恋愛アンドロイドの過剰な愛情
佐熊カズサ
第1話
「君にこのアンドロイドを預けるよ、コハルくん」
水曜日の午前10時。軽快にノックされた自室のドアを開けると、見知らぬ少女を連れ立った来栖ヒナノが開口一番にそう言った。
講義を1つも入れていないことをいいことに、ついさっきまでベッドに寝転がって雑誌を眺めていた私は、ヒナノの突拍子のない言葉を理解すべく、ぼんやりした脳をゆっくりと動かし始めた。
「えーと……」言葉がゆっくりと消化されて、徐々に状況が鮮明になっていく。同時にいくつもの疑問が流れ込んでくる。「アンドロイドってその子のこと?」
「そうだよ。今回はかなりの自信作なんだ」
ヒナノは琥珀色の目を輝かせて、隣のアンドロイドの肩に手を置いた。アンドロイドは衝撃でわずかにぐらりと揺れて、非現実的なパステルピンクのツインテールが後を追う。
「この子は恋愛アンドロイド。つまり、人に疑似恋愛を体験させる機能に特化したアンドロイドなんだ。君には最終チェックとして1か月間一緒に過ごし、この子が恋人として問題なく行動できるか確認してもらいたい」
押し寄せる情報を処理することははなから諦め、ただ曖昧に「はあ」とだけ返事をした。
ヒナノは常に何かしらの機械を作っては、それを私に見せてくれたり詳しく解説してくれる。はじめはヒナノの話を理解しようとどうにか努力していたが、最近ようやく無駄な努力だったと気づき、今では文章として理解せずに単語単位で記憶しておくことにしていた。
ちらとアンドロイドを見る。赤い目はうつろで、ひたすらに無表情だった。恐らく省電力モードで、立って歩ける程度の機能しか作動していないのだろう。細身で小柄、若干サイズの大きなアカデミーの制服を着こんだアンドロイドはつつけば倒れてしまいそうだった。
「興味はあるしおもしろそうだけど、ホントに私でいいの?」私は尋ねた。「アンドロイドは女の子みたいだし、男性に頼んだ方が適任だと思うけど」
「いいや、性別は関係ないよ」ヒナノは言った。「大切なのはマスターに対するアンドロイドの反応だよ。なによりも正確な情報が欲しいんだ。君の感覚は一般的だし、比較的几帳面な性格だから細かいレポートが期待できる。やってくれるね?」
私は少しの間考え込んだ。というか、考え込んだフリをした。学生アパートのワンルームの狭さや単位につながらないレポートに割ける時間など、本来ならフリではなくまともに時間を割いて考えるべきことがいくつかあったが、興味深い経験ができるチャンスを見送ることなどできなかった。
「まあ、レポートを書くのは得意だからそういう事なら役に立てるかもしれない。いいよ、わかった。その子を預かるよ」
ヒナノは丸い目をさらに見開き、にっと笑った。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」ヒナノは続けた。「じゃあさっそく、君をこの子のマスターとして登録しよう」
ヒナノが言うにはそのマスター登録はそれなりの時間を要するらしく、ドアを挟んだまま30分も話し込むわけにはいかないので、私は彼女と連れのアンドロイドを部屋に入れることにした。
ドアを押さえ、2人……いや、1人と1体を招き入れた。
鍵を閉めて彼女たちの後に続く。洋室へ向かう短い廊下を、ヒナノの後ろをとても静かに歩行するアンドロイドの姿を眺めた。事前にアンドロイドだと知らされていなければ、どこにでもいる物静かな少女と大差ない動作だ。
コンビニや夜警、このアパートの管理にすらアンドロイドは採用されているが、そのような量産タイプのアンドロイドはどうしても細部に違和感が残って遠目からでも人間と区別できた。しかし、ヒナノの造り上げたそれは違った。限りなく人間に近かった。
目の前で目覚ましく進化する技術に驚きと恐怖を覚えつつ、ヒナノとアンドロイドにソファをすすめ、私は向かいのベッドに腰掛けた。
役者が揃うと、説明もそこそこに私のマスター登録が行われた。内容は至ってシンプル、網膜スキャンと指紋の登録、そしてお互いの呼称と声紋の登録だった。
ヒナノと席を入れ替えてアンドロイドの隣に座り、言われるがままに、アンドロイドの目に私の目を接近させてしばらく見つめ合ったり、向かい合って両手を繋いでじっとしたりした。
無音の中で行われるせいでやたらと長く感じたが、登録は首尾よく進んだ。さあ次は声紋の登録だというところで、私は思い出した。
「このアンドロイド、名前は?」
「試作の段階ではフォードと呼んでいたよ。作業時に流していた映画の宇宙人から取ったんだ。プログラムを修正すれば変更も可能だけど」
「いや、いいよ、そのままで」私は言った。
動作テストのためとはいえ、仮にも恋人として過ごそうという相手の名前を自分で決めるのは気味の悪い作業のように思えたのだ。
「ふーん、そうかい」何がおもしろかったのか、ヒナノはくくっと笑った。「じゃあ声紋を登録しようか。名前を呼んで」
小さく頷いて、まっすぐにアンドロイドを見据える。機械相手なのに名前を呼ぶためだけに名前を呼ぶのは緊張する。
「フォード」
その声は、自分でも驚くほど頼りなく芯がなかった。呼びかけると、アンドロイド――フォードのうつろだった赤い目がチラリと煌めいた。
「はい、マスター」
柔らかいノイズの混じった声は、部屋の空気を奇妙に震わせた。
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