第2話

 太陽が高くなり、真昼の視神経を直接刺激するような陽光が窓から差し込む。背後から光を受けたフォードのツインテールは、ピンクにやさしく発光しているようだった。


「あなたのお名前は、マスター?」フォードは尋ねた。


「コハル、天野コハル」


 名乗ると、フォードはすっと姿勢を正し、再び目をわずかに赤く輝かせた。


「天野コハル……あなたをマスターとして登録……」


 しばらくビープ音交じりの言語化不可能なうわごとをぶつぶつつぶやいたかと思うと、突然フォードはパッと表情を明るくさせて、飛び込むような勢いで抱き着いてきた。


「コハル!」


 急展開とアンドロイドの意外に弾力のある身体に驚き、私の意識とは無関係に心臓が飛び跳ねて身体が固まった。状況に理解がじわじわと追い付いてくる。胸元にぐりぐりと押し付けられるピンク頭を把握して、私はフォードの両肩をつかんで引きはがした。


「ちょっと落ち着いて、フォード」私は言った。「私はまだ君について名前しか知らない」


「私はコハルのことたくさん知ってるよ?」フォードはあどけなく微笑みながら、可愛らしく小首を傾げた。「アカデミーの3回生で西洋文学専攻、部活動や同好会には所属していないが、ダーツが得意でダーツ同好会に頼まれて大会に何度か出場している、でしょ?」


 恐ろしいことに、全て正解だった。何が起こったのか訳がわからず、製作者であるヒナノに説明を求めて視線を送った。


 ベッドに座ってフォードと私をじっと見ていたヒナノは、訳知り顔を浮かべてふっと微笑んだ。


「フォードはアカデミーのデータベースに常にアクセス可能なんだ。――ああ、心配しなくてもゼミの担当教授から許可は得ているよ。――名前と顔がわかれば個人データはすぐフォードの中にインポートされるようにプログラムしてあるんだ。だから、さっき君が名乗り終えた時点で、フォードは君に関する情報を君の友達と遜色ないくらい知っていた、という訳だよ」


「な、なるほど」1人の学生の自由研究のために個人情報へのアクセスを許可するアカデミーに疑問を覚えつつ、もう一つの手付かずの疑問を投げかけた。「あのさ、もうひとつ聞きたいんだけど、もしかしてフォードってすでに私の恋人なの?」


「当然」ヒナノは頷いた。「この子がマスターに提供するのは疑似恋愛の体験だからね、恋人同士でないと。そうなる前の段階――つまり、好きになってから付き合うまで――も含めて恋愛だ、なんて意見もあるけど、私はそれは所有欲とか獲得欲に近い感覚だと考えているからその工程は省いたんだよ。まあ、そういう感覚のズレとかも含めて、君の意見が聞きたいかな」


 にこりと、若干不自然な笑みを貼り付けたヒナノに見つめられながら、どこからが恋愛なのかについてしばらく考える。しかし、納得できるような答えには辿り着かなかった。人並みに恋愛は経験してきたつもりだが、いざそれがどういう感情であるかを分析するのは難しかった。


「何も今慌てて結論を出す必要はないよ、コハルくん」ヒナノは言った。「少ない情報の隙間を主観で埋めて結論を歪めてしまうよりも、十分に情報が揃ってから判断した方が、よりしっくりくる結論に近づけるだろうからね」


「……何だか慎重派っぽい意見だね、君らしくもない」


「私はいつも結構慎重だよ」ヒナノはこともなげに言った。「ともかく、そういう意見とか発見とか、何でも思いついたことをレポートには書いて欲しいんだ」


「素人の意見がどれだけ役に立てるかは分からないけど、できるだけやってみるよ」


「このアンドロイドはいずれ一般販売する予定なんだから、素人の意見こそ重要なんだよ」


 言い終えるとヒナノはずっと立ち上がった。


「そろそろ私はアカデミーに戻るよ。頼まれていた対アンドロイド用スタンガンの調整がまだ残ってるんだ」


 ゆらゆらした独特の歩き方で玄関に向かうヒナノを慌てて追いかけ、鍵を外してドアを開けた。


「じゃあ、フォードのことよろしくね」


 そう言い残し、後ろ手にひらひらと右手を振ってアパートの階段を降りていくヒナノを見送った。

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