第5話 やり直し

 その日の深夜になった。王立学園から徒歩圏内にある女子寮。私、魔王ミツキは、お邪魔していたシャルロットの部屋から自室にまで戻ってくる。


 備え付けてあったガウンに着替えて、ソファで冷えた紅茶を飲む。気分が落ち着いて冷静になってゆくのがわかった。


 それほど広い部屋ではないけれど、洒落たベッドにモダンな本棚と机。クローゼットに浴室もある。人一人が生活するには十分な空間。さすがは王国貴族の子息や令嬢たちが三年間暮らす寮だけのことはある。上品さと上質さを感じさせる空間だ。


 するとどこから現れたのか、まん丸目玉の黒ネコが足元から目の前のテーブルにジャンプして綺麗に着地。その真ん中に落ち着いた様子で座り込んだ。


「ミツキちゃん。今日は模擬戦、大活躍だったね。入学二日目で大人気だし」


 四本の脚を畳んで、邪気のない人畜無害そうなネコ顔をこちらに向けてきた。


「どこから見てたの、ベルフェゴール。学園内では見かけないけど、私の事は監視してるのね」


「監視とは酷いなぁ。ボクはキミのサポート役で使い魔で、同時に女神様の使徒でもあるんだから」


「監視は監視でしょ」


「監視じゃないよ。見守りだよ。隠れた場所からそっとじっと密かに見つめてるから!」


「そうなのね……。遠見の魔法とかじゃないのね」


「ふふん!」


 ベルフェゴールは鼻を鳴らした。


「こう見えてもボクは使徒だからね。ネコじゃないよ!」


 のち、ペロペロと肉球を口で濡らして顔洗いを始める。


「まあどちらでもいいわ」


 私は手に持っているグラスを傾けて、喉を濡らす。冷たい液体と渋めの味が心地よく流れてゆく。


 この厭味な黒猫風情は「ベルフェゴール」。この異世界を創ったと言われている神族。その中の「黒の女神」の「使徒」を称している。物心つく頃、気づくと私の傍らにいた。


 確かに使徒と言うのはそうだと思わせられる。神族の女神さま程の力は持たないが、この世界で暮らしている通常の魔族や人間では敵わない戦闘能力を隠し持っているのを、私は知っている。私のサポート役や使い魔を自称しているが、その実は魔王と勇者の『運命の対決の時』の審判役。


 私はもう一口、喉を潤し、手の甲を見つめる。細く綺麗な指に、魔王の指輪が填まっている。私が十歳の時、正式に魔王に即位した時に指に填めた「魔王の証」。


 眺めながら、今日一日の出来事を振り返る。


 学園入学の初日に、教室の自己紹介で、ハルトに自分の晴れ姿を演出した。


 黒髪で漆黒の瞳の私には黒衣が似合っていると思うのだけど、制服があるし魔族を連想させる黒衣というわけにもいかない。


 案の定、その初日に望んでもいないのに私に告白して付き合いたい、恋人の間柄になりたいと言ってきた王国貴族の子息たちが大勢いたが、それは私にとってはどうでもいい事。


 重要なのはハルトに私を印象付けられたかどうか。


 そしてさらに翌日の今日、ハルトと手合わせをした。


 手合わせの結果は私の圧勝。ハルトの個人教師として指導することになった。ここまでは予定通り。当然だ。ここに『やり直し』にきている私の中身は、魔王として成長しきった『運命の対決の時』の魔王なんだから。


 そして、今のレベルの低いハルトを、三年後の『運命の対決の時』までに私を倒せる様に育てなければならない。ハルトが私を殺せるように。


 過去、魔族と人間の血みどろの争いを、魔王と勇者の対決で解決するというコトワリが定められてからずっと。『運命の対決の時』に魔王と勇者が殺し合うという闘鶏的で闘牛的な設定が強制されてきた。


 魔王と勇者は両立しない。魔王か勇者、どちらかが勝ちどちらかが負ける。つまり、どちらか一方が死に、どちらか一方が生き残る。


 私の一存ではどうにもならない。どうしようもない。


 だから、あの時。『運命の対決の時』に手を抜こうとして何故か手を抜けないで、結果、ハルトを殺してしまったあの時。私は、魔王の指輪を填めた魔王だけが持てる高次の魔力を使って魂を過去に跳ばし、昔に戻って『やり直し』をしているのだ。


 私が「王立学園に勇者の偵察に行く」と言った時、魔王城は紛糾した。配下に任せればいいと私を止めた重鎮たちを、「魔王の私が直接勇者を観察しなければ『運命の対決の時』の役には立たない」と押し切った。


 この『やり直し』の勝利条件は、勇者を鍛えて育て上げ成長させ、『運命の対決の時』に勝たせること。『運命の対決の時』に私が死んで勇者が生き残ること。


 何故って……


 あの幼い時の二人の逢瀬から、ハルトの事がずっとずっと好きだったから。あの『出逢い』で孤独だった私は救われて、その想いを胸に私は魔王として生きてこれたから。それは『運命の対決の時』までのたった八年の事なのだけど、それでも私は満足して心輝いて生きてこれたから。


 グラスをテーブル、ベルフェゴールの脇に置いてソファから立ち上がる。窓にまで行き、夜景を眺める。


 丘上の女子寮からは王都が見下ろせる。眩い……という程の光はないけれど、周囲の闇の中に灯りが集まって、そこが都市であることを認識させる。


 今、私は十五歳で王立学園にいる。ここにはハルトもいて、もしかしたらハルトもこの夜景を見ているかもしれない。


 私は、この『やり直し』を成功させる。


 私は、必ず倒される。


 私は、勇者の為に死にたい。


 私は、その想いをじっと噛みしめる。

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