第4話
10月16日 10時22分 (星井京香からの電話。固定電話に録音)
おはよう。星井です。
ええと、昨日のこと、聞いたよね。久地君から、児島君に話したって聞いて、一応わたしからも連絡しておこうと思って電話しました。
といっても、特に新しい情報とかはなくて、ただ様子見を兼ねて連絡した、ってだけなんだけど。――あの、元気にしてるかな。いや、元気ではないだろうけどさ。病気に障るから、落ち込んでほしくないんだ。ごたごたはこっちで片づけるから。
とにかく、心配しないで。わたし達に任せて、治療に専念してね、ってことを言いたかったの。
それからさ、ご両親とちゃんと連絡取り合ってる? 病気の時に親の相手なんてしてられないだろうけど、できるだけ話はするのよ。
それだけ。じゃあ。
またね。
10月16日 20時18分 (星井京香からの電話)
児島君? うわぁ、声を聞くの久し振り。誰の声? って感じだけど。
とにかく、生きてるんだね! いやあ、よかった。あ、大丈夫だよ、死んだかもなんて噂、流れてないから。
昼間、何度も電話くれてたんだね。ごめんね。ちょっと電話に出るのがしんどかったから。――ううん、平気。落ち込んでるっていうかさ、ここのところ色々あったから。教授のこともそうだけど、その後の片づけとか、心配事とか。それで、それがまだ収まらないうちに、二ノ瀬のことでしょう。だから、たぶん、ヒューズが飛んじゃったのかな。
え? ごめん、何言ってるのか全然わかんないや。心配してくれてるのかな? そういうことにしとこう。わかんないけど。
今日の午前中は特に、ごたごたしてて。ごたごた、っていうのは―― ま、警察のこと。なんか色々嗅ぎつけてきて、質問してきてさ。わたしと二ノ瀬に何か繋がりがあると思ったみたい。
ない、っつうの。別れてるし。何年も前に。
きれいさっぱりと、って言いたいけど―― どうだったんだろ。わかんない。
何にせよ、過去のことだし、ここのところは個人的な付き合いはまったくなかった、って強調しておいた。でも、奴ら、含みのある言い方してたから、まだ何か疑っていそう。児島君のところまでは、連絡、来ないと思うけど。
君も辛いよね。二ノ瀬には世話になったんでしょ。なんていうかなぁ―― なんていうか。
駄目だ。言葉が繋がらない。思考がブツ切れ。頭おかしくなりそう。
ふふっ。何言ってるんだろうね、わたし。はあ、もっとしっかりしなきゃ。じゃあね、おやすみ。眠れないけど、おやすみ。
10月17日 7時24分 (耳野佳苗からのテキスト・メッセージ。スマートフォンに着信)
どうもー。耳野でーす。
またメッセージ入れてみましたー。起きてるー?
起きてないか。まだちょっと早いしね。
第一、病人に、起きてる? もないよね。
えーと、特にニュースはないんだけど、京香がブッコワレてるから、わたしが代わりに連絡入れとこうかと思って。ただの生存確認だから、気にしないでね。
京香ねー、ま、たぶん生きてると思うんだけど、かなり落ちてるみたいね。気分的に。沈下してるっていうか。
いや、もちろんわたしだって落ち込んでるよ。まあでも、ずっと塞ぎ込んでもいられないし。やることは山のようにあるんだから、動ける者が動いたほうがいいかな、って。
というわけで、教授の家へ行ってきまーす。
二ノ瀬君の遺した大量の仕事があるはずだからね。久地君にも応援を頼んだ。逃げてなければ、これから駅で落ち合えるはず。教授の家、徒歩だと駅から遠いんだよね。タクシーでも拾うかな。
未整理の資料の山が待ってるかと思うと憂鬱だけど、まあ、警察の相手をするよりは、ね。あいつら、薬物と南米というキーワードから、一足飛びに麻薬という結論に飛びついて、目の色変えてるんだ。ほんと最悪。
いや、まだ、二ノ瀬君の事故の原因はわかってないんだよ。薬物をやってた、なんていうのは奴らの妄想だから。妄想で疑われちゃ、たまったもんじゃないわ。
教授が南米帰りだというところに目をつけて、何か持ち帰らなかったか、とか、南米のどこで誰と会ってたんだ、とか。知らねーっつうの。こっちが知りたいんだってば。
そうなんだよ、アドレス帳をしらみつぶしに当たってみたんだけど、成果はあまりなくて。例のペレイラって人の居場所や正体は、掴めないままなんだ。
ただ、ペレイラを知ってる、って人は見つかって。その人も詳しいことは知らなかったんだけど、ペレイラはおそらくブローカーだ、って教えてくれた。
ガイドじゃなくて、ブローカー。やっぱり、教授の今回の渡航、ただの旅行じゃなかったのかなぁ。
何かの取り引きでもしてたんだろうか?
わからん。謎だ。これ以上考えても、わたしの手には負えない。
ってことで、作業のほう頑張ってきまーす。以上!
10月17日 20時09分 (久地修太への電話)
よう。大丈夫なのか?
お前が人間の言葉を喋るなんて久し振りだな。――怒るなって。興奮するとまた声変わり中のゴリラに逆戻りだぞ。
なるほど。もうすっかり、ってわけじゃないけど、電話できるぐらいにはなってきたんだな。
わかってるわかってる、調子のいい時だけなんだろ。で、今はまあまあだ、と。そりゃよかった。
今? こっちはまだ、教授宅だよ。耳野さんはもう帰って、俺だけ残ってる。というか、帰るのが面倒でさ。明日もこの続きをやるんだし、いっそ泊まっていこうかな、って。それで耳野さんに泊まっていいか聞いてみたら、いいんじゃない、ってことだったから。
もう八時だろ。やっぱ泊まっていこうかな。教授んち、快適だしさ。一人きりなんで、怖いといやぁ怖いけど。
あ、そうだ。あのお手伝いの人、いたろ。じいさんの。あの人、なぜだかいなくなっちまったんだ。
今日来たら、家の中がもぬけの殻でさ。最初は、ちょっと出かけてるんだろうと思って、待ってたんだよ。ところが、一時間経っても誰も帰ってこなくて。耳野さんが痺れを切らして、星井さんに電話してさ。結局、星井さんが教授の娘さんに連絡してくれて、勝手に入る許可をもらったんだ。鍵は玄関のそばの植木鉢の下に隠してあった。
それで、玄関を開けて、耳野さんと二人、おそるおそる中へ入ってみたんだけど―― いや、そりゃ怖いよ。だって、中でじいさんが倒れてたりするかもしれないじゃん。でも、そう思うとますます引き返せないしさ。
そんなことを耳野さんと話しながら、しんとしてる家の中を見て回ったわけよ。あれはなかなか応える経験だったなぁ。
結果、家の中は無人だったんだけどな。書き置きも何も、残ってなかった。あのじいさん、一体どこへ消えたんだ。
でも、耳野さんに言わせれば、ちょっと変わったご老人だったから、こういう奇異な行動を取ってもおかしくないんじゃない、ってことだった。そんなものかなぁ。
で、まあ、ようやく作業に取りかかったわけだけど。いやいや、肩が凝ったぜぇ! なにせ、教授の私物と研究所の資料とその他の蔵書がごちゃまぜになってるんだからな。俺は目は大丈夫だけど、近眼の耳野さんは眼精疲労がヤバイ、って言ってたな。
ほんと疲れたけど、でもさ―― これだけの貴重な資料に囲まれてると、教授って本当に凄い人だったんだな、って改めて感じたよ。あの人がいなくなるなんて、一体、研究所はどうなっちまうのかな。教授の代わりなんて、うちの大学にはいないよな。
教授もそうだけど、二ノ瀬さんも熱い人でさ―― この人達がいれば大丈夫、って、俺どこかでずっと思ってたんだ。それが、二人ともいなくなっちまったんだもんな。不安―― うん、不安だ。
今は、警察だけじゃなく関係ない外野までが、周囲でおかしなことを言い立ててる。ヒボーチューショーってやつよ。ま、表立ってそこまで酷いことを言ってはこなくても、じきにそうなりそうだ。頭にくるよな。あいつら、ラテン・アメリカへのうっすい知識だけで、勝手な憶測巡らしてんだぜ。ケーサツもケーサツだよ。今じゃ、ただの事故死だって言ってた教授の死にさえ、疑いの目を向けやがって……
ほんと、腹立つ。
なあ、俺さ、深い考えなんかなく、教授の研究室に入ったんだよな。そりゃ、南米には興味あったよ。留学もしたし。けど、それは流れっていうか…… 最初は、楽しいんじゃないか、って、そのぐらいの気持ちだったんだ。お前だってそうだろ。いや、軽い気持ちだったって言ってるわけじゃなくて。流れで、っていう点ではさ。だって、日本で暮らしてる俺達に、向こうのことなんてわかるわけないじゃん。まあ、留学はしたし、旅行にも行ったけど、それだって一時のことなわけだし。
スペイン語話してみてぇなー。サッカーも本場のやつを見てみてぇなー。それで、選手やファンと話せたら最高だな。せっかくアルゼンチンまで来たんだし。あ、試合後にスポーツ・バーへ繰り出したら、現地のノリってやつを生で体感できるんじゃね? ――みたいな感じだろ。
だけど、そんなんじゃなかったんだよなぁ。ほんとの、本物の、”体感”ってやつはさ。それは、言葉では言い尽くせない凄さだった。それが忘れられなくて、俺はラテン・アメリカ研究に関わることになったんだ……
さあ。
そろそろ、飯でも探して食うわ。たぶん、何かあるだろ。台所を探してみて、食事だな。
あ、あと、シャワーも勝手に浴びちまおう。それから―― ベッドはどうしようかな。人のを勝手に使っちゃ、さすがにまずいかな。
そういえば、例のじいさんを探して、家の中と外を歩き回ってた時、変な音を聞いたんだよね。がさがさ、って。
それと、スルスルッて。
何だったんだろう、あれ。茂みを覗いた時には何もいなかったけど、マムシか何かかな。
ま、少なくともじいさんじゃなさそうだったし、それ以上探したりはしなかったけど。教授の家、山の中腹に建ってるだけあって、周り全部、大自然だもんなぁ。垣根は一応あるんだけど、裏庭へ行くとジャングル。もう、全部が全部緑色で埋め尽くされてて、どこまでが家の敷地だかわかんねえの。そりゃ、野生動物ぐらいいるだろ、って話。
おう。明日も朝イチからこの作業の続き。ま、疲れるけどさ、今はやることがあるほうが気が楽なんだよなぁ。
そんじゃあな。また。
10月18日 5時27分 (久地修太からの電話。スマートフォンに録音)
ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、はぁ、はぁ。
ぜぁ、ぜぇあ――
ふっ、ふっ、ふっ。
おかしい、おかしい、こんなのおかしいって。
どうなってんだ。何だ、あの――
ゆゆ祐平。俺。
祐平、俺、どうなっちまったんだ。
わぁ――! 叫び声、叫び声。誰か叫んだ。すげえ声がした。
うはっ! ふへっ。グギギギギギ。
逃げなきゃ。逃げ。逃げる。
10月18日 7時3分 (久地修太への電話)
ああ―― あああ――
ふひゃ―― アアアア。
おお。大丈夫。いや、ダイジョウブじゃない。
わからない。まだ何かおかしい。
がふっ―― 苦しい。変な感じ。
死ぬかも。
俺、病気なのかな? 流行り病に罹ったの?
なあ、教えてくれ。
なあ。
なあ。
グゥッ――ウウウ!
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