第3話 甲斐・白髪の男

 集中していたおかげでこちらへと向かってくる多数の殺気に、すぐに気づいた。

 まだ仲間がいたのか。

 気配が濃くなり、見あげた崖の上には、もう数えるのさえ嫌になるほどの妖獣が並んで、こちらを見おろしている。


 さすがに背筋が冷えた。

 疲労で頭の芯が痺れ、傷の痛みで身体の動きも鈍る。

 倒さなければやられてしまう以上は、死にもの狂いでやらなきゃいけない。


 せめて呪符じゅふさえ使えれば、もっと楽に倒せたはずだ。

 それにこんな傷を負うようなこともなかった!


 迂闊うかつさを悔みながら、太刀を構え直した。

 雑魚ざこはあとでいい。

 とにかくデカい奴を先に、そんな思いで睨むと、金色の妖獣はハッと驚いたように崖のうえを仰いだ。


 ――喉笛が隙だらけだ。


 瞬時に肩口で太刀を切り返し、力いっぱいに地を蹴った。

 切っ先が喉もとに近づく。

 柄を握る手に力を込めたとき、足になにかが絡みつきバランスを崩してもんどり打った。

 強かに頭を打ち、意識が揺らぐ。


「こんなところにいやがったのか」


 朦朧もうろうとした中で、ハッキリと男の声が聞こえた。


 冷たい感触が背中を撫で、ハッと目を開けるとうつ伏せに倒れたままの格好でいた。

 慌てて飛び起きると、緩んだ服の胸もとを両手で押さえて隠す。

 ズキンと背中が痛む。


「そんなに驚かなくても、なにもしちゃあいない。服も乱れていないだろう? ただ、その傷はマズいから薬は塗った」


 古びたリュックを脇に置き、膝をついて腰をおろしている男はそう言った。

 手のひらにチューブから軟膏のようなものを絞り出すと、妖獣に喰いつかれた太ももの傷に塗り込んでくれた。

 ひやりとしてやけに心地よい。


 最初に感じた背中の冷たさも、きっとこれだ。

 淡々と薬を塗り込んでいる、うつむいた男の顔を見つめた。


 少し日に焼けた肌、二重のくっきりとした目、顔立ちが整っているせいか、冷たい印象を受ける。

 髪は白髪だ。

 なんの色も混じっていない、本当に真っ白だ。

 それが妙に似合っている。


「あの……ありがとう……」


 お礼を言うと男の視線がこちらを向き、間近で目が合った。

 すぐに視線を反らし、しっかりチューブの蓋を閉めると、それを手に握らせてきた。


「日に二度。こいつが空になるまでは、傷にしっかり塗り込むんだ。背中は手が届きにくいだろうけれど、おうちの人に塗ってもらうといい」


「…………」


 おうちの人、って……。

 まるで子どもに言い聞かせるような口ぶりに、カチンときた。

 確かに自分よりは年上のようだけれど、子ども扱いされたくはない。


 ――あのねえ、アタシは子どもじゃないの!


 反論しようとして顔をあげ、やっと周囲の景色が目に入った。

 木々の枝が大量に切り落とされている。

 あれだけいた妖獣の姿は、一つもない。

 死体一つ転がってもいない。

 もちろん、あのでかい金色の奴の姿も――。


「ねえ、奴らはどうしたの?」


 問いかけても男は黙ったままだ。


「ねえったら! あれはアタシの獲物よ? あいつなら絶対に懸賞金がかかってるに決まってるんだから!」


「あれは俺の獲物だ。油断していた……キミまで巻き込んだことは本当に悪かった……すまないと思っているよ、あの男のことも……」


 男は丁寧に太ももに包帯を巻いてくれながら、消え入りそうな声で頭をさげる。


「アタシはそんなことは責めちゃいないわよ! あんたの獲物だってのはともかく、アタシらを巻き込んだってのはどういうことなの?」


 ハッキリしない男の態度にますます苛立ちが募る。

 大金を手にできるか否か。

 そのせいで、余計に腹立たしさを感じるのだ。


 ドンと目の前の男の肩を突いた。


「すまないっていうなら少しは説明しなさいよ! そうよ……だって一人死んじゃってるのよ?」


「詳しく話すことはできない。ただ……俺はあれを追っていた。人けのないだろう山の中へ入ってきたのに、そこに彼らとキミがいた」


「アタシたちが悪いって言うの?」


「違う! そんなつもりじゃ……ない」


 そそくさと男は荷物をリュックに詰め込んで背負い、すっと立ち上がった。


「本当に、心からすまなかったと思っているんだ。キミに大きな怪我がなくて良かった。それにしても……」


 数歩進んだ先で太刀を拾いあげた男は、柄をこちらに向けて差し出してきた。

 胸もとを押さえていた手を伸ばして、ひったくるように受け取り、しっかりと胸に抱え込んだ。


「凄いものを持っているんだな」


「……わかるの?」


「そりゃあ……あんな奴らを相手にしていれば、そういうことには多少、鼻が利くようになる」


「ふうん、そう」


 男は着ていた上着を脱ぎ肩へ掛けてくれた。

 ジッと見つめてくる瞳は澄んだこげ茶色だ。数秒、そうしてから男はリュックを担ぎ直し、背を向けて歩き出した。


「あっ! ちょっと! アタシの取り分があるはずよ! 数だっていたんだから!」


「雑魚は金にはならない。それに完全に散ってしまっている」


「だったらデカい奴よ! アタシだって戦ったのよ? 怪我までさせられて、半分とは言わないけど、いくらか受け取る権利があるでしょ!」


 男は大きく肩を落とすと、あちこちに穴の空いたジーンズのポケットからなにかを取り出し、それを手に握らせてきた。


「ホラ。俺も今はこれしか持っていないけれど、二日は寝泊まりも食事もできるだろう? なにかおいしいものでも食べなさい」


 手に乗せられたのは、札が数枚と小銭が大小合わせて十数枚。

 うつむいたままでそれを眺めているアタシの頭を、男はそっと撫でてから、きびすを返して走り去ってしまった。


(おうちの人に塗ってもらいなさい)

(おいしいものでも食べなさい)


 手の中の金を強く握りしめた。


「あンの男お……アタシのことをなんだと思ってんのよ!!!」

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