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見かけるとよく目で追ってしまう人がいる。やや暗めの茶色でセミロングの髪、顔立ちははっきりとしていて目力の強い人だった。その人の名前は後で知ったのだが、ユズと言った。
ユズ先輩のことは銭湯で知り合う前から実は知っていて、私のバイト先であるコンビニによく訪れる常連さんだった。名前を知ったのはユズ先輩が友達らしき人とバイト先に来た時にそう呼ばれていたからだ。そしてその時に、ユズ先輩が銭湯に行っているという話をしていたのを聞いた。
きっかけはこれだった。
別にユズ先輩と会えるかもしれないと思っていたわけではない。実家の周りには銭湯がなく馴染みがなかった私にとって、一人で銭湯に訪れることはいつかやってみたいと思っていたことの一つだったのだ。
だから私は驚いた。併設されているサウナに興味本位で入ってみると、そこにユズ先輩がいたのだから。
*
え、あの人だよね......。うそ、なんでここに......。
私は内心焦っていた。目の前にいたのはバイト先で見かけるのを密かに楽しみにしていた人だったからだ。
コンビニバイトを始めてから一年近く経つが、始めたころからユズ先輩のことはよく見かけた。名前はわからなかったけれどよく見かける女性。購入するのは大抵飲み物で、ドリップタイプのコーヒーと炭酸水をよく買っている。何度も見かけるようになると大抵のお客さんのことはなんとなく覚えてくるが、ユズ先輩の場合は初めて見たその日から印象に残っていた。
ユズ先輩はお会計の後や隣を横切った時に店員に会釈するタイプのお客さんだった。ほぼ一瞬だが視線を交わし、ペコッと頭を下げる。そんなやりとり。とても綺麗な目だなと私は思った。たった一瞬のことだったのにこんなに惹きこまれそうになったのは初めてだった。それから見かけるたびにあの人だ、と思うようになった。
数週間経った頃のこと、いつもはポニーテールだがその日の私はお団子頭でバイトをしていた。同じバイトの子に髪の毛をいじられそのままにしていたのだ。レジ業務をしているとその日もユズ先輩はやってきた。お会計を済ませた後、いつものようにチラッとユズ先輩は私を見る。
「......」
「......?」
しかしこの日は少しだけ間があった。なんだ?と私が思っていると、ユズ先輩が目を細める。ボソッと「お団子......可愛い」と呟くようにユズ先輩は言った。
「......ぇ」
私は固まった。ユズ先輩は何事もなかったかのように去っていく。買っていた炭酸水が無造作に揺れているのがみえた。あのまま開けたら吹き出しそうだ。
可愛い......え?
私はさっきの出来事を反芻する。
あの人、多分可愛いって言ったよね......それに、私のこと認知してるってこと......?
「......っ」
私はこらえるように頬を抑える。
多分、この日からだ。この人のことが気になって仕方なくなったのは......。
そして今。
「......」
まさにその人が目の前にいた。間違えるはずがない、絶対にそう......。
まさかこの銭湯だったなんて......。コンビニの近くに住んでるのかなって思ってたけど、そうじゃなかったんだ......。バイト先から遠い銭湯を選んだのに......。
でも......。
正直に言うと私は嬉しかった。お客と店員以上の関係を望んでいたわけでないし、それ以上のことを知りたいと思っていたわけではない。そうは言っても、バイト先以外の場所で出くわすのは幸運そのものだろう。
しゃ、喋ってみたい。
話しかけるべきかどうか、頭で色々と考えていると視線がこちらに向けられていることに気づいた。視線の意味について私は考える。
もしかして......コンビニの店員と気づいたのだろうか。
けれどもそれは違っていた。
「すみません......同年代はあんまりみないので......珍しいからつい......」
そう言いながらユズ先輩は笑う。向こうから話しかけられたことに驚いて私は反応に遅れた。
「......私も、ちょっと驚きました。若い方がいるとは思わなかったので」
気分が高揚した私は、そのままの流れで自分の名前を名乗った。
*
ユズ先輩は一個上の先輩で○○大学に通っていると言っていた。私の通う大学とはちがうけれど、キャンパスは近いことがわかった。
あれからというものの、いつ来ているのか教えてくれたこととまた会えたらいいね、と言ってくれたことを鵜呑みにして私はサウナに行った。ユズ先輩はもう来ないかもと思っていたようで呆気を取られたような顔をしていた。でも私がきたことは嫌じゃなかったようだ。それから、私もサウナに通うようになり、ユズ先輩とは何度か会うようになった。
でも、ユズ先輩はよく通うコンビニの店員谷原が
レジもやったし目の前に来たんだけどな......。
コンビニにいる時はマスクをしているし、髪も縛っているので仕方ないとは思うのだが、こう何度も見かけているのに気づかれないのはちょっと悔しい。
別々だったら多分私のことをユズ先輩は覚えてはいるのだ。コンビニ店員とサウナでよく合う女が同一人物だということに気づいていないだけで。
ちょっと悔しかったので、苗字とかも教えなかった。
でも前から知っていたと言ったら、ユズ先輩はどう思うんだろうか。
いっそのこと、よくコンビニに来ていませんか?と聞いてみようと考えたが、ずっと知っていたなんて知られたら気持ち悪いと思われるかもしれない。私はそれが嫌だったので聞くことは出来なかった。
向こうから気づいてくれたら......。
変な意地を張ってしまっているのはわかっている。でもこのままでも十分に満たされていたし、今の雰囲気を壊したくはなかった。だから私はそのままでいたのだ。ユズ先輩が気づいてくれることに期待しながら。
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