第27話 綾瀬瑠奈は今の気持ちを伝える
「瑠奈!開けてくれ!いい加減にしろ!!」
何回かドアに呼びかけているものの一向に返事が来ない。言葉が荒くなってきたからか、綾香さんが心配そうに後からやってきた。
「すいません。今は二人だけで話をさせてくれませんか?多少手荒になるかもしれないので、あまりこんな所を見せたくありません」
「そ、そうよね。分かったわ」
綾香さんが見えなくなった事を確認して、ドアを強めに叩いて再び呼びかける。
「いつまでそうやっているつもりだ!このままずっと学校に来ないつもりか?」
何としてでも今日ちゃんと話をして、終わらせる。これ以上絶対に引き延ばしには出来ない。
するとしばらくして、中から声が聞こえてきた。耳を澄まさないと聞こえない蚊の鳴くような声だが、確かに瑠奈の声だ。
「優斗‥‥何で‥‥来てくれたの‥?」
「やっと返事してくれたな。早く開けてくれ。ちゃんと一度話をしよう」
「無理だよ‥私優斗に取り返しのつかない酷い事をしちゃって‥合わせる顔がない‥優斗が私と話をしたいって言ってくれてる事は聞いてたけど‥私‥怖くて話せないよ‥」
話すのが怖い、会いたくないという気持ちは理解できる。だけど俺は別に心配したからという理由だけでわざわざ家まで来たわけじゃない。
「ふざけんな!!謝りたいって思うなら、尚更こんな事されちゃあこっちは大迷惑なんだよ!!」
俺だってそこまで善人じゃない。気づけば溜まっていた不満を激情のままに言葉にしていた。
「浮気したお前にそんな調子でいられると、何故か俺が毎日モヤモヤしたままなんだよ!!言っとくが別に心配したってだけで来たんじゃねーからな?一体どういうつもりで、こんな事してるのか聞きにきたんだ!大体、あの別れ方は何だ!?浮気して俺を嵌めようとしてたんなら、涙なんか見せんなよ!調子が狂うんだよ!こっちは被害者なのに、後味が悪いんだよ!今日はお前ときっちり話をするまで俺は――」
帰るつもりはない。そう言おうとした時、静かにドアが開いた。
「ごめんね‥優斗。私から連絡するべきだったのに‥どうしても顔を合わせる勇気がなくて‥」
「何て顔してんだよ‥っ」
顔を見せた瑠奈を見て、俺は絶句する。パジャマ姿の彼女には全く生気を感じられず、目の下は隈だらけだ。いつも手入れが施されていた髪もボサボサで、まるで本当の病人のように見えてしまう。
まるであの時の俺のよう。いや、見た目だけなら瑠奈の方がもっと酷いかもしれない。
その痛々しい姿を見るだけで、どれほど自分を責めていたのか分かってしまう程に今の瑠奈は憔悴しきっていた。
「‥入って?話、するね‥」
声を震わせながら部屋の中に案内される。部屋の中は色んな物が散乱しており、正直客を招き入れられるような状況ではない。
ベッドの上に座った瑠奈は部屋に入ってからもずっと俯いたままだ。俺も元恋人のあまりの変わり様に、呆然としながらも隣に座る。
流石にこんな様子の瑠奈をこれ以上責める気にはなれない。山程考えていた筈の文句がもう思い出せなくなっていた。
「大丈夫なのか?飯とかちゃんと食ってるか?」
「‥優しいね、優斗は。こんな時まで‥私のこと‥」
今にも泣き出してしまいそうな瑠奈を見て、怒りどころか胸がチクリと痛み始める。
今の彼女が演技をしているなどとは到底思えない。それだけにどうしても疑問が湧いててしまう。それは、俺が今日一番瑠奈に聞きたかった事でもある。
「瑠奈、何でそこまで落ち込む必要があるんだ?そこが分からない。‥‥もう正直に言うよ。ごめん、俺伊集院とのメッセージを勝手に全部見たんだ。嘘告で付き合った事。俺の前に伊集院に抱かれてる事。俺をもう保険としか思ってない事。卒業式の後の計画の事‥全部見た。だから俺は別れる決意をしたんだ。なのに‥」
今の瑠奈を見ているとあのLINEは幻で‥俺はその幻をずっと見ていたんじゃないかとさえ思う。酷い悪夢を見て、それに惑わされた俺が瑠奈を勘違いで振ってしまったんじゃないかと錯覚すらしてしまう。
「見たの‥?あれを‥?‥そんな‥」
顔を真っ青にしながら、自分を責めるようにごめんと呟き続ける瑠奈にもうこれ以上何も言えなくなっていた。もう俺は瑠奈を抱きしめたり、頭を撫でてやる事は出来ない。
泣きじゃくる瑠奈から後悔の気持ちが、嫌と言うほど伝わってくる。俺はただただ彼女の言葉をゆっくりと待つ。
少し落ち着いた後、彼女は一から全てを話した。
浮気していた事は事実で、そこには弁解の余地はない事を正直に話してくれた。メッセージは伊集院に合わせていた所もあれど、嘘告や、その時は本当にもう俺の事をキープ扱いするようになっていた事も事実だと。俺との大事な話よりも、伊集院の誕生日を優先した事も事実だ、と。全部自分から話してくれた。
元彼としては正直聞いていて辛い話しかない。だけどこの期に及んで嘘を吐かれるよりかはずっといい。
何より声を震わせながらも、精一杯自分の言葉で説明しようとする今の瑠奈からは誠意しか感じられなかった。
「でも全部間違ってたの‥。私、伊集院君の事が好きなんだって、ずっと思い込んでただけだったの‥私‥やっぱり‥」
大粒の涙を流しながら、途切れ途切れに瑠奈は言葉を紡いでいく。
「優斗の事が大好きだったみたい‥こんなになっちゃうくらい‥本当に大好きだったみたい‥!私だけを見て大切にしてくれる事が‥本当に‥どれだけ幸せな事だったのか‥やっと気づいたの‥そんな貴方を裏切って‥そんな自分が嫌になって‥何をする気にもなれなくて‥もう元の関係に戻りたいなんて私は言えないけど‥せめて優斗にちゃんと話して謝ろうと何度も思ったけど‥そんな勇気も持てなくて‥」
ただの罪悪感ではなかった。これが、瑠奈が引き篭もっていた理由。‥正直一つの考えてとしてはあった。だがどうしても伊集院とのやりとりの印象が強くて、実際に瑠奈の口から聞かないと信じる事が出来なかったのだ。
自惚れだ、そんな事はありえないと勝手に俺はその考えを断じて否定していた。
「‥‥‥‥よかった」
瑠奈の話を聞いて、俺は心の底から安堵していた。
「‥え?」
「だってそれって、今まで俺といた時全部演技じゃなかったって事だよな?」
「演技じゃないよ‥!信じて貰えないかもしれないけど、今思えばどれだけ優斗といる時間が幸せな物だったか‥!」
「そっか‥そうなんだ‥良かった。俺も瑠奈といる時‥本当に幸せだったから‥あの思い出が全部嘘なんかじゃないと分かって‥本当に良かった‥」
救われた。
あの時一番辛かったのは、浮気された事以上に、俺と瑠奈の二人の時間を全て否定された事だ。
嘘告から優しいという理由だけでこれまでズルズル付き合ってただけ、パッと出の伊集院の考えた計画に乗ってしまう程、もはや瑠奈にとって俺は取るに足らない存在だと思われていた事がどうしようもなく辛かったのだ。
でも今こうして瑠奈が否定してくれた事で、心の中の霧が全て晴れていくのを感じる。
「今日話を出来て本当によかったよ。最近の瑠奈は伊集院に影響されたのかマジで変だったから、久しぶりに俺の知ってる瑠奈と話した感じがするわ」
「そんな‥私だって‥まさか優斗が来てくれるなんて‥」
「なあ瑠奈、学校来いよ。お父さんもお母さんもめちゃくちゃ心配してるの知ってるだろ?獅堂もかなり心配してたぞ?」
「‥‥そうだね。二人にもちゃんと謝らなきゃ。獅堂さんは何回も私に連絡くれたのにちゃんと返事を返さなくて悪い事しちゃったなあ‥」
「ちゃんと学校に来て話してやれよ?明日だからな」
「‥‥うん。分かった」
「じゃあ、俺はそろそろ行くわ。綾香さんめっちゃ心配してたし、早く瑠奈から話してあげた方がいいだろうしな」
綾香さんに挨拶をして帰ろう、とドアを開けようとして大事な事を言い忘れている事に気づく。
それを言わないと、瑠奈はまだずっと囚われたままになるかもしれない。
色々相談していた日和達には後でちゃんと説明する事を心で誓い、瑠奈の事をここでハッキリと許す事にした。
「ありがとう瑠奈。正直に全部話してくれて。これで俺も前に進める。あと‥全部許すよ、瑠奈。だからもう自分を責めなくていい」
「‥‥っ!!優斗‥ありがとう‥」
ドアを閉めると又聞こえ始めた嗚咽に、俺は瑠奈を許した事は間違いじゃないと確信しながらその場を後にした。
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