるし、それを見たくないのに見てしまうこともある。


 心もざわざわしていて変な気持ちになって、視界と感覚が歪んでくるような感じがする。


 黒い感情が沸々とマグマのようにあふれ出しそうになるのを抑えようとしていた。


 わたしはもう自分の感情がむき出しになっていくことがとても怖くなってきたんだ。


 コメントの文字とかも思い出しそうになってくるのを我慢して、ベッドにスマホを投げけてしまったんだ。


 それを見た友香ちゃんが驚いてこちらを見ているのが見えた。


「清華ちゃん。大丈夫?」


 そのときに視界がにじんできて、口元が震えてくるのを感じてしまう。


 頬を伝ってくる涙で自分が泣いていることに気がついた。


 気がついてからどんどんと気持ちが下がってきて、我慢の限界で声を上げて泣いてしまったんだ。


「うわぁぁぁあっ、ああああっ」

「清華ちゃん。大丈夫⁉」


 バスルームから出てきた伶菜ちゃんが慌てたような声でわたしの肩をさすってくれるんだ。


 声を上げて泣くことしか消化できることができないと思っていたのだ。


「何があったの? 友香ちゃん、いきなり泣いちゃったの?」

「うん。フリーズして、泣いちゃって……清華ちゃん」


 話すことも、質問に答えることができない。

 でも、どんどんと抑えていた感情が流れ込んでくるのをコントロールできなくなっている。


「あ、友香ちゃん。大西先生に連絡できる?」

「できるよ。あと先生からお父さんに伝えてもらう?」


 その姿を見ていた友香ちゃんは急いで玄関の方で大西先生に連絡するために出て行った。


 わたしはしゃくりあげながらどう答えたらいいのかわからない状態になっている。


 怒りと怖さ、つらさや絶望が混ざったような感情がとても嫌になってきて、枕を叩いたり投げつけたりしていた。


 伶菜ちゃんはそっと背中をさすったりしてくれていた。


 心がざわついているのも収まることがない。


 しばらくしてホテルのドアをノックする音が聞こえてきて、友香ちゃんが何か話をしているようだった。


「伶菜ちゃん。大西先生たち入るけど大丈夫?」

「うん。いいよ」


 そのときに大西先生と陽太くんの声が聞こえてきた。


「清華ちゃん。大丈夫、我慢してたんだね」

「うっ、ごめんなざい……」

「なんで謝るの? そんなことねえって!」


 陽太くんが明るいトーンで肩をポンと置いてくれたけど、気持ちがズドーンと下がりまくっている。


「だって、みんな、いらないって。代表にいらないってコメントされて。ずっと我慢しなくちゃって。お父さんみたいに、なるのは、知ってるから……スケートが好きなのに、なんで、こんな、ことを、言われないと、いけないの?

いま、気持ちが、ズーンと落ちてて、落ち着かなくて、イライラしてて、なんでなのか、わかんない!」


 一気に言葉を伝えてから涙が溢れてきてベッドの上で突っ伏して泣いてしまう。


 こんな感じになるのを見られたくなかった。


「うん。わかった。清華ちゃん、辛かったら言ってな? いまからお父さんところ行くん?」


 しゃくりあげながらわたしは首を横に振る。


「なんで?」

「迷惑、かかる……、また心配される」

「心配すること、迷惑をかけることも、してええ。淳ちゃんはな、清華ちゃんのオトンなんやから」


 その大西先生が話してお父さんが逆に心配するかもしれない。


 甘ええてもいいのかもしれない、そう感じたときにまた泣き始めてしまう。


「お父さんに連絡するで」


 それを言ってうなずいてから大西先生がお父さんに連絡するみたいで、一人外に行っているんだ。


「清華ちゃん。俺は味方だから、おやすみなさい」

「はい」


 わたしはそれを見てからすぐに大西先生が戻ってきた。


「陽太くんおやすみ」

「おやすみなさい」


 連絡をしていた間、私服に着替えてベッドに腰かけてティッシュで鼻をかんだりしていた。


「清華ちゃん、お父さんの部屋まで行こうか」

「はい」

「明日のことは朝になってからでいいね」

「わかりました。伶菜ちゃん、友香ちゃん。ごめんね。いきなり、こんな」

「大丈夫だよ」

「清華ちゃん。明日また会おうね」

「うん」


 そう言ってわたしはまだ泣きそうになりながらエレベーターで十二階の部屋へ行くことにした。



 お父さんの部屋に着いたときに心配している表情をして待っていた。


「清華……大丈夫か?」

「淳ちゃん、かなりしんどそうやから今日は休ませてあげて」

「うん。わかったよ」


 そう言いながらわたしを部屋のなかに入れると、わたしは先にベッドルームにあるソファベッドに座る。


 しばらくしてバタンという音が聞こえてお父さんが戻ってきた。


「今日はどうしたんだ? いきなりメンタルがヤバいって聞いたけど」

「もう訳も分からない状態で泣いて、気持ちがズドーンと落ち込んでてファイナルが終わってからも浅い眠りしかできなくて」

「うん」

「前から少しだけこんな感じになったことはあるんだけど」


 情緒不安定になることはあったけど、今回みたいな激しさはいままでなかったような気がする。


 気持ちが落ちるところまで落ちてるような気がして、このまま明日を迎えるのがとても怖くて寝れない。


「ジュニアの頃か。でも、今回はそれを越えて、心と体の限界が来てる。あと一歩いったら心が壊れるんだ」


 それを聞いて心理学の授業で聞いたことを思い出していた。

 心理学科にいるのに、あまり気がつかなかったんだ。


 少しずつ自分の経験していることが心が壊れつつあることを知った。

 全く同じものだということを考えていたけど、そんな余裕もないくらいにしんどかった。


「今日は限界が来てるね。ここで寝てもいい」

「うん。ありがとう」


 そのままソファベッドが寝ることにして、意識を手放した。

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