第24話 運命と反逆

 教会で勇者の宣託を受けて、僕の運命が変わった。


 孤児院から王城に移されたのが五歳の時。それから、同い年の王女シャルロットや騎士見習いのユーヴェインと共に、魔王との対決に向けて訓練を受けるようになった。


 確かに、シャルやユーヴェは元孤児の僕に屈託なく接してくれたし、仲良くもなった。一緒に鍛錬に励み、共に遊んだりもした。でもやっぱり育ちは違うし、両親すらいない僕と二人は違う。たまに参加させられる舞踏会や社交会で何不自由なく馴染んでる二人を見て、実感させられる。


 王国の紳士淑女たちにぎこちない挨拶を終えてから、ひとりバルコニーの片隅で時間をつぶすのが僕のパーティーでのお決まりの過ごし方になった。


 孤独。


 寂しい。


 王城で大勢に囲まれて、シャルやユーヴェがいてすら、その想いは強く逃れられない呪縛、呪いの様に、僕の心を支配してゆく。


 そんな折、何度目だろうか。明日は「装輪の儀」という十歳の前夜に、ふと独り風に吹かれたくなって王城を抜け出したのだ。


 王都の街中を抜け、外れにまでくる。街道からそれて草むらの中に入り込む。そしてしばらく進むと、ぽっかりと開いた穴の様になっている、夜空が綺麗に見える草原に出るのだ。


 僕のお気に入りの場所。とっておきの秘密の場所でもあった。


 そこに座る。


 季節は春。


 薙いでゆく風が心地よくて、空に包まれている様な安らぎを感じる。


 乾いた気持ちが落ち着いてゆく。落ち着いてゆくのだが、それは心の表面を撫でられているだけで、その奥底の孤独は消えないことも知っている。


 でもそれでいい。それで充分癒されてゆくのだと思っていると。


「こんな夜中に独りきり。だと思ってけど、違ったわね」


 涼風の様な、それでいて一陣の突風の様な威力を持った旋律が耳に届いて、驚く。その声の方を見上げる。


 長い髪。夜だからわからないが、たぶん黒い、深い色の髪。そして、吸い込まれそうな深淵な瞳。


 素直に綺麗な顔立ちをした、自分と同じくらいの女の子が立っていた。


 気付かなかった。自分の隣にその女の子が来るまで。


 普通の服装。豪華でも貧相でもない。それが逆に女の子の素敵さを醸し出している。


 道からここまではだいぶあるが、旅人だろうか。


 ここはかなり分け入った場所。だから、そんな所にこんな子が来るなんて思いもしてなかった俺がいた。


「独り? 隣、いい?」


 女の子が続けて話しかけてきた。言った後で、僕の返事も効かずに隣に座る。


「君は……?」


「そうね。驚くわよね。でも、こんな場所にいる貴方も、十分ヘン」


 くすっと、女の子が可笑しいという様子で笑う。その笑い方が不思議と可愛い。


 綺麗な顔をした大人びた面立ちなのに、笑い方はあどけなくて、本当に心からの笑みに見えて。


 すごく印象深くて、僕はその子にどんどん惹かれてゆく。


「危ないわよ、こんな所で一人。いい場所だけど、王都郊外なら人さらいとかもいるし」


「それはこっちのセリフ」


 二人で顔を合わせて声に出さずに笑い合った。


 確かにこんな夜中に子供がって、危ないのは本当なんだけど。でも、この子がいると全然大丈夫だって理由は全くないんだけどそう思える。


 そして二人で、満天の星空を眺め始める。


 じいっとした時間。二人だけの秘密の時間が過ぎて行く。


 心地よい夜風が吹く。周囲の木々がなびき、地面の草が揺れる。


 その風が、同時に二人の髪と肌を撫でてゆく。


 ――と。


「ねえ」


 女の子が声を出す。


「聞いてくれる?」


「いいよ。聞く」


「ありがと」


 そうつぶやくと、女の子が歌でも歌う様に綺麗な旋律で言葉を奏で始めた。


「私、孤児だったの」


「そう……なんだ。実は僕も、元孤児」


 女の子が、「うん」と同意してくれた息が聞こえた。


「でも、ある場所で。言えないんだけどある場所で『宣託』を受けて運命が変わったの。豪華な場所に住んで、食べ物にも着る物にも困らないで綺麗に着飾って過ごせるようになったんだけど……」


「けど……?」


「でも独り。独りぼっち」


「そう……だね。僕も王城で何不自由なく暮らしてるけど、独りぼっち」


 二人で意気投合する。


「皆、私を大切にしてくれるんだけど、でも、それは私が私であるからじゃない。私に役割があるから。私の事を丁寧にしてくれるんだけど、私の気持ちは見てくれない」


「そうだね。本当に……そう……だって思う」


「だから、私、ちょっと冒険というか傷心の旅がしたくなって、抜け出してきちゃったの。『明日』を前にして。もしいない事がバレたら、今頃てんやわんやよ。バレないうちに帰らなくちゃならないんだけど」


「傷心なんて難しい言葉つかうんだね」


「肝はそこじゃないでしょ。バレないうちに……という所」


「そうだね。バレないうちに戻らないと、だね」


 自然と互いを見つめて二人の目が合う。こいつは共犯者だ。自分のナカマ。自分と同じヤツだ。そう思うと、ふふっと二人の口元が自然に緩む。


「実はね。少しだけネタバラシしちゃうけど、貴方のコトは、なんというか使い魔的な某猫っぽいなにかから言われてたの。強くなってるよとか。夜中に出歩いてるよとか」


「そうなんだ。使い魔的なナニか……ね」


「思い当たる節があるんだ、貴方にも」


「まあ、僕らはそういうものなんだろうからね」


「そうね」


「で?」


「だから……」


「だから?」


「私がここに現れた訳。こんな街道からはなれた秘密の隠れ家みたいなところに、貴方がいる時に都合よく女の子が現れると思う?」


「思わない」


「でしょ?」


「うん。偶然にしては出来過ぎだとは思う。あまりにもご都合主義的というか」


「だから偶然じゃないの。でも明日を控えて、なんとなく風に吹かれたくなって……というのは本当。だから必然かも。運命というか、もしかしたらその運命に対する反逆というか」


 また風が吹く。今度は隣の女の子を見た。横顔。長い髪が風に舞って流れている。


 それが綺麗で……


 空を見上げている女の子の瞳が、その空より果てしのない深さを持っているようで。ただただ吸い込まれるように見つめ続ける。


 女の子が僕を見た。


 すごく近い。顔が目の前にある。その瞳に吸い込まれる。


「ねえ。約束しましょう」


「約束?」


「そう。約束。せっかくここで何故か、お互いに正体不明だけど二人出逢えたんだから、約束」


「そうだね。何故か二人で出逢って、本当にお互いに正体不明だね」


 僕が阿吽の呼吸でまた笑おうとすると、女の子が茶化しちゃダメと拗ねそうになったので、笑わない。うん。可笑しくない。


「で、どんな……約束?」


「また、逢お。そして、そしたら二人で幸せになって、笑お」


「また逢えるんだ。うん。確かに、ね」


「ええ。逢える……。合える……わ。そしたら、逢えたねって、笑お。うん。今決めた」


 女の子はうんうんと綺麗な顔に力を込める。


「また出逢えてよかったねよかったねって、どんなになったとしても二人して笑お」


「わかった。約束しよ。約束の指切り」


「ええ」


 女の子が小指を出す。そしてその子と小指を絡める。二人での、二人きりの、約束。


 でも……


 今思うと……俺の運命はここでまた反転したんだと思う。


 それは、運命の悪戯。


 そして、運命に対する反逆。


 女神や使徒に対する、反撃の狼煙。


 二人してお互いに小指に力を込める。その二人の絆が切れないように。切れないように、と。


 そして、互いに沸き起こった気持ちを胸に、黙って別れる。あの子はあの子の城に。僕は僕の王城に。


 気付くと、自分の心の奥底に根を張った「孤独」はどこかに消え去っていた。いや、消えたんじゃない。あの子が、僕の孤独を消し去ってくれたんだと、はっきりわかる。


 俺はあの子と出逢って、独りじゃなかったんだって、何故だかわからないけど思えたんだって、わかる。


 …………


 空が白んできた。光の閃光が眩い。


 そして、とててて……と、どこからともなく場所に不釣り合いな白猫が寄ってきた。運命の一旦を司る白猫。使徒シロエル。


 そのシロエルが、無邪気な顔で人間の言葉をしゃべる。


「今さっきすれ違ったけど、アノ子と一緒にいたの? アノ子、魔王だよ。正確には今日の『裳着の儀』で正式に魔王になるんだけど、ね」


 僕は答える。答えるというより、この、敵になった運命の使徒に宣言する。


「うん。わかる。なんとなくだけど……わかる。わかってるはいる」


 運命も、手ごわい。


「あと八年後。運命の対決時にはちゃんと倒さなくちゃね」


 今度は答えなかった。


 拒否の意思表示だったんだけど、シロエルはどう捉えたか。


 吹いてくる風は変わりなく心地よい。


 もう空は黒から青くなっている。


 広場、草原を見渡す。


 この場所で、あの子と出逢った。


 忘れない。いや、忘れられないだろうと思う。


 僕は、自分の気持ちを確かめる。


 ◇◇◇◇◇◇


 意識が、過去から戻ってきた。


 昔を振り返っていた俺は、男子寮のベッド上で続ける。


 ずっとずっと、あの子との――逆説的だけど――運命の逢瀬から、あの子の事が好きだった。あの子に夢中になった。あの子との出逢い、約束を胸に生きてきた。


 俺の意志に関係なく容赦なく叩きつけられる訓練。大勢のいる煌びやかな中での孤独。これから迎える過酷な『運命の対決の時』への恐怖。挫けそうになった度に、あの子の小指の感触を、約束を思い出して勇気を振り絞ってきた。


 あの出逢いは運命で、同時にその運命の反転だったと思う。そして今、あの子が成長して、なぜかはわからないがこの王立学園に入学してきた。それも運命だと思う。


 勇者と魔王はこの世界では両立しない。俺はあの出逢いの時以来、魔王に殺されようと思って生きてきた。あの子は生きて、俺じゃない誰か素敵な人と出逢って、この世界で暮らしてくれればいい。俺は倒されるのでいい。なぜって、孤独だった俺は今まで、あの子と出逢いで満たされてきたから。


 勇者と魔王の対決も今では形骸化して、儀式の一環と化している。俺の力では無くすことはできないが、負けても王国の人々にさほどの不利益はもたらさない。王国内で人族が大きな顔が出来ないのが精々だ。


 だから……負けていい。


 十歳の幼子のミツキ。そして、美しく成長した現在の十五歳のミツキへの想いを胸に……今日は眠りにつくことにしようと思う。


 先のことはわからない。わからないのが当たり前だ。ただ、俺はミツキと学園で三年間だけは一緒に過ごせる。運命の対決の時に死ぬまで一緒に過ごせることを嬉しく思う事だけはできるのだと胸にして、俺の意識はベッドの中にゆっくりと沈んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る