湯けむり道中

最近、

とある温泉地へ旅行に行った。


大学時代を共に過ごした友人と、「部屋露天つき」というプチ贅沢をば。

相方は温泉が好きである。そしてわたし同様に手間を省くための金は惜しまない。そのぶん価値と価格の均衡にシビアだ。

だから今回の宿選びは悔しかったことだろう。



それこそ大学生でもあるまいに「久しぶりだからおしゃべりしながら向かおうよ~」などと宣い、往路は鉄道でのんびりきゃっきゃした。

ほぼ毎日を一緒に過ごしていた間柄は今でも一瞬のうちに復活する。話題は尽きない、気も置けない。あっという間だった。


到着駅で見つけた怪しげな店の昼食に始まり、ガラス工房での加工体験やらお決まりの観光スポットやら。計画通りに進んだばかりではないけれど、こんなのもアリだなと、笑い合える友人に感謝した。

しかしこの微々たるトラブルたちは、いわゆる「幸先の悪さ」だったらしい。


飛び込み入店したディナーは実に当たりで、今年に入って食べた中で一番の肉だった。(体感)

合わせて出た酒も景気よく空け、学生当時の出来事などと絡めた会話は弾みに弾んだ。まさに夢見心地。その後である。

件の旅館への道中にそびえる上り坂は傾斜がやばめで、茹で上がりそうな外気の中ひたすら歩いた。たらふく飲んで食った後に感じる山間の風は柔らかく心地良い。だから標高が上がるにつれ我々の期待度も知らず高くなってしまったのかもしれない。



友人は店員や施設の従業員に対しても無礼を働かない人である。

ところが旅館に着くなり案内してくれたスタッフへの態度が妙に冷たい。ははぁ、これは少しまずい。かく言うわたしも気になった点が無いわけではない。しかし「価値と価格の均衡」が崩れたであろう瞬間を友人は、より敏感に感じ取っていた。

なかなか理想には遠い接客態度を振り切り部屋に着いた途端、靴を放り出した相方は真っ直ぐ奥へ向かった。そして一拍ののち「許さん…」と震える声が、よく響く浴室からこだました。

静かにこちらへ戻り脱ぎ捨てた靴を整え、友人は今度こそはっきりと「許さん。」と口にした。カオナシか。

やはりこの旅館は友人の査定に引っ掛かったようだ。


何がどうとか細かいことはさておき、部屋露天素人のわたしでも分かる。よくある話で、サイト上の画像とは雰囲気がまるで違う。まぁ言わせれば嘘はついていない、という程度の演出だったが、相方は完全にへそを曲げてしまった。宥めすかして連れた大浴場への道すがら、あの一瞬でそこまで見ていたのかと感心してしまうほど細かい点まで見極めた風呂レポを聞かせてくれた。わたしはちょっと面白かった。

こんな暑い中あれだけの距離と高さを歩かせておいてこの仕打ちは、と、とどまらない不平は温泉の湯気に掻き消えた。

温泉が好きな友人ある。



大人しくなった氏を連れ帰り部屋飲みに付き合わせ、名物のまんじゅうを食べた頃には機嫌も直り、寝る間際には「あした朝一番風呂はいる。」と言い残して健やかに眠りについた。

もちろん部屋露天(仮)ではなく大浴場のことである。翌朝しっかり叩き起こされた。


何が言いたいかというと、わたしは友人のそんな単純なところも好きでなのだと再確認した。

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