井上という男
吉祥寺のパチンコ屋の店長が代わり新装すると聞きつけちょうど仕事も無い休日だったので朝から出張って開店前から並んでみた。
大手のチェーン店で釘が締まって回らないと噂されるような店だった。実際僕も何度かこの店で打った事はあるが、あまり良い印象は無い。
開店待ちの客足も思ったより少ない。20人程度だ。
形だけの整理券を受け取って開店と同時に店に入った。さすがに新台は取れなかったが、準新台が選び放題でとりあえず角台を取った。
ボーダーラインをキープするような回転率でしばらく腰を据えて打つ事にした。
2本目のコーヒーを買おうか迷ってる時、300回転を少し超えたあたりで保留変化が起こり赤く変わった。
席を立つつもりで前のめりになっていたが、一旦椅子に深く座り直した。いつも通り保留をきっちり4個貯めて発展していく様子を薄目で祈るように見ていた。リーチタイトルが金色で表示された。確かこの台では確定演出だ。肩の力を抜いて深く息を吐いき大当たりまでのプロセスを楽しんだ。大当たりか表示されると同時に勝負は昇格へと瞬時に切り替わる。昇格演出こそ最大の山場。期待を込めたプッシュボタンをあえて左手で押した。
ブルブルッ、ブルブルッ。
ボタンが振動し見事確変をゲットした。投資一万七千円。本音を言えばもう少し早ければ良かったが、十分回収できる台だけにこの確変に期待を込めた。
ハンドルを握り直し、さあと打ち始めてすぐに手を離した。コーヒーを買おう。普段なら確変中は運が逃げてしまいそうな気がして席を立つ事はしないがその日はなんだか席を立ってみようという気になった。こういう時は直感を信じる方が良い。スッと席を立つ。
楽しみを残しつつ自動販売機へ。いつもの微糖コーヒーを買って喫煙ルームに寄って台に戻った。
完走型の確変。1発目は早めに引きたいと思いながら、ちょうど50回転目に台が暗転し無事に当たりを引けた。早く当たりすぎると次がハマりそうだし、かと言って後半に行けばハラハラしてしまうのでちょうど良い時に引くことが出来た。このまま50回転前後で当たりが引き続けられれば理想的だななんて事を考えながら打っているとラウンド終了後すぐに当たってしまい、早速ペースが崩れ、次の当たりが引けるか不安なラウンド消化・・・・・・。その後もコンスタントにあたりを拾えて結果終わってみれば合格点の11連チャン、一気にまくって30,000円ほどのプラス収支へ。
気を取り直してとお手拭きでハンドルと手を丁寧に拭いてから、再度打ち始めた。一応様子を見てやめるか、台を移動しようと頭の片隅で保険をかけた。
夕方まで一進一退の戦いが続いた。結局同じ台を続け大きなハマりは無かったが、初回連チャン以降まとまった出玉もなかった。
今日何度目かの喫煙タイム、携帯の画面を開くとメッセージが一件。チサキからだった。先日仕事帰りに飲みに行った時、うまい流れで連絡先を交換したのだった。
研修期間が終わって1週間、あれ以来チサキとは直接会っていない。あの仕事帰りに寄った飲み屋が当たりで出てくるつまみがどれも美味く会話も弾み、店の看板を過ぎた2時過ぎまで一緒にいた。チサキは近くの研修者が滞在するビジネスホテルへ。僕はタクシーで帰るという事で別れた。誤配で注意された事などとっくに忘れ思わぬ展開に自分でも心が躍っているのがよく分かった。
-こんにちは。今度の研修先が決まりました!私の地元の千葉です-
-千葉ですか、なかなか遠いですね。実家からは近いのかな?現場が変わると疲れると思うけど頑張ってください-
-ありがとうございます!次の研修が最後なんです。全力でがんばります!-
-チサキさんならどこでも頑張れると思います!応援してますね-
-がんばったらまたご飯に連れてってくれますか?-
スムーズに進んだ文章のキャッチボールが一旦止まる。えっ。いいの?
-それは、もちろんです!-
・・・・・・。
-今日はどうですか?-
ん?んんん?
-僕はかまいせん!休みですし-
まじで。あまり動揺を見せないように繕う。
-やったー!じゃあ19時に高円寺ではどうでしょう?-
-はい!わかりました!-
えー。こんなに早くご飯の予定が決まってしまうなんて。しかも誘ってくれたのはチサキからで、なんだか申し訳がない。男らしくないとも言える。
さて、この台どうするか・・・・・・。時間はまだ1時間以上ある。高円寺なら電車で10分ほどで着いてしまう。
こういう時きっぱりやめる事が出来れば良いが自分の性格上それは難しそうである。浮ついた気持ちでハンドルを握って打ち始める。画面を見ながらニンマリしてしまうことも自分の性格上止める事はできなそうである。
それから30分打っては見たもののどうも気持ちが入らない。なんとなく回り方も悪い気がする。後ろ髪を引かれる感じはあるものの、勢いに任せて立ち上がった。
換金してみると、ほんの少しだけのマイナス収支。最後の30分が勿体無かったなと悔やまれるが気持ちは奥はフワフワと浮いていた。
駅前のドラッグストアで新しいハンカチとウコンを買って準備を整える。駅構内のトイレで身なりもチェックする着古したチェックのシャツだが今持っている洋服中では気に入っているやつだ。鏡に映った自分をなるべく客観的に見てみる。パッとはしないが不潔な感じはしない。印象は、まあ大丈夫だろう。襟元を正していると『これからデート?』と隣から声を掛けられた。
驚いて振り向くと、やあと手を上げる白髪の男。
『やはりそうだ』と、男は口元をニヤッと、メガネの奥の目はギョロリとぎこちなく笑ってみせる。
どうも、と頭をさげる。あの時道にうずくまっていた男だ。間違えない。明るいところで見ると印象が違く見えるが間違えない。メガネにギョロ目は印象に残っていた。
「井上です。先日は本当に助かりました」
構内のトイレの前で人目も気にせず、深々と男は頭を下げた。
「ホテルにいらっしゃらないからどうしたものかと毎日モヤモヤしていました。助けられたままじゃ恰好が悪くて、この後は?デートでしたか?」
「いやいやデートなんかじゃありません。ちょっと飲みに行こうと思って」
「おひとりで?」
「いや、知人と」
「お連れの方は?」
「高円寺で待ち合わせです」
「高円寺ですか・・・・・・。お友達はひとり?」
ええ。と僕は頷いてみせる。
男は少し考える素振りをして、上目遣いに僕をみた。
「わたしもご一緒してかまいませんか?」
「えっ」
「もちろんお邪魔じゃなければですが・・・・・・、ねっ。もちろん私ご馳走様します。もう好きなだけ飲み食いいただいてかまいません。本当です。ねっ、いいでしょう?」
ねっ、ねっ、と捲し立てるように迫ってくる。
「あっ、いや、でも」
僕の素振りなんで気にもかけていないように。何度も何度も、ねっ、ねっいいでしょう?と井上という男はグイグイ捲し立てて迫ってくる。
「ええ、じゃあ、まあ、はい」
高円寺に到着、集合場所のロータリーに約束の時間より少し早く着いた。チサキは先に待っていた。
「お待たせしました」
「あっ、はい。・・・・・・」
チサキはさっそく僕の後ろで、ニヤニヤしているおじさんに気付いて少し動揺しているようだ。
「こんばんは、井上です」
深々と頭を下げた。
「こんばんは」
チサキも同じように頭を下げる。
僕もこの状況をどう説明していいか分からず、えーと、こちらは・・・・・・。と言ったきり続く言葉がなかなか出てこなかった。
うーん。僕がもごもご口篭っていると、
「師匠、師匠、水臭いなー。こんな綺麗な人なんて」
師匠?僕のことか。
井上は相変わらずニコニコ顔である。
「さあさあ、立ってても疲れちゃうから行きましょう。あっちがいいかな、楽しそうな飲み屋がありそうな匂いがプンプンします。私、良いお店を1発で当てる名人なんです」井上は胸をポンと叩いて言った。
僕とチサキは目を合わせて、はあ、と言い。着いていくしかなかった。こんな事になってチサキには申し訳ない気持ちだった。
小声で、ごめんなさい。と伝えると。
いえいえ。と優しく答えてくれた。
少し救われた気になった。
井上は、ニ、三軒入口を覗いてから『ここにしましょう』という。こじんまりした居酒屋、というより小料理屋だった。真っ白な暖簾に、大小奇怪な形に積まれた石が特徴的で、門が前から察するに決して安価ではない店だと一目で判断した。井上は僕たちの意見も聞かずにずかずかと中に入ってしまう。金魚の糞のように後に続く。
一部屋しかない個室がちょうど空いたそうで、そこに通された。調理場が見えるところで、着物姿の女性がふたり。女性が切盛りしているかな?
井上と僕がならび、チサキと向かい合う形で座った。
全員でビールを頼んだ。つまみは適当に井上がチョイスして頼んでくれた。奥から、あいよーという威勢が聞こえてきた。
「チサキさんは、どちらの出身ですか?」
井上が開口一番にチサキに質問をした。
「千葉です。木更津です」
「そうですか、木更津ですか。わたし行ったことあります。大きなホテルがありますよね。えーと・・・・・・」
「三日月ですかね」
「そうです、そうです。だいぶ昔の話ですが仕事で行った事があるんですよ。よくこんなところに大きなホテル建ててお客さん来るのかしらってね。当時は思ってましたが、どんどん開発が進んでアクアラインだのショッピングセンターだのってね。テレビのコマーシャルにも出ててビックリしました。ねぇ、師匠」
急に話を振られて言葉に詰まる、井上の方を向いてゆっくり頷くことしか出来なかった。
チサキは、僕がぎこちなさが余程可笑しかったのか声を出して笑っていた。
ビールで乾杯した後も、話は井上から始まる。
初めは正直辟易していたが、話の間の取り方、ボリュームや仕草、振るタイミングが絶妙なリードをとり、話題についても事を欠くことがなく次から次へとボンボン飛び出てくる。映画だの音楽だの、そうかと思うとチサキが引かない程度の下ネタまで。出てきた料理についても講釈を述べる。それを耳にした女将がわざわざ卓までやってきて、うんうんと聞きながら時にゲラゲラと笑って、『いのさん、いのさん』なんて呼び名をつけた。
はじめは圧倒されていたチサキも、次第にいのさんの話に引き込まれたのか、それから、それから?なんて喰い気味でくるものだから、いのさんは余計にギアが上がって、顔を真っ赤にして話し続ける。
-女将、女将-と厨房から声が掛かる。
「あら嫌だ。ここでお呼びなんて・・・・・・」
女将がいそいそと店の奥へ戻っていく。
それを境に一旦の小休止。卓の上には空いたグラスがいくつも並んだ。そのほとんどがいのさんとチサキのものだった。
「えーと、どこまで話しましたかね」
いのさんは、とぼけた顔で言う。
「甲州街道の中央分離帯で」
チサキの答えに、そうそう、といのさんが頷く。
話し始める前にトイレへといのさんが席を立った。師匠、師匠後ろをちょっと、なんて言って足取り軽やかに小躍りしているように出ていく。それを見て、またチサキも笑う。
「あー、本当に面白い方ですね」
「うん」
「それ・・・・・・、グラス空いてますよ」
「あっ本当だ」
僕も知らず知らずのうちに酒がすすんでいたようで、何杯目かのビールかよく分からない。
「良かったー」
「何が?」
「この前飲みに行った時、××さん全然飲んでなくて、私だけおかわりたくさんしてたから、少し引かれたかなって思っていたんです」
そうだったかな。覚えていない。いつも通り飲んでいたつもりだったが。たしかにチサキは桁外れに飲んでいた。だからって軽蔑するような飲み方ではなかった。
「これでまた誘えます」
フフッと笑うチサキが心底可愛いなと思う。
「いのさんって何者なんですか?」
当然の質問だ。
「××さんの事、師匠って呼んでるし。そもそも突然現れるし。いえ、私は全然いいんですよ。お話すごく面白いし、もっと聴きたいし」
「何者か・・・・・・、まあ、いのさんは、いのさんだよ」
説明したところで、信じてもらえるだろうか。話も長くなる。これ以上聞かれればきちんと答えるが今はこれでご勘弁願いたい。
うーん。チサキは納得していない顔で唸るが、まあいいかと言わんばかりにビールのおかわりを注文した。
「はい、お待たせしましたー」
ビール片手にいのさんが飛び込んできた。
「本当に良いんですか?」
「はい、無理やりついて来たのは私ですし、それにとっても楽しませてもらいました。大金は持っていませんが小金はあるのでどうか気になさらず、ここはひとつ奢られてください」
いのさんにご馳走になる形でこの日はお開きになった。日付はとっくに変わっている。
チサキは今千駄ヶ谷のビジネスに泊まっていて、明日から千葉の現場に向かうそうだ。どうにか終電には間に合い、ふたりでチサキを見送った。チサキは最後まで笑顔だった。本当ならふたりだけで飲みたかったが、楽しんでくれたなら、まあいいか。
下りの最終はまだ先で、なんとなくいのさんと繁華街の方へ出て、ちょっと一杯だけとバーに入った。
「あの子はいい子ですね、頭の回転も早いし、なんたってあの笑顔が良いです」
僕はただ、頷いていのさんの話を聞いていた。
「同じ会社の子のようだけど、職場が離れちゃうのかな?」
「ええ、そうなんです」
「それは可哀想に・・・・・・。でも今の携帯電話はどこでも繋がるし、テレビ電話みたいな事も簡単に出来るんでしょう。大したもんです。ちょこちょこ連絡をとって早く師匠のものにしちゃったらどうです彼女」
「急に何を言ってるんですか。そういうのじゃないと思います。立場が全然違います」
「立場?男と女が付き合うのに立場が関係ありますか?好き同士ならいいじゃありませんか」
「そんな事言われたって・・・・・・」
僕はしばらく黙り込んでしまった。
「あぁ、いけない。ごめんなさい」
いのさんは、急に態度を変えて言った。
「昔からなんです。こういうお節介なところがあるからあなたは良くないとずっと前から妻に言われていたんです。そういう性分はなかなか治らなくていつも言い過ぎて後悔してしまう」
「せっかく師匠と2人きり飲める機会が作れたんだ、この手の話はやめときましょう」
しばらくお互い無言でビールをちびちびやる時間が続いた。
「その後体調はどうですか?」
「はい。お陰様であの時以来発作は起きていません。すこぶる体調は良いです」
確かに今日の様子を見る限り、あの夜の蹲って動かない姿は想像できない。
「いのさんは、どうして吉祥寺に?」
なんとなく聞きづらかったので口にしなかったが、今まで疑問に思っていたことを聞いてみた。
メガネの奥の目玉がギョロリとこちらに向く。
しばしの沈黙の後、いのさんが口を開けた。
「当然の質問です。チサキさんがいる前で聞いてくれなくて良かった。ありがとうございました」
直感的に何かまずい事を聞いてしまったと感じた。
湿っぽい話にはなりますが・・・・・・と前置きした後、『今年のはじめに、妻を亡くしました』と無表情にいのさんは話し始めた。空いたグラスを両手で包みこみ視線は正面の壁に向けられた。
「もう40年近く一緒にいたので、妻がいる事が普通、日常になっていました。それすら気にも留めない存在だったんですね・・・・・・」
聞いた事に後悔した。
「すみません。話したくなければ聞かなかった事に」
「いえいえ、そういうふうにはいきません。改めてこういう話を他の人にするのは初めてですが、ずっと抱え込んでいる訳にはいかないんです。初めて話す相手が師匠で良かったです。少し長い話になってしまうかもしれませんが聞いてくれますか?」
はじめてみるトロンとした目を向けられて僕は深く頷いた。
ーどうもありがとうー
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