第12話
「ただいまぁ。今日は凄く疲れたわ…」
「えぇ、本当に…もぅ動きたくないくらいね、エリンさん」
「はい、お義母様」
販売開始日の夕方早い時間に、私とクレアが算術の宿題をしている最中、お母さんとお婆ちゃんは帰ってきた。
見るも無惨な疲れ果てた表情で、居間の長椅子に寄りかかる2人は、激戦区から帰ってきた満身創痍の戦士のようだった。
「お帰りなさい、2人とも。そんなにだったの?」
「お2人とも、お帰りなさいませ。見るからにお疲れですね…」
「そーなのよぉ!カリンちゃん、クレアちゃん、聞いて〜」
人の噂とは、真に恐ろしい。
お母さんとお婆ちゃんのご友人達から漏れだした噂が、更に噂を呼び販売開始前から街の女性はソワソワしており、販売開始日の今日、師匠の店は開店と同時に女性で溢れたらしい…
レネさんが忙しすぎて目を回し、師匠もヘルプに入り、何故か様子を見に行っただけのお母さんとお婆ちゃんまで店に立ったのだとか。
お母さんとお婆ちゃんの肌を見て、冷やかしに来ただけの人まで、化粧品を買って帰り、在庫として用意した100セットと、単品売り用石鹸50個まで即日完売となったそうな…
「流石に疲れたわ…」
「えぇ、本当に…」
何度目かの疲れたを口にしながら、2人は楽しそうに飛ぶように消えていく在庫の数の減り方を語ってくれた。
「それでね、在庫が無くなっちゃって、それでもお客さんが来るから、試供品を渡してご予約を取る戦法に変えたのよ。良かったかしら?カリンちゃん」
「ありがとう、すごい機転!助かる~!でも、噂って凄いねぇ…どんな噂なのやら…」
「本当に…どんな噂だったんですか?」
「ふふふ…それがね、ふふふ…」
「笑ってないで教えてよ。お母さん」
ニヤつきが止まらないお母さんに変わって教えてくれたのはお婆ちゃんだった。
「ただの子持ちの女性がまるで少女のような肌になれる魔法を使っていないのに魔法の様な化粧品がある。孫がいるような歳の女性に一目惚れした若者が真っ赤なローザの花束を持って求婚に行った。醜い顔が原因で婚約を破棄された貴族の娘がとある国の王子に見初められて婚約した。と、まぁ、ある事ないこと噂されていたそうよ」
「それは、また…規模の大きな噂だねぇ…お婆ちゃん」
「本当ですね…少し驚きです。おば様とハイリ様が美しいのは認めますが…随分尾ヒレがついているかと…事実と認められるのは、最初の一つだけですもの…」
「なんで、そんな噂になったかは分からないけれど、まぁ、商売繁盛で有難いと思わなきゃいけないわね。エリンさんも嬉しそうだし、良しとしておきましょうかね」
「うん。そうだね。とりあえず、明日は学校帰りに直ぐに師匠の所で作ってくるよ。用意した化粧水の試供品も直ぐになくなっちゃいそうだもん」
「そうねぇ。私はお義母様と昼間の間に追加の瓶の発注をしておくわ。他の物の入れ物も追加しないと…」
「えぇ、そうしましょう」
「じゃ、私、お邪魔になるから明日は来ない方がいいかしら?カリン」
「一緒に来てよ。邪魔になんてならないから。なんなら、瓶詰め作業手伝って欲しいよ」
「いいの?お役に立てるなら喜んで一緒に行くわ」
手を取り合ってイチャついている私たちを、生暖かい視線でお母さんとお婆ちゃんが見つめていた。
翌日、クレアと二人で師匠の店に行くと短い行列が出来ていて、私たちは裏口からこっそり入る羽目になった。
「やぁ、カリン、クレア嬢。今日も予約でいっぱいでね…レネさんが、泣きだしそうで困ったよ」
「お疲れ様、師匠。予約分とかできるだけ作ろうと思ったけど…人が多いね。外にもいたし。レネさん、大丈夫かな…」
「少しでも作ってくれたら、有難いよ。すでにこの二日で86件の予約になってるんだ。希少性があるっていうのも珍しい新しいものっていうことも相乗効果で、人の波が途切れなくてね、やっと減ってきたところなんだ」
「そんなにあるの?今日だけじゃ作り切れないね…」
「それでね、カレンや皆さんに相談があるんだ。お店を閉めたら伺うつもりだったんだけど」
「わかりました。とりあえず、石鹸の仕込みしちゃってから化粧水用の蒸留水を作りがてらクリームとオイルを材料あるだけ作りますね。仕入れ、いつになりそうです?」
「特急でお願いすると伝えてあるから、蜜ろうと薬草は明日の昼には届くはずだよ。瓶と容器が2日かかると言われてしまったみたいで、心配だけどね」
「わかりました。じゃ、化粧水は次の休みの日に大量生産しましょう今日は、それ以外で容器があるだけ作る感じですね」
せっせと作業をして、空も暗さを増したころに何とかキリを付けて作業を終えた。
クリーム用の蜜ろうが尽きて、ローザの精油が尽きて、各香りの浸出油の底が見えて、やっとクレンジングと乾燥クリームが50個できただけだった。
明日明後日当たり学校を休もうかと真剣に考えてしまうほど、何もかもがまだまだ足りなかった。
その間、レネさんは一人で3つ予約しようとしていたご婦人と戦っていた。
他所の街に嫁いだ娘さんの分までというご婦人を、生産が追い付かないという理由で説得するのに時間を割いてくれていた。
初めはオロオロしていた彼女も、最後には凛として対応できるほどに激変した。
レネさん曰く、「こんなに良いものを一人でも多くの人に届けたい。でも、今も必死で化粧品を作っている生産者(私)が忙しさに目を回して倒れてしまったら元も子もない。こんなに良いものを作ってくれる人を大切にできないのでは、売り子失格なんじゃないか。生産者を守れるのは、自分だけなんじゃないか」と思ったら、俄然強くならねばと力が湧いてきたとのこと。
そんな風に思ってくれる強い味方が出来たことを、本当に有難いと思った。
店が終わりレネさんが帰り、手伝ってくれたクレアと別れて、師匠と二人で家路を歩く。
私の歩幅に合わせて、大人の足ならすぐにたどり着ける距離を、薬草の話をしながらゆっくりと歩いた。
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