絶対実写映画を許さないウーマンと、絶対実写映画に出るガール
外柄順当
絶対実写映画を許さないウーマンと、絶対実写映画に出るガール
私はこれから、国語教師としてあるまじき、とても主語の大きい事を言う。勿論これは個人の感想である。そんな事は分かっている。
だが、叫ぶ事は止められない! だって、私は骨の髄まで好きを追求したオタクだからだ。
オタクで実写映画が好きな奴、まじでいない。
憎しみを持って、私は過去も未来もそう言おう。
*
私は気付いた時にはオタクカルチャーにどっぷり浸かって生きていた。
息をするように漫画とアニメと小説を摂取して、担任から回されてきたどうでもいいプリントの空いたスペースに、好きなキャラクターの拙いイラストをひたすらに描いたりするような、そういうありふれたオタクだった。
中学の頃は友達と文法もめちゃくちゃな夢小説をノートに書きあって交換したり、文化祭で下手くそなイラストのラメカを配布したりした(今思い出したら痛々しさと若い瑞々しさが同時に襲ってきて悶え苦しんで死にそう。オタクはすぐに死ぬ)
その上で、突出して絵心や文才があったわけでもない、凡百のオタク。
それが私、御津谷 佐里(みつや さり)という人間だった。
ありふれたオタク道を歩んできた私なので、当然、思春期の一番心が柔らかかった時に読んだ、人生におけるバイブルのような作品がある。そしてそれを、心の中に大事に大事に育んできた。その作品の名を『パラダイス☆ガーデン』という。通称パラダガ。週刊少年誌で約十五年に渡り長期連載していたギャグ有りシリアス有りの闇鍋漫画である。
中学の頃、なけなしのお小遣いで単行本を買っては笑い転げていた事を、すぐこの前の事のように思い出せる。
年を取り、国語教師になっても、リアルタイムで本誌で感動の最終回を見届け、青春時代の本当の終わりを感じて、少し泣いた。
では、どうしてこの作品の事を思い出しているのかと言えば、作品完結から数年経った今になって、実写映画になった為である。
もう何十回と読み直したパラダガの電子書籍版をスマホで読み進めながら、今私は映画館のロビーに立っている。
早く飲み物を買いすぎた為か、右手に持ったジンジャーエールMサイズがどんどん掌の熱を奪っていって、感覚が失われつつある。
私はありふれたオタクなので、実写映画を好んでいなかった。むしろちょっと嫌いである。そもそも映画すら、SNSで話題になったものだけしか見ないような浅い人間だった。
だから、パラダガが実写映画になると第一報を入手した時、私の胸中にあったのは、確かな絶望であった。
それが、確かな実力のある監督の手によるものであれば話は別だったのかもしれない。だが、案の定パラダガの、私の青春時代そのものを作る事になった監督は、笑ってネタにする事も出来ないような、本当に救えないレベルの低品質なクソ映画を撮る事で有名な監督だった――。
それが分かっていて何故私が今チケットを持っているのかと言えば、特典に原作の第零巻を付けるという、極悪商法を公式がとりやがったからである。
(これは原作者へのお布施……これは原作者へのお布施……)
そうぶつぶつと念じながら立っている私が、興行収入は別に原作者の懐には入らないという事を知ったのは、映画を見てから三日後の話だ。
私は禄にキャスティングも調べていないし、そもそもの話、俳優や女優、そしてアイドルといった人種に、全くと言って良い程詳しくない。キャラクターの声を聞くだけで声優の名前と顔と代表作まで瞬時に出てくるのに、俳優になるとてんで駄目になる。
だからパラダガの映画に誰が出ているとか、そういう事は一切知らなかった。知ってても覚えられなかっただろうし、私が覚えるべきは、憎き監督の名前だけである。
開場を告げる若い女の子のアナウンスが、映画館に響く。私は一度大きな深呼吸をして、ばくばくと鳴る心臓を押さえつけながら一歩を踏み出した。
入場口で特典を貰った後、このまま帰ってしまおうかとも考えたが、それは流石に失礼だろうか? と、謎の世間体を気にしてしまい、気付けばそのまま事前に指定した座席に座っていた。周囲には私と同年代ほどの若い女性客の姿がちらほら見える。皆、青春時代を実写映画化で脳破壊されに来たのだろうか? 我々は特典に吊られた哀れな子羊だ。一緒の泥船に乗って、死ぬときは同じだぞ――そんな一体感を勝手に抱いて、静かに映画が始まる時を待った。
結論から言うと、はらわたが煮えくりかえりそうな程のクソ映画だった。一度金を払って見たから、私にはボロクソに言う権利がある。
こう俳優に言わせておけば面白いだろう? ん? という、監督のにやついた顔が画面の向こうから透けて見えるようで、何度出て行こうとした事か。
観終わった後は映画のあまりの質に茫然としてしまい、SNSに『無を手に入れた!』なんてオタク丸出しの投稿をしてしまった。一人のフォロワーだけがいいねしてくれた。
だが、思い出したくもない映画ではあるものの、特筆するべき点が、たった一点だけ存在していた。
それは、うちの学校の生徒の一人が、映画のヒロインとして出演していたという事である。
桜庭 巴(さくらば ともえ)。私が勤務する高校に通う、今をときめく人気ナンバーワン若手女優(適当アフェリエイトブログ調べ)。
本当のところを言うと、教え子とはいえども、彼女のいるクラスを受け持ってもいないので、名前だけで知っているようなものだ。偶に教師陣の間でも話題に出るので、かろうじて覚えていたくらい。
彼女は仕事で学校を休みがちという話をどこかで聞いていた。どの都道府県にもありそうな、平均的な偏差値の私立校に、なぜそんな女優が在籍しているのかは分からないが、色々と特別な措置は取られているそうだ。
まさか私の青春時代そのものに、生徒が出演していたとは。そんな事実に、私も年を取ってしまった……と、どこかもの悲しい気持ちになる。
映画の出来を思い出して、余計に落ち込んだ。嗚呼、私の青春時代の全て。あんな、酷い出来の映画でもファンは納得すると思って作られたんだ……。舐められている。とても泣きたい。
桜庭さんになんの非も無いと頭では分かっているけど、「どんな気持ちで台本読み込んだの!?」って詰め寄ってしまいたい。
まあ、一番マシだったのは彼女の演技だったので、本当に、監督は暫く許せない……夢に出てやりたい。生き霊とか、どうやったら出せるんだっけ? 今度フォロワーに相談してみようかな。
*
桜庭さんの仕事を目の当たりにしたからと言って、突然私達の間に接点が生まれる訳では無い。私は彼女の担任では無いし、そもそも彼女はあまり学校に来ない。
だが、校内で彼女の姿を観る事は無くとも、私はパラダガの映画を皮切りに、彼女の姿を頻繁に見る事になった。
私の青春時代に一番の影響を与えた作品と言えば、真っ先に上げられるのがパラダガだが、別にそれだけではない。他にも「ときめきホスピタル」や「断崖絶壁ユーフォリア」……上げ始めたらきりがない程、沢山の大好きな作品に触れて私は育ってきた。――そして、それらの思い出深い作品達は、悉くクソ実写映画化した。
そしてなんの悲劇か、その全てに原作者直筆の特典が発表されたのである。私は財布と精神を削りながら、その全てを観に行った。私は前世で一体どんな罪を犯したというのだろう? 心当たりが無さすぎるから誰か教えてくれないか!
そして、その観たクソ実写映画には、全て桜庭巴の姿があった。そんな事ある!? と叫びたかった。教師と生徒という一点以外で何の接点も無い私達だけれども「仕事はちゃんと選んだ方がいいよ!!」と今すぐにでも教えてあげたかった。
彼女の演技はいつだって悪くない……どころか、作品への出演を重ねる度にどんどんと上達していっているのが、素人の私の目でも分かった。
昨日観に行った映画では、彼女の演技が上手くなりすぎて、逆に浮いていた程だ。上手すぎて浮くって何? 一種のいじめ? どうして生徒がそんな辱めを受けている姿を見なければならないのだ。もっと他のキャストも頑張れよ、桜庭さんは頑張ってるだろ!
そんな「それ、どういう感情?」って自分で思わず突っ込みたくなるような感情が自分の中に芽生えていくのを自覚した時、私はどうしようもなく恥ずかしくなった。
*
最近の私の趣味はというと、小規模な二次創作活動と、桜庭さんの評判をSNSでみる事だった。
彼女のファン達が「もっと良い映画に巴ちゃんを出してあげて!」と悲痛な叫びをインターネットの海に投げかけているのを、私も「禿同……」なんて思いながらそっといいねボタンを押す毎日である。偶にちょっと虚しくなる。これが忙しい仕事の合間にやる事か? いや、正気に戻ってはいけない。この趣味を知っているのは数少ない私のフォロワーだけだし、大っぴらにするつもりもなかった。だからこれでいい。
勿論、現実の彼女には何も言っていない。私は彼女の事なんて何も知らない、ただの冴えない国語教師なのだから。
転機は三ヶ月後にやって来た。
四月、新学期を迎え、桜庭さんが私の担任する事になるクラスの生徒になったのだ。彼女はギリギリだが無事に進学出来たらしい。
器用な子だな……と思うと同時に、どうしてまだまだ教師としてはひよっ子の私が、桜庭さんなんて超イレギュラーな生徒の担任になったのか? という疑問が浮かぶ。学年主任と校長に尋ねてみてもうまくはぐらかされるばかりで、碌な回答は得られなかった。改革した方がいいよ、この学校!
同じクラスに人気女優がいる! という事で、初めは生徒達も浮き足立っていたが、一ヶ月もしない内に彼女は殆ど登校してこないという事に気づき、話題になる事も少なくなった。その分稀に彼女が登校してきた時の盛り上がりっぷりは凄まじかったが。
そんな中でテスト等はどうしていたんだろう? と思い、去年桜庭さんのの担任だった教師に尋ねると、彼女が登校出来る放課後に、特別に補修時間を設けていたという。
勿論余裕があったらだけれど、もし良かったら御津谷先生も考えてみて下さいね、と言われ、その手があったか! と一人納得する。
しかし、一人の生徒の為に放課後を使うなんて、とんでもない待遇である。まあ、学校から有名人が排出された方が、最終的には得になるのだろう。金の匂いを嗅ぎ取り、私は溜息を吐き出した。
……という事情もあり、私は今、放課後、誰もいない教室で桜庭巴と向き合って座っている。
きちんと彼女と話すのはこれが初めてだ。動く彼女を不可抗力で何度も何度も観てきたのに、実際に実物を前にすると、とても緊張する。艶めいた黒髪は枝毛一本も見えず、反射して私の顔まで見えそうだ。首も腕も足も、全てが細く白い。が、健康的な筋肉が付いて……いや、これ以上考えたらセクハラになりそうだから、もっと別の事を考えるべきだ。
「……先生?」
うわ、女優ともなると声も可愛いのか。私のオタク丸出しの低音ボイスとはえらい違いである。
「先生?」
「あッ、はい? な、何?」
「すみません。この問題が分からないんですけど……」
「ああ、ここはね……」
とても貴女で口には出せないような浅ましい事を考えていましたとは言えず、私は自分の思考の愚かさに赤面する。彼女は必死になって勉強しているというのに、教師である私がなんという体たらく。
女優だとか色々ある以前に、彼女は一人の生徒だ。まだまだ子供で、世界の事を学んでいる最中なのだ。私がなるべきは正しい方向へと導く道標であって、クソオタクではない。
気持ちを切り替えるように一度首を左右に振って、もう一度正面から桜庭さんを改めて視界に入れる。現代文のプリントに熱心に向き合っていた。実に健気な姿だ。
「あの、先生」
「何?」
「私のパラダガのヨーコ役、どうでしたか?」
「……へ?」
「身体の妖艶さとギャグキャラらしいキャッチーさを私なりに表現してみたつもりなんですけど」
突然の彼女からの質問に、私は思わず持っている三色ボールペンを落としそうになった。
「ときめきホスピタルも、断崖絶壁ユーフォリアも、ババロアメインストリートも、ハッピートリニティも、先生、好きですよね?」
「え、あ、うん……?」
唖然としている私に一気に畳み掛けるように、彼女はいくつかの作品名を連ねる。その全てが私の青春時代を彩った作品達であり、既に実写化されたものや、まだ決定したという事だけしか分かっていないものもある。
全てに共通して言えるのは、その全てに彼女が出演しているという事だけである。
「あの私、ヨーコの役を受けた時、ちゃんとファンの期待に応える演技をしなきゃと思って、色んな方のSNSを見たんです。そうしたら、これ」
そう言って、桜庭さんは机の横に掛けていたスクールバッグから、シンプルなケースに入ったスマホを取り出して、ある画面を私の方へと差し出す。
彼女の誘導のままに画面を覗き込んだ私は、そのまま思惑通り絶句する事になった。
「わ、わた、私のアカウント……!?」
「やっぱり!そうですよね。絶対そうだと思ってたんです。だってほら、この服装とか、ネイルとか、そうですよね?……じゃあ、改めてよろしくお願いします。"絶対実写映画を許さないウーマン"さん。あ、私も名乗っておいた方がいいかな。"さとも"です。桜庭のさと、巴のともで、さとも。安直でしょ?」
「さ、さともさん!? さ、桜庭さんが!?」
さともさんというのは、私がSNS上で繋がっている数少ないフォロワーの一人であり、私が一番気を許して色々な事を話している人だった。桜庭さんの隠れファンのような事をしている事も、彼女にだけは伝えていた。
「先生が"絶対実写映画を許さないウーマン"なら、私は差し詰め"絶対実写映画に出るガール"ってところですかね? ……先生? 大丈夫ですか?」
「し、死にたい……」
「簡単に未来を捨てないで下さい先生! 先生の為に、私色んな映画に出たんですよ?」
「まじで、それどういう事……」
彼女の口からすらすらと語られる言葉に、私は一切ついて行けていない。おかしいな。さっきまで普通に補修をしていただけなのにな。
「SNSで作品のファンを見る中で、私には先生が一番作品の事を愛しているって伝わってきたんです。だから、先生と仲良くなれば、役作りのヒントが得られるかな……って。そうしていく内に、先生の事がどんどん気になるようになっちゃって、気付けば、先生の好きな作品ばっかり、出演してたんですよ」
「え、あ、……はえ?」
「うふふ、饒舌じゃない先生、可愛いな」
「と、突然インターネットオタクに的確に刺さるちくちく言葉を言うのやめてもらってもいいかな!?」
なんだこの構図、どうして私は生徒に虐められているんだ?
「でもほんと、先生が私のファンになっちゃった事を聞いた時、嬉しかったなあ……先生を担任にして下さいって言ったのも、私からなんですよ。本当に要望が通ったって知った時、嬉しくて踊り出しそうでした」
ニコニコと、天使のような笑みを浮かべながら、確実に私を殺す悪魔のような言葉を並べ立てる、彼女は一体、何者だ?
「先生、次に先生が好きな作品の事、もっともっと、私に教えてくださいね」
もっと先生を私の虜にさせてみせますから!
彼女はそう言って、どのヒロインにも似ていない表情で、笑った。
絶対実写映画を許さないウーマンと、絶対実写映画に出るガール 外柄順当 @sotogara
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