鈴木祐介1

 高速道路を走るのは、普通自動車免許を取得するために自動車学校に通っていた時から数えて三度目だった。一度目は、教習車の助手席に強面こわもての教官を乗せて、二度目は、親から譲ってもらった軽自動車の助手席に当時交際していた女性を乗せて走った。どんな用事で高速道路に乗り、どんな会話をしながら運転したかは全くと言っていいほど覚えていないが、いずれも、事故を起こし自分の命が失われることよりも、下手な運転を助手席からなじられることや、後続車に車間距離を詰められることに怯えながら運転していたことは覚えている。


 三度目となる高速道路は、まさに今、出社時刻をあと3分で迎えようという非常事態での運転だ。

 今朝、ソファーの上、スーツ姿で目を覚まし、いつもより日が高いことに気がついて飛び起きた。時刻を確認するためにスマートホンの画面をタップしたが充電が切れていたので、慌ててリモコンを探しテレビをつけると、画面左上に、いつも家を出るより一時間遅い時刻が表示された。連日の睡眠不足がたたり、ついに寝坊をしてしまった。

 とりあえずスマートホンに充電ケーブルを差し、スーツを脱いで、シャワーを浴び、さっきまで着ていたスーツをまた着る。歯磨きを適当に済ませてから、11パーセント充電されたスマートホンを荒々しく鞄に入れ、家を出た。車に乗り込み、発進してからシートベルトを締め、いつもは直進する最初の交差点を迷わず右折する。交差点の赤信号に群がる鉄塊の群れの一匹となり、のんびりと通勤すれば会社までは四十分かかる。それでは到底間に合わない。絶対に遅刻だ。出社時刻になんとか間に合わせるためには高速道路を使うしかない。躊躇っている余裕もない。高速道路の入り口への道順を示す青い標識に従って、慣れない道路を、慣れない速度で走る。

 次を左折すれば高速道路の入り口だ。


 合流をぎこちなくやり過ごしてから、すぐにスピードを上げていく。滅多に使わない高速道路を走ることに対する不安と車内に充満した甘ったるい芳香剤の香りによる不快感が、僅かな爽快感に変わっていくのを感じるが、焦燥感と眼精疲労は振り切れない。ブルートゥースでスマートホンと接続された車内のスピーカーからは、「よおふかしーしたってたまあにはいいんじゃんあい?」と微妙にスローテンポな曲が流れており、膨大な残業のせいで睡眠不足である上に、ハンドルを握る手にじっとりと汗をかいた僕を痛烈に馬鹿にしている。両手で強く握ったハンドルから左手を離し、スキップボタンを押すと、今度は、アップテンポな曲が慌てた様子で始まり「おなじことまたくりかえし」と、まさに今の僕みたいなことを言った。もう一度、両手でハンドルを握る。


 間に合うか?いや無理か。いやいや、なんとか間に合う。間に合わなかったらどうする?上田部長にはどう謝る?二十秒に一回、腕時計を確認しながらそんなことが頭の中を駆け巡る。あと4キロメートルでインターチェンジがあることを示す標識が後方に流れてゆく。なんとなくサイドミラーに一瞥いちべつをくれてから、アクセルを強く踏む。分度器に似たスピードメーターがゆっくりと振れていく。時速120キロメートルを超える。高速で回転するタイヤに虐待を受けるアスファルト舗装の路面の悲鳴が、車内のスピーカーから流れる音楽の音量を下げる。


 進行方向を凝視する両眼球が熱を帯び、額を汗が伝う。視界の端、遠く、少しだけ青くかすんだ街並みは、急ぐ僕とは正反対にゆっくりと歩く。

 助手席には、僕のことを心底見下していた強面こわもての教官も、本命の片手間程度に僕の相手をしていた女性も座っていない。ただ、感じたことのある圧迫感と、自分のみじめさを噛みしめながら握るハンドルの感触は、あの日と似ているなと思う。

 事故を起こし自分の命が失われることは、やはり気にせず、間に合ってくれと、ただ願う。

 

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朱夏 Iruka @obs_soc

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