第2話 足柄下郡・芦野湯

 芦野湯あしのゆ二子山ふたごやま箱根山はこねやまふもとにある小さな温泉街だ。

 美肌の湯といわれているそうで、女の子が多い。

 ほんのりと硫黄の香りで、優人ゆうと駿人はやとも顔をしかめているけれど、翔太しょうたは行き交う女の子たちを眺めながら歩いた。

 宿の浴衣姿が多いけれど、翔太にはみんなが可愛くみえる。


「ハヤはえにしと一緒に、先に宿をとってきてくれるか? 俺と翔太はこの先の請負所で様子を聞いてくる」


「わかった。すまないな」


「ご、ごめん。ボ、ボク……どうにも力が、は、入らなくて」


「縁、今日は大活躍だったもんな。部屋とったら、すぐ風呂に入って休んでろよ」


 翔太は優人に引っ張られるように請負所に向かった。

 道すがら、すれ違う浴衣姿の女の子たちに声をかけようとするけれど、全部、優人に阻まれた。


 請負所では、案件はいくつか出ているけれど、麓の街道沿いに出るらしい、猪や狐、狸ばかりだ。

 山の中の熊案件は、一般には出していないのか。

 受付のカウンターを見ると、ちょうど狐の案件を請けている男が、地図を貰っているところだった。


「このあたり、ずいぶん集中して出ているようだな」


「だねぇ……ひょっとして、深玖里みくりちゃんも来ていたりして」


「……それはないだろう? 本所ほんじょにいたって言うんだから、東都とうとから下総国しもうさのくににでも行ったんじゃあないか?」


「そっか……そういやあ、最初に会ったのが武蔵国むさしのくにに入る手前だったもんな。またこっちに戻ってくるはずはないか……」


 がっかりだ。

 とは言っても、蔓華つるはなに会いに行こうというのに、深玖里を連れていくワケにもいかないんだから、これでよかったのかもしれない。

 ただ、なぜか深玖里とはまた会うと、そんな予感だけが胸の奥に沈んで残っている。


「こんばんは! 櫻龍会おうりゅうかい内村うちむらでーす!」


 受付のカウンターで、依頼書の整理をしている女性に声をかけた。

 顔を上げた女性は年配の人で、恐らく結婚しているだろう。

 その辺はわきまえているつもりだから、手を握ったり軽口を叩いたりはしない。

 もしも独身だったら、話はまた違ってくるけれど。


「箱根山のけもの、最近はどんな感じですか?」


「いろいろと増えているんですよ。多いのは猪や狐に狸、それから猿でしょうか……」


「猿も? それでその依頼書が?」


 手もとの依頼書に視線を落とした受付の女性は、黙ったままうなずいてから、それらを並べてみせた。

 熊のほうは櫻龍会だけで対応しているけれど、猪などは一般にも開放していたという。

 それが今日、下二子山しもふたごやまで猪の妖獣ようじゅうが出たから、急遽、猪を引き下げ、猿の案件をだしているそうだ。


「アレか……確かにアレじゃあ、賞金稼ぎにはキビシイかもなぁ……」


 狐や猿が出るのは箱根山の麓ばかりで、強羅ごうら小涌谷こわくだに、翔太たちがいるこの芦野湯を通って元箱根もとはこねまでと広範囲に渡る。

 中には人を襲う獣もいるから、早い対応を望んでいるといった。


 櫻龍会も熊と猪がどの程度いるのかわからないから、ほかまでは手が回らないかもしれない。

 といって、ここにだけ手を増やすのも難しいだろう。


「下二子の猪、ここで清算されます?」


 翔太と優人が考えあぐねていると、受付の女性にそう聞かれた。


「そうだなぁ……上二子の熊も一緒にお願いできます?」


「大丈夫ですよ。今、用意してきますね」


 女性は奥に声をかけると、壁に依頼書を貼りにいった。

 数分待って、戻ってきた女性から、用意された封筒を受けとり、請負所を離れた。


「猿まで荒れているのかぁ……明日、邪魔にならないかな?」


「場合によっては……な」


「狐や猿の案件を請けている賞金稼ぎがいるなら、結界張るのも気を遣うよなぁ……」


 面倒だけれど、仕方がない。

 どのみち、小涌谷の方面から仲間たちがくるなら、結界の範囲には気を配らなければならないんだし……。


「なんかなぁ……駿河国するがのくにがやけに遠く感じるよ」


「これまでは移動中の案件のほとんどが、ただの獣だったし、数もそうなかったからな」


「櫻龍会のほうからいけって言ってくれているのにさ、全然進めないじゃん?」


「あちこちで依頼がこんなに出ているなんて、そうそうなかったからな」


「まったく、いい加減、嫌になってくるよ」


 宿までの道のりを、愚痴をこぼしながら歩いている背中を、優人が強く叩いてきた。

 漠然と感じていた不穏な思いがジワジワと広がっている。

 今夜は縁に合わせて、早めに休むことにしよう。


「とにかく、近ごろはなにかおかしい。翔太、くれぐれも油断をするなよ?」


「わかってるよ。ここから先は、出会う全部が妖獣だと思って対応する」


 翔太が倒れることになったら、優人を困らせてしまう。

 普段はともかく、戦うときには常に全力でのぞまなければ。


 今までも、手を抜いたつもりはないけれど、結界を破られ、符術ふじゅつで倒しきれないことが続いた。

 不甲斐ない、という言葉が胸をよぎる。


「また手こずって、安養寺あんようじにガタガタいわれたくないしな」


 翔太がそういうと、優人は大きな笑い声をあげた。


「安養寺より、翔太や縁のほうが腕が上だ。安心しろよ」


 優人は世辞を言わない。

 本当にそう思ってくれているんだろう。

 だからこそ、翔太はもっと強くなりたいと、ならなければいけないと、思っている。

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