最近、血を抜かれた

健康診断には毎年行っている(業務として)。

前もって「放置すると体やばそう」なタイミングが分かってきたので、それなりの対応をしている(大人として)。

それなのに時折、体調崩しがちキッズだった頃のわたしが顔を出すのだ。当時からの学びとして我慢せずに受診することに抵抗が無かったのは救いだった。


ただ今回はその限りではなく、というのも「なんだか調子が変」の説明ができないために受診を見送り続けていた。

なんか痛い。

なんか気持ち悪い。

なんか嫌。

なんか、さぁ。

これらはほとんど気のせいの範疇だし、主治医もここまでぼんやりと症状を訴えられても困ろうと思った故だった。


その日は突然できた休みだった。

普段のわたしなら、休日と判明した時点で発作的に新幹線かなんかのチケットを取って出掛けちまうことしばしばだ。そもそもそんなに急な休みは無いに等しく、はしゃいでしまうから。

だがこの日は観たい映画が思い浮かんだ。

上映時間を調べると昼過ぎで、ならばその前に、いっちょ体のメンテナンスにでも行って時間潰すか、くらいの軽い気持ちだった。

社会人生活◯年となると、この「いっちょ」は実は腰が重いこと、またそれだけに必要な時間であることを痛感している。


初めましての医師に借りてきた猫状態で辿々しく症状を伝える。明確に説明しづらくて擬音を多用してしまったことは覚えている、ズギューンとか。天使にでも射抜かれている。

担当医は、手元のPCに問診しとんのかという程わたしとは目が合わず、それをどうにか振り向かせようと意地になっていたことは確かだが、ふざけていたわけではない。

しかし、もはやこれまで、とわたしが黙り込むと医師はようやく、ゆったりとこちらへ体ごと向いた。じっと見つめ返してくる。

医師のそういう意味ありげな所作やめてほしい。

この期に及んで自分の置かれた場面を茶化すようなことを考えていると、医師は一言「検査しましょう。」とだけ言った。先生、そんな声してたんですね。

疑いのある病名を挙げられる。聞いたことはあるが、みたいなやつ。詳しくは全く分からないが、これだけは知っている。


放置すると差し支える。わたしの今後に。


その後は別室にて血液検査やらなんやらクリニック内を右往左往した。

嫌いなんだな、注射がよ。とか、

痛くなかった、この人針が上手いタイプだ。とか、ベッドに転がされている内にまた余計なことを考えていたのは、防衛本能だったのかもしれない。いやきっとそうだったと思う。その証拠に他の事柄を一切覚えていない。

気付いたら会計をしていた。

痛い思いをしてお金払うときの病院きらい、と大変失礼なことを考えるような余裕があるようで無かった。


一部検査結果は一旦アプリで手元に届くと言う。

デジタル万歳、気が気じゃない結果を最速で見られるのはありがたいと思った。思うようにしていた。

そこからとにかく歩きまくって喫茶店に辿り着き、扉を開けると充満するコーヒーの香りを肺腑まで吸い込んだ。

自分がかつて喫茶店でバイトしていたこともあり、大抵はこれで落ち着くのだが、この日は全くそんなことは無く指先は冷たいままだった。肩まわりなんて超寒い。

にも関わらず注文はフローズン系なんか頼んじまって、これでは余計に寒くなってしまうわいと無理やり口角を上げた。

映画は行かなかった。

どうせ内容なんて頭に入らなかっただろう。


数日後、果たして運命の通知音が鳴った。

予告されていたよりも早かった。それが何を意味するのか、『どっち』に転がったからなのか、考えるだけ無駄である。

なんでもいいから早く開け。また冷たくなり始めた指先にそう命令してアプリを開いた。


結果は、数値に目立った異常なしとのこと。

少なくとも疑われた中で最も怖れていた結末は避けられたと分かり、誇張なしにその場にしゃがみこんでしまった。腰が抜けるとはこういうことを言うのか。いや違うな、違う、と力無く首を振ってから数分、今度は立ち上がれなくなってしまった。たまたま誰もいないフロアで良かった。まず間違いなく熱中症と思われ声をかけられていただろう。

応対する気力はない。


この他に受けた検査結果はクリニックにて要解説、またおいでとの連絡を受けて出陣した。

相変わらず目が合わない担当医から聞かされた容態は、日常生活内の投薬・通院で改善していくだろうとのこと。


ひと安心だが肝が冷えたには変わり無い。二度とごめんだ。

検査室へ入る瞬間から感じた、背中にぴったりと黒い影が貼り付いているような感覚と動悸。

帰り際の人がまばらに乗った車両で、自分自身が病原体になったかのように思えた切迫感と疎外感。

あのとき明確に自分の足元には一本の線が引かれていた。それがなんの線かは分からないが、踏んだり越えたりは出来ないような気詰まりを感じるようなものだった。

今はその境が霧散している。単純なものだ。

わたしは間違いなく、わたしのこの特性に救われてきてもいる。あまつさえ不謹慎にも、この度の心地の機微をひとつの蓄えにしようとも考えている。

ただ気掛かりなのは、今後も目が合わない担当医と定期的に会わなければならないことだ。意地になってまた変な発言をしないか要注意である。

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