レベル0

--みろよ、アイツ新人にペコペコしやがって--。

そんな陰口を叩かれても仕方ない。チサキという研修生は自ら率先して動き、スタッフに的確にそして明確な指示を行う。これはもはや天才というべき存在なのかもしれない。研修が始まって1週間で仕事の枠は僕と同じレベルかその上をいく。悔しいか?と聞かれれば全くそんな事は無い。断言できる。異常に早い仕事ぶりに一体どこでどう仕事を進めているか気になって気になって仕方がない。しばらく観察してみたが、そのカラクリは全くの謎である。興味が湧くとずっと気にかけてしまい、仕事が終わって帰宅する電車の中や家でシャワーを浴びている時やパチンコを打っている時にも、チサキという女性が頭の中に浮かんでくる。

 プライベートではどういう会話をして、日常生活はどう生活して、一緒にパチンコに来たらどういう態度をとるのか、大当たりしたとにはどう喜ぶのかなど想像というよりも妄想にふける時間が日増しになっていった。


 研修の終わりが近づいた頃、一件誤配のクレームが起きた。このクレームが厄介だったのは子供の誕生日プレゼントだった事で顧客の怒りはそれは凄まじいものだったようで電話対応のオペレーターが泣いてしまうほど。すぐに調査が始まり原因究明が急がれた。結果から言うと僕のラベル転記ミスだという事が分かった。正直に言うと心当たりがあった。昨日のこと、最後にポツンと荷捌きに残っていた荷物があって、単純な仕分漏れだと思い通常通り荷についた管理用バーコードを読み取り出荷情報シールを貼る際、誤って前の情報をクリアにせず、そのまま発券、添付してしまったのだ。その荷をそこに置きっぱなしにした作業員も悪いと思うが最終的に仕分けを行った僕に原因ありと判断され管理者に事務所に呼ばれカメラの画像と間違えの記載されたラベル双方を机の前に並べられ事の次第を順をおって丁寧に説明された。

 その時何故か管理者の隣にチサキが並んでいた。

 彼女は終始俯き僕とは目を合わせようとはしなかった。管理者が話している間ずっと姿勢を崩さず机のただ一点を見ていた。

 管理者からの事の顛末とそれに掛かった時間、経費について一通り説明を受けた。普段言葉数の少ない管理者が時間をかけて説明してくれて今回の件がどれだけ大きな面倒をかけてしまったのかと身体中から汗がじわりと噴き出てきたことがわかった。

 『すみませんでした。自分もお客様のところへ行って・・・・・・』

本心だった。行きたくはないが、直接会って謝罪すればいくらか気分は楽になるだろう。30年間の経験論だった。

 『正直そうしてもらうつもりでしたが、お客様は今、まあ一旦落ち着いているし、上と所長とも話してこのまま様子を見ることにしました。今後場合によっては私と一緒にお詫びに伺う事は覚悟していてください』

『はい』

 しばらくはこの罪悪感と共に過ごしていかなければならないという通告だった。

 その時、あのー、とチサキが手を挙げた。

管理者も僕も、ん?とチサキに目をやった。

『あのー、ひとつだけ宜しいですか?』

管理者と目が合った。僕は軽く頷いた。

 どうぞ。

 『ありがとうございます。どうしても言った方がいいかなと・・・・・・』そう前置きしてチサキが話し始めた。

 『私がこの件を聞いた時、たしかに××さんの作業のミスは原因のひとつだと思いました。ただ荷物を置いたままにした作業者は問題にならないでしょうか?』

管理者は、目を閉じて頷きながらチサキの話を聞いた。

『ここに来た時から私は疑問に思っていました。呼ばれたのは××さんだけで・・・・・・。仮に荷物を置き忘れたのが××さんだとすればわかります。ただそうではなさそうなので、その部分だけ気になります』

 ここで初めてチサキと目が合った。まっすぐな目だ。形容し難い顔つきに一瞬怯んでしまった。

 チサキは目線を管理者の方へ向けて、すみませんと言った。

 管理者も深く頷いた後、『その点についてはこちらでも話は当然しているよ』と言った。

 『誰が荷物を放置したかについてもこちらは把握しているし、それは××ではない、他の作業者だったことも承知しています。その上で今回の件の責任は誰にあるのか、限られた時間の中で検討して今こうしているわけです』

 語気は強めで冷たい印象を受けた。

 『責任についていうのであれば、その日一緒に作業していた私にもあると思います。もちろんその場に荷を置いたままにした作業者もです。一緒にこの場に呼んで注意を受けるべきではないでしょうか。少なくとも私が座る席はこちらではなく向こう側です』

 チサキは一歩も引かないといった感じですぐさま言い返す。

 管理者は、組んだ腕を一層強く締め直し、うーん。と唸る。

 『チサキさんの言いたい事はわかりました。とりあえず君はもういいね?現場に戻りなさい』

 僕は『・・・・・・はい』と答えて席を立つ。

 チサキはお人好しなのか、僕を庇ったのか。彼女を残していいのか?

 『チサキさんは少し残って。こちらに』

 僕の座っていた席にチサキをすすめる。

 事務所を出る時、チサキと目が合った。不謹慎かもしれないがチサキは少し微笑んでいるように見えた。


『あのあと30分くらいお説教です』

『ごめんなさい』

『いえいえ、どうしても一言言いたくて。いつもそうなんです。黙ってられないというか、ただの出しゃばりなんです』

チサキと帰りが一緒になった。お互いこんな事があった後だから気持ちが消化不良であった。何か話したい、話をするならお互いにとって最良の相手だった。

 まっすぐ駅に向かえば10分とかからず着いてしまう。チサキはその間ずっと話をしていた。こんなによく話をするなんて意外な感じだった。別に嫌では無い。

 少し飲んでいきますか?話をコシを折らぬよう誘ってみた。

 『仕事帰りに飲むなんて初めてです。そんなに強くありませんが』と言ってくれたので、商店街から一本奥の小さな居酒屋に入った。

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