第7話

10月20日 23時25分 (県警・堺からの電話)

 児島さん? ああ、堺です。

 落ち着いてください。これから状況を、その、お話ししますから。

 いえ、まだ何もはっきりとは、その、判明しておらんのですが。星井さんから、あなたに連絡してほしいと言われまして。ええ。

 星井さんは精神的ショックが大きいようで、今は休んでおられます。――ええ、ええ、心配いりません。

 それで、お話しなくてはならんのは、耳野さんのことでして。耳野佳苗さん。あなたとは、同じ研究室に所属しているそうですが。

 彼女は亡くなりました。

 事故に遭われまして―― 交通事故です。突然、車道に飛び出して、車に轢かれたようです。即死でした。

 事故原因についてはまだはっきりしませんが、過失は耳野さん側にあるのではないかと―― 運転手によると、麓の道を走行している時に、信号機のない場所で、いきなり暗がりから飛び出してきたんだそうで。現在、その話をドライブ・レコーダーの映像と照らし合わせているところです。

 星井さんの話では、亡くなる少し前に電話で話をされたとか。その時の様子が、かなり常軌を逸していたと。聞いたところでは、柳沢氏の自宅に入られた直後におかしくなったのだそうですね。

 とにかく、現状では報告できるのはそのくらいです。明日また、お伝えできることがあればお伝えしますから。

 ああ、そうだ。連絡先を教えておきましょうか。XXXーXXXXーXXXX。わたしの携帯電話です。

 では、失礼します。



10月21日 10時11分 (県警・堺への電話)

 ああ、どうも。

 早速、連絡をくださったわけですか。今はまだ、特にお知らせできることはないんですがね――

 え? 星井さんと連絡が取れない?

 そうですか、それは困りましたな。昨日のご様子では、かなりショックを受けておられるようでしたから、おそらくそのせいでしょう。

 ああ、それと、捜査のほうですが。耳野さんが最後に訪れた柳沢教授の自宅を、調べましたよ。あの家はすでに一度調べ終えているので、念のため、といったところですが。案の定、何も見つかりませんでした。

 裏庭? 裏庭がどうかしたんですか? ――ああ、そういえば、星井さんも何かそんなことをおっしゃってましたな。一応、家の周りはぐるっと見て回りましたが、特に変わったところはありませんでしたよ。

 それにしても、大学教授ともあろう人が、よくあんな不便そうな場所に家を構えましたな。隣近所のない一軒家というだけでもゾッとするのに、辺り一帯、見えるのは森ばかりじゃないですか。それに、あの庭。庭といっても荒れ放題で、草むらと変わりゃしない。しかも、裏手は水はけが悪いのか、地面がぬかるんでジメジメしてるときた。一歩踏み出すと、靴が地面にめり込み、足元の腐った枯れ葉からジワッと水が染み出すのが感じられるんです。まったく、あんな場所に住むなんて、わたしだったらご免ですけどねえ。

 鶏? 何ですか、そりゃ。

 ほう。耳野さんがそうおっしゃっていた、と? いや、星井さんからは何も伺ってません。鶏、ねえ。近くの民家から逃げ出してきた、なんてことじゃあないでしょうし。

 やはり、それだけ支離滅裂な精神状態だったんじゃありませんか。あらぬことを口走るぐらい。

 そういえば、最初に駆けつけた捜査員によると、耳野さんは着の身着のままで、バッグも持っていなかったそうです。柳沢さん宅から亡くなった現場までの途中の山道に、懐中電灯が落ちていました。家の玄関は、開け放たれた状態で。何かが起きて、家から走り出てそのまま車に轢かれた、というふうでした。

 家の中の灯りも、無論点けっぱなしでして。奥の部屋の照明が灯っていたので、見に行ったところ、その場所の窓だけ開いていまして。その窓は、裏庭に面していたそうです。

 どうされました? ――大丈夫ですか。ご気分でも悪くなったのかな?

 何、病気はもうよくなった? そうは言ってもね、こう立て続けにおかしなことが起きたんじゃ、体が治りきらないでしょう。

 無理はしないでくださいよ。電話は切らせていただきます。では。



10月21日 12時30分 (星井京香へのテキスト・メッセージ。スマートフォンから送信)

 何度もすみません。

 特に用はないんですけど。

 えーと、昨日から全然連絡取れないから、心配で。

 大丈夫ならいいんですけど。

 あの、ありました、用件。

 今日、抗原検査受けてみたんです。そしたら陰性でした。

 発症から既定の日数が経過してれば、抗原検査でも治ったと確定できるらしくて。

 とりあえず、完治です!

 まだその、万全じゃないんですけど。できることがあれば、言ってください。

 お願いします。じゃ。



10月21日 18時43分 (星井京香からの電話。固定電話に録音)

 星井です。

 メッセージありがとう。心配かけちゃってごめんね。

 それと、完治おめでとう。ほんとによかったね。直接、お祝いを言おうとしたのに、留守だったかー。ま、そりゃあ色々、用事が溜まってるよね。

 あと、スマホにかけたつもりだったのに、固定電話だったんだね。うっかりしてるわ、わたし。

 心配してくれた件だけど、確かにずっと、塞ぎ込んでた。ちょっと、いや、かなりアレでね…… トラウマを受けたというか。衝撃が強すぎたから。

 でも、引きこもってたわけじゃないよ。実は、さっきまで出かけてたんだ。ある人と会うために。

 その、ある人っていうのはね、児島君も知ってる人。

 茂田さん。

 わかるかな、教授のお手伝いさんだよ。ずっと姿を晦ましてた。

 吃驚だよねー。いなくなった、って聞いた時は、場合が場合だけに最悪の事態を想像しちゃったんだけど、実はピンピンしてたわけ。教授の娘さんがずっと気にして、捜してくれててさ、知人から連絡があって、ようやく見つかったんだって。

 で、どこにいたと思う? 教授の家から二キロも離れていないビジネス・ホテルにいたんだよ。

 教授の娘さん、自分は遠くに住んでいて行けないから、申し訳ないけど代わりに話をしてくれないか、ってことだった。それで、わたしが会って来たの。

 その時のこと、ざっくりと話しておこうと思う。

 ええとね、ホテルに着いたのは二時過ぎくらいかな。ロビーで呼び出してもらったら、茂田さんが部屋から降りてきた。約束はしてあったから、もちろんわたしが来ることはご存じだった。茂田さん、なんだかちょっと申し訳なさそうな顔をしてたな。

 ラウンジで話そう、っていうから、いいですよ、ってついていった。わたしはその時、ちょっと怒ってたかな。だって、いきなり行方を眩ますなんて、無責任じゃない。

 ついていった先にあったのは、ラウンジなんて名乗るのがおこがましく思えるくらいの、狭ーい飲食スペース。そこで椅子に座り、染みのついたテーブルを挟んで、茂田さんと向き合ったの。

 茂田さん、いきなりこう切り出した。すみませんでした、人が次々死んでいってるなんて知りませんでした、って。

 わたしはぽかーんとしそうになったけど、それを堪えて聞いた。――どうして出て行ったんですか? って。

”悪気はなかったんです”茂田さんは言った。

”ただ、気味が悪くて。柳沢教授が旅行から帰って以来、ずっとおかしなことが続いてた。嫌な予感がしているところへ、教授が亡くなり、それ以上我慢できなくなった”

 どういうこと? と思うと同時に、わたしは背筋が寒くなるのを感じたの。

”おかしなこと?”と聞くと、茂田さんは言った。

”夜中に家の外で何かの気配がするようになった。しかも、日を追うごとにその気配が強まっていく。そのうえ、物音までするようになった。わたしがそのことを告げると、教授は急におどおどしはじめて。慌てて、何かを家から持ち出したんです”

 何か? とわたしは尋ねた。

 すると、茂田さんは首を振った。”それが何かはわかりません。教授がどこへ持ち去ったのかも。紙でくるんだ、長さ三十センチほどのもので、さほど重くはなさそうでした。わたしは、ひょっとしたらこの禍々しい気の原因はそれで、教授もそのことを承知しているのではないか、と思ったのです。そして、あれが家からなくなったことで、すべてが元通りになるのではないか、と期待した。ですが――”

”駄目だったんですか?”わたしが聞くと、彼は項垂れた。

”ええ、駄目でした。禍々しい何かは、相変わらず居座っていた。どこ、とは言えないがあの家にいると感じるのです。すぐそばによくないものがいる、と。ほかの人はそこまではっきりとは感じないようでしたが、わたしにはわかりました。あれの存在が”

 それを聞いたわたしの顔には不思議そうな表情が浮かんでいたんだと思う。彼はこう説明した。

”わたしは、まじないが盛んな村の出身でして。村を出てから随分経つが、未だに、普通の人には見えないものを見たり感じたりできるんです。わたしには、あれが家の近くに潜んでいるのがはっきりわかったし、教授もいくらかは同じものを感じているようでした。わたしのその感覚は、次第に、脂汗が滲むほど恐ろしく不快なものに変わっていった。そして、わたしの訴えを、教授は疑うことなく聞いてくれた。かねてから、教授はわたしのこの奇妙な力を興味深く思っておられたようです”

 だしぬけに、目の前にいる人に、自分はまじない師の村の出身だ、なんて言われたら、普通は戸惑うものかもしれない。だけど、その時のわたしは驚きもせず納得したの。常々、茂田さんて変わった感じの人だなぁ、と思っていたし、その答えがこれだったのか、と腑に落ちたからかもしれない。

 わたしは疑う代わりに、じゃあ、あの香炉はやっぱりあなたのものか、と聞いてみた。

 茂田さんは少し吃驚した様子だった。どうやら、あれを置いていったことを失念していたみたい。

”はい。教授が亡くなった後、見よう見まねで、村にいたまじない師のしていたことをやってみたんです”

 そう、彼は言った。”残念ながら、あまりうまくはいかなかった。しかし、これ以上ここにいてはいけない、このままでは教授の二の舞になる、ということだけはわかったんです”

”その気配が、教授を殺した、とおっしゃるんですか?”わたしは思わず聞いた。

 茂田さんは首を振り、わかりません、と言った。

”その何かは、まだあの家にいる、と?”

”おそらく。それに、教授は何か心当たりがあったんでしょう。亡くなる前日、教授は裏庭に出て草刈りをしておられた。伸び放題に伸びた大量の雑草を前に、額に汗して鎌を振るっていたんです。わたしが、お出かけの時間でしょう、わたしがやりますよ、と声をかけると、びくっとしたように振り向かれて。わたしが重ねて、急にどうしたんです、草刈りなんて、と聞くと、こわばった声で、何でもない、家に入っていなさい、とおっしゃった。そして、また黙々と草を刈りはじめたんです。

 わたしは肩をすくめて家の中に戻りました。教授は普段、あんな仕事をなさる方じゃないんです。肉体労働が苦手というより、雑草など目に入らないタイプだったんでしょう。とにかく、それが突然、あんなふうに夢中で草を刈りはじめるなんておかしなことでした。

 ところが、しばらくして、ガレージのほうから車の音が聞こえてきた。教授が出かけたようだ、と気づき、わたしは気になって裏庭の様子を覗きに行きました。すると、草刈りはまだ半分も終わっていなくて、辺りには乱暴に刈り取られた草が散乱していました。足元には教授が使っていた鎌が、まるで投げ捨てたように落ちていたんです。あたかも、理由もなく突然、作業を中断して逃げ出したみたいでした。

 わたしはそれを見ているうちに背筋がぞくっとするのを感じ、後ずさったんです。それも、理由もなく、ですが。いや、理由はあったのかもしれません。ですが、それを知るのが恐ろしかった。教授のやりかけた仕事をしよう、などという気は到底起きず、わたしは震えながら、鎌だけ片づけてその場を後にしたんです”

 長いセリフだから、細部は違っているかもね。でも、そんなところだった。

 わたしは、教授はどうしてそんなおかしな行動を取ったのか、と聞いた。何か心当たりはあるか、ってね。

 そうすると、ないことはない、という返事だった。

 教授はブラジルに行く前に、ある村に行くと話したそうなの。その村は近々なくなる予定で、村人は散り散りになるらしい。今行けば、歴史的価値のある品を譲ってもらえるかもしれないんだ、と。

 ということは、とわたしは言った。さっきあなたが言った、教授が家から持ち出したものというのが、その貴重な品なんでしょうか?

 すると茂田さんは、貴重な品? と鼻で笑った。

”貴重などであるものか。あれはそんなんじゃない”

 その笑い方が、何ともいえない嫌な感じで、わたしは正直、竦み上がったんだけど、声を絞り出した。

 どういうことです? って。

 でも、返事はなかった。

”教授はそれが何か、わかっておられたんでしょうか?”

 そう聞くと、彼はこう答えた。

”ええ、たぶん。しかし、あまり真剣に考えてはいなかったのでしょう”

”気配の主は何だと思います?”

 そう聞くと、あの人はすくい上げるような目でじっとこっちを見て、言ったの。

”祟りでしょう。姿の見えない祟り。あれの正体を知れば、あなたにもきっとそれがわかる”

 意味不明だった。

 わけが分からず聞き返したけど、茂田さんはそれ以上、具体的なことは話してくれなかった。きっと、多少は責任を感じていて、話はしてくれることになったけど、本当は二度と関わりたくないと思っていたんでしょう。

 最後に、これからどうするんですか、と尋ねたら、飄々とこう答えた。さあ、これから冬だし、南のほうへでも行きますかね、って。

 ほんと、よくわかんない人だね。

 話の内容は、そんなところ。思いのほか、長くなっちゃった。

 また明日、電話するね。直接話したいし。

 それじゃあ、ね。

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