第5話
10月18日 12時37分 (星井京香からの電話。固定電話に録音)
星井です。
ごめんね、何度も電話して。朝からずっと、やりとりのしどおしで、疲れてるよね。それなのにまた電話して、ごめん。
その、押しつけがましいと思うかもしれないけど、心配で。児島君、すごくショックを受けてるみたいだったから――
大丈夫? なんて聞くつもりはないから安心して。ただ、助けが必要な時はいつでも電話してね。
それと、一つだけ連絡。警察がわたしのところへ事情を聞きに来たの。たぶん、この後、児島君のところにも来ると思う。
一応、知らせておこうと思って。心構えが要るだろうから。
――ううん、本当は、ただ電話したかっただけかもしれない。わたしも、不安なのかも。ただ、闇雲に誰かと繋がりたかっただけかもしれない。
だけど、こんなんじゃ駄目だよね。しっかりしないと。
とにかく、そういうこと。それじゃ、お大事に。
10月18日 14時15分 (県警・堺からの電話)
児島祐平さん? 県警の堺といいます。今、少しお時間をいただいてよろしいですか。
体調のほうはいかがですか。ご病気のことは伺ってますのでね、手短に済ませたいと思います。いくつか質問させてもらってもよろしいでしょうか?
今朝の、久地修太さんの件ですがね。亡くなる直前に、電話で話をされたそうですね。市警のほうで行った聞き取りの記録が残っています。それと、救急車を呼んだそうですね。
遺体の発見時のことはご存じですか? では、ざっとご説明しましょう。久地さんを発見したのは、ご自宅に駆けつけた警官でした。久地さんはマンションの玄関前で倒れておられたそうです。すでに意識はなく、搬送中の救急車の中で死亡が確認されました。
え、息はあったのか、ですか? ――いえ、おそらくパトカーが到着した時には、もう亡くなっておられたのだと思います。ですから、まあ、その、手遅れだったわけです……
死因については現在、調査中です。ええ、詳しいことはまだわかっておりません。
事故か病死かすら、わかっていない状態で。はい。
――それでですね、お聞きしたいことというのは、久地さんと親しかったとお聞きして、普段の様子などを。
ええ。落ち込んでいる様子などはありませんでしたか。なかった? そんなことはないでしょう。周囲で何人も、その、ねえ。
死人が出て。
それで落ち込んでなかったっていうんですか? ねえ?
人は落ち込むと、碌なことをしませんから。どうです、ご友人から見て、久地さんに自殺願望がありそうな様子など、ありませんでしたか?
そうですか、なかった。わかりました。
そういえば、もう一つ。昨夜の市警の聞き取りに対して、こうおっしゃったそうですね。久地さんがひどく取り乱していた、と。かなり無茶苦茶な精神状態だった、と。あれはどういうことです?
なるほど。言ってることが支離滅裂だった、というわけですね。
久地さんは柳沢さんのお宅から帰る際にタクシーを拾われたようなんですが、確かに、タクシーのドライバーも似たようなことを言っていました。
叫び声? 叫び声がした、と? 誰かが柳沢という人の家にいた、というんですか?
わからない。それはそうでしょう。あなたは電話越しに久地さんがそう口走るのを聞いただけだ。では、久地さんの妄想という可能性もありますな。
ええ。もちろん、柳沢さんのご自宅は調べさせていただきました。家の中には誰もいませんでしたよ。
そのことですが、柳沢さんと二ノ瀬さんの死亡について、今回の久地さんの件と何か繋がりがあるのでは、と我々は考えています。これをお話しするのは、あなたなら何かご存じなんじゃないかと思いまして。――過去に、柳沢教授から何かを貰ったとか、買ったとか、そういったことはありませんでしたか。あるいは、二ノ瀬さんから。あなたは何も受け取らなかったかもしれないが、久地さんが受け取っていた可能性は?
まあまあ、落ち着いて。
ご病気なんでしょう。体に障ります。
いえ。お三方から、そういった―― 麻薬の使用を疑わせるものは、今のところ見つかっていません。
妙だとは感じていますよ。この件には、どこか普通でないところがある。
事故としか思えない状況で亡くなった、柳沢教授。それに、評判のいい好青年だった二ノ瀬さんの死。どちらも、一つ一つをとってみれば、さほど異常な死に方ではない。だが、それがこう立て続けに起きたとなると――
それに、久地さんの死。あの死に方は、どう考えても異常です。最後の電話で彼が言っていたという、叫び声だの何だのについては、さっぱりわけがわかりませんが。
大丈夫ですか。かなりごほごほと、その、苦しそうですが。
話はここまでにさせてもらったほうがいいでしょう。また、改めてお電話させていただくかもしれません。
それでは、失礼します。
10月19日 10時12分 (耳野佳苗への電話)
あ――
ども。元気?
元気なわけないか。体調はどう? って言いたかった。
そう。一応回復に向かってるようでよかった。こんな時だもの、何かいいことを見つけなきゃ。
なんて、そんなこと言ってる自分が一番、下向きの気分かもしれないけど。
――ありがとう。優しいね。こんな時に、わたしの心配までしてくれるなんて。わたし達の中じゃ、君が一番、久地君と――
わたしも、電話しようと思ってたんだ。児島君には、ちゃんと自分の言葉で伝えなきゃ、って思って。もちろん、テキスト・メッセージだって内容は伝わるけどさ。そういうのとは、ちょっと違うじゃない? その、うまく言えなくても、言おう、という熱意みたいなものはあるわけじゃん。それをわかってほしくて。
でも、あれからずっと、頭の中がぐちゃぐちゃで。何を言えばいいかわかんなかった。言うべきことなんて、大してないし。
何度も考えてみたんだけど、変わったことなんて何もなかったんだよね。警察にも、散々聞かれたけど、返事は同じ。でも―― もしかしたら、何か重要なことを見落としてるのかもしれない。そんなことを思ってみたり。
――うん、そうだね。説明してみる。もしかしたら、そうすることで何かわかるかもしれないから。それに、児島君にとっても、大事なことかもしれない。わたしの話を聞くことが。
と言っても、ほんとに何もなかったんだよね。ただ、あのお手伝いさん? がいなくなったのには驚いたけど。あの人、結局、今に至るまで居所がわからないらしいの。不気味な話だよね。
そういえば、鍵を見つけて家の中に入って、誰かいないか探して回ってる時、変なものを見つけたんだ。変、というか、ただ気になっただけなんだけど。
廊下を進んでたら、奥の部屋のドアの一つが半開きなのがわかったんだよね。それで、中を覗いたの。そしたら、床の真ん中に何かが置かれてた。何だろう、と思って近づいて見たら、小さな丸い器でさ。底に足が三本ついてて。香炉、っていうの?
中に灰が入ってて、嗅いだことのない香りが辺りに漂ってたから、たぶんそうだと思う。香りはだいぶ薄れてたけど、白檀とか沈香みたいなのとは違う、風変わりなものだということはわかった。エスニック風というか。
で、その香炉の周りに、灰が飛び散ってたの。床に放射線を描くみたいに。何なんだろうね、あれ。何か意味があるのかな。
その部屋は質素で、家具が少なくて、がらんとしてたけど、どこかつい最近まで人が暮らしてたような雰囲気があった。もしかしたら、あそこがいなくなったお手伝いさんの部屋だったのかもしれない。
で、状況はさっぱりだけど、事の次第を電話で報告して、とりあえず作業にかかったわけ。だって、不気味は不気味だけど、そうする以外ないしね。
そうだ、外を見て回ってた久地君が、家の裏に蛇がいた、って言ってたかな。咬まれたの? って聞いたら、咬まれてない、って。姿を見たわけじゃなくて、気配がしただけだ、って言ってたっけ。
とにかく、二人で夕方まで作業して、暗くなってきたんで、わたしは帰ることにした。久地君は、もうちょっと作業をする、もし何なら泊まってもいいか、って言って。
それで、わたし、駄目だって言う理由が思いつかなかったんだよね。だって、教授の娘さんからは、家を好きなように使っていい、って言われてたし、作業が遅れてるのも確かだし。それで、いい、って言っちゃった。
今ではそれを、心底後悔してる。
結局のところ、久地君がどうして亡くなったのか、何があったのかは、わからないままなんだけど。久地君の身に起きたことが、教授の家と関係しているのかさえわからない。
だけど、久地君はあの家に泊まるつもりだったんでしょ。じゃあ、やっぱりそのことが原因なんじゃないのかな。
だとしたら、泊まっていいって言ったわたしにも責任がある、ってことになるよね。
――わかってる。だけど、考えずにはいられないの。本当はどうすべきだったんだろう、って。
わたし、あの時、返事をためらったんだよね。たぶん、無意識に、何かよくないことが起きるかも、って感じてたんだと思う。だけど、それを口に出すことはしなかった。
わたしはただ呑気に、じゃあ、また明日ね、って手を振って、あの家を出たの。
玄関を潜ると、外はとても静かで。
虫の音だけが、辺りを取り巻いてて。
自分が、深い、深ーい森にたった一人で取り残されてる気がして、ぞくっとしたのを覚えてる。
思わず身震いして、足早にその場を立ち去った。何もない、気のせいだ、って自分に言い聞かせながら。逃げるように、一気に麓まで歩いた。
そう―― それで、わたしの話はおしまい。ね、大した話じゃなかったでしょ。
――ううん、わたしのほうこそ、聞いてくれてありがとう。少し、気持ちが楽になったよ。
大丈夫、心配いらない。
児島君こそ、体に気をつけて。心のほうは―― まだ辛いだろうけど。わたしでよければ、またいつでも話し相手になる。
じゃあね。アテマイス。
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