第29話 本気の殺意

『綾瀬が何か思い詰めた顔で、伊集院と二人で帰って行った。私だけだともしもの時伊集院に何をやらかすかわからない。影山、お前も一緒に来てくれないか?』


 今日日和達にも瑠奈との事をきちんと説明した事もあり、太一が景気付けにどこかへ行こうと話をしてくれていた時の事。


 放課後、切羽詰まった表情の獅堂は俺にそう言った。


 瑠奈と話をした昨日の今日だ。瑠奈が伊集院との関係にケリをつけようとしている、そう直感した。同時に言いようのない嫌な予感も。


 あの屑の事だ。瑠奈が別れを切り出した事で逆上しないとも限らない。


 そう思うと俺は、着いて行くと言ってくれた皆と共に急いで向かったわけだが――


 ‥‥何だこれは?


 俺達が向かった時には、既に人溜まりが出来ていた。人溜まりを掻き分けて中に入っていくと、今正に拳を瑠奈に向かって振り上げようとしている伊集院の姿。それに耐えようと必死に唇を紡ぎ耐えようとしている瑠奈。


 この男は一体今、瑠奈に何をしようとしているんだ?


 生まれて初めて、人を殺したいとさえ感じた。


 俺はずっと我慢していたのだ。この屑野郎に対しての溢れんばかりの殺意を。


 そう、我慢していただけだ。理性で。


 瑠奈と伊集院、どちらから関係を待とうとしたのかなんてどうでもいい。よくも俺から瑠奈を奪ったなと、本当は激情のままに殴り倒したかった。だけど暴力だけはしたくない。何の意味もないからだ。立場が悪くなるだけ。


 それなのに‥この屑は‥


「お前‥何やってんだ‥?マジで殺すぞ」


 怒りが頂点に達した時、気づけば俺は伊集院を力づくで下に組み伏せていた。伊集院は離せ離せと滑稽に喚いて抵抗するものの、俺に為されるがままだ。


 喧嘩などはした事がない。今まで一度も。だけど本気の怒りというのは、理性をその代償としてこんなにも強い力を引き出してくれるらしい。


 俺はそうする事が、さも当然であるかのように初めて人を殴ろうと固く握った拳を無言で振り上げた。


「ひぃ‥」


 整った伊集院の顔が恐怖で酷く歪んでいる。俺はその顔を見ても何の感情も湧かず、そのまま拳を思いっきり振り翳した。


「がは‥っ」


 苦悶の表情を浮かべる伊集院に、俺はもう一度拳を――


「ゆうくん!!!」


 後ろから懇願するように抱きしめる小さな身体。


「「優斗!ダメだ!!」」

「影っち、やめて!」

「影山、落ち着いて!!」

「影山!!」

「優斗くん!ダメ!!」


その温もりでようやく、瑠奈や一緒に着いてきてくれた皆が俺を必死で止めてくれている事に気づいた。


「‥ダメだよ‥ゆうくん‥!そんな事したら‥ゆうくんが‥悪者になっちゃったら‥こんな人の為に‥そんなの‥絶対に嫌だよ‥!」


 もはや誰の声も届かなかった俺の脳が、日和のおかげで徐々に理性を取り戻していく。


「‥日和‥ごめん‥みんなも‥俺‥」


 いつもの俺に戻った事で、太一達も心の底から安堵していた。自分が取り返しのつかない事をしてしまった事に気づき、身体の力が抜けていく。


「ごめん‥みんな‥じゃねえよ!!ふざけんな!こんなん立派な暴行罪だからな!?」


 仕方なく解放してやると、立ち上がった伊集院は今にも殴り掛かろうとする勢いである。


「影山ァ、これで済むと思うなよ!?!?」

「それはこちらのセリフだ。見ろ、アレを」

「‥あ?」


 俺が言い返すよりも前にそう言ったのは獅堂だ。彼女の指差した先には防犯カメラがあった。


「お前が綾瀬を殴ろうとしていた瞬間もキッチリと映っているだろう。見ている人もこんなにたくさんいるんだ。たとえお前が交番に駆け込もうと、お前の言い分だけが認められると思うか?少なくともお前の心象は最悪だろうな」

「ぐ‥」

「それと‥私の父が警視庁の上役でな。私の事を溺愛しているんだ。お前の戯言ぐらいいくらでも揉み消してくれるだろう。ドラマとかでもよくあるだろう?」

「ふざけんな!そんな事が実際にあってたまるか!!」

「‥勘違いするなよ下郎。影山が手を出さなければ、私がお前の首を刎ねていたかもしれん。そうならないよう、影山を呼んだまで。真剣がなくとも、その気になればいくらでも獅堂家の人間にはやりようがあるぞ?‥今ここで試してみるか?」


 冗談か本気か分からないような事を真顔で言い放った獅堂は、それでも尚怒り狂う伊集院に綺麗な古武術らしい構えを見せた。


 本気で手刀一つで首を落としてしまえるとさえ思わされてしまう程の美しい構え。こちらまで身震いしてしまいそうになる獅堂の本気の殺意を感じる。


「‥クソ‥覚えてろよ‥影山‥絶対このままじゃ終わらせねーからな?」


 この場にいる全員が息を呑む中、伊集院もヤバさを悟ったのか苦々しげに呟き逃げるように帰って行った。


「ふん、実にくだらぬ男だ」


 伊集院が去り獅堂の殺気が解けた事で和やかなムードになりそうな中、それを許さまいと傍観していた生徒達が騒ぎ出す。


「綾瀬、言っていた事は本当なのか‥?」

「瑠奈、怪我は大丈夫?‥言ってた事は本当なの?影山くんと仲良かったのに流石にこれは酷すぎない?」


 ‥どう言う事だ?何でそれを知ってる?


 俺は瑠奈が殴られそうになっていた所からしか知らない。


「影山‥これ‥」


 そう言って見覚えのある同級生の男子生徒が見せてきたのは瑠奈のスマフォ。まさか――


「綾瀬が言ってたんだ。自分が伊集院と浮気してたって。しかもこの会話‥酷いな」


 男子生徒は顔を顰める。


 瑠奈が言った?何で?


「違う!瑠奈は伊集院に騙されていただけだ!この会話だって‥嘘‥!そうだ、捏造なんだ!」


 許したばかりじゃないか。昨日ちゃんと話をして解決したと思ってたのに、どうしてそんな無茶を?


「そんな事言われたって、こんなん見せられたらさあ‥。捏造なんてどうやってすんだよ。てか何でお前が綾瀬を庇うんだ??」

 

 冷や汗が止まらない。確かに何も知らない人間からすれば、俺が瑠奈を庇う事は理解不能だろう。


「ごめん!」

「‥あ、おい!」

「瑠奈!!」

「‥‥優斗‥」


 俺は咄嗟にスマフォを奪い、呆然と縮こまっていた瑠奈の手を引く。


「優斗、ここは俺たち四人に任せろ!」

「ああ、綾瀬を癒せるのは俺たちじゃない。小日向と獅堂、あとムードメーカーの姫野先輩が適任だろう。早く逃げろ!」

「影っち、後は頼んだ!」

「綾瀬さんをお願いね!」

「みんな‥!恩に着るよ‥!」


 太一達同じクラスの四人に質問攻めの生徒達の対応を任せ、残る四人で走り出す。


 走りながら息一つ切らさないで隣を走る獅堂に先ほどから疑問に思っていた事を聞いた。


「なあ獅堂、さっき言ってた事って‥」

「ああ、揉み消すって言った事か?あれは勿論嘘だ。嘘どころか私が自分の立場を利用してこんな事を言ったと厳格な父が知れば、私は首を刎ねられるだろうな」

「首が刎ねられるってのは流石に比喩だよな!?」

「いや、あの人ならやりかねん。まあ、あの屑に対しての脅しにはなっただろう。ふふっ‥だがまさか私の歯止め役に連れてきたお前が殴ってしまうとはな」


 獅堂はそう言うと、気持ちのいい笑みを見せる。微笑ではない獅堂の笑顔を見るのは初めてかもしれない。


 俺は勿論この場にいる皆もわざわざ言いふらしたりする事はないだろう。だけど、それだけ危険を顧みずに俺を守ろうと獅堂がしてくれるなんて。


「獅堂‥」

「謝るなよ?元々お前を呼んだ私が悪いんだ。お前は綾瀬を守ってくれた。それに前はああ言ったが私はもう‥お前も、来てくれた他の者達の事も友だと思っている。その為なら別にこの首も惜しくはないさ」


 友と面と向かって言うのが恥ずかしいのか、少し照れくさそうに獅堂は笑った。


 勿論獅堂の首が刎ねられる事は絶対に避けるが、まずは落ち着いて瑠奈に何があったか詳しく話をする事が先決だ。

 

「とりあえず俺の家に来てくれ!」


 俺の家まで学校からそう遠くはない。だが走るとなると結構体力がいった。そう時間をかけずに俺の部屋まで来たものの、俺と胡桃先輩は運動不足だからか息も絶え絶えだ。


「ごめん‥はあ‥はあ‥みんな‥巻き込んで」

「‥ん‥大丈夫だよ‥」


 息一つ切らさない獅堂の事は予想出来たが、日和の足が意外と速く体力がある事に驚いた。


「はあ‥はあ‥お姉さん‥最近太り気味だし‥丁度いい運動になったわ‥」


 姫野先輩は既に虫の息ながら、笑顔で親指を立ててくれる。


 瑠奈はここに来てからもずっと困惑の表情を浮かべたまま。俺と胡桃先輩の息が整った所で、瑠奈が今にも泣き出しそうな顔で皆に向き合った。


「ごめんなさい‥本当に‥優斗‥みんな‥」

「馬鹿!なんで一人で勝手に無茶したんだよ!!そんな事しなくたって昨日ちゃんと話しただろ!?もういいんだって!」

「だって‥でも‥どうして優斗は‥私なんかの為に‥」

「瑠奈の事が今でも大事だからだよ!!!」

「‥え?」

「色々あって‥最初は許せなくて‥正直復讐してやろうって思ってたよ!でも昨日ちゃんと瑠奈の気持ちを聞いて、痛々しい姿を見て‥!やっぱりこれ以上自分を責めないで欲しいなって本気で思ったのに‥なんでそんな無茶をするんだよ!」


 一度は瑠奈に対して復讐したいと考えた俺が、こんな事を瑠奈に言う権利なんてあるのだろうか。それでもどうしても勝手に無茶をした瑠奈に、やるせない怒りを瑠奈にぶつけてしまう。


 俺はこの先、異性として瑠奈をもう一度好きになる事はないと思う。それでも今はまた大事な存在になった事には変わりない。


「綾瀬‥私もいるぞ。忘れるな」


 獅堂が言うと、瑠奈の涙腺が堪えていたものを全て吐き出すかのように崩壊した。


「凄く、凄く頑張ったわね‥大した度胸よ‥本当に」

「‥ん‥よしよし‥」


 それを見た胡桃先輩が後ろから瑠奈を抱きすくめ、日和が優しく瑠奈の頭を撫でる。


 瑠奈が落ち着くのを待ってから、伊集院に何をされそうになったのか詳しく聞く事にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る