第21話 心にかかったモヤ
「どういう顔して日和に会えばいいんだよ‥」
朝食を食べながら、俺は誰もいない部屋でもう何度目かの同じ言葉を呟いていた。
昨日の夜からずっとこんな感じだ。ふとした瞬間に帰り道での出来事を思い出して、ドキドキしてしょうがない。おかげさまで完全な寝不足である。
日和って意外と大胆な所があるんだなあ。
布団入り込み事件の後は、不意打ちのほっぺへのキス。ほっぺにキスなんて、映画でハリウッド女優がしているのをたまに見るくらいだ。記憶を辿っても瑠奈にもされた事がないと思う。
唇同士のキスとはまた違う高揚感。少し触れられただけなのに、まだ感覚が残っていると錯覚するくらいに忘れられない感触だった。
「どういう顔して日和に会えばいいんだよ‥」
頬に手を触れ、また同じ事を呟く無限ループ。我の事ながら気持ち悪い。そんな悶々とした朝を過ごしていると、自宅の電話が一階から鳴った。
朝から誰だろうと思いつつ、発信者を確認して一気に緊張感が高まる。電話をかけてきたのは瑠奈の実家であった。
もし瑠奈が電話をかけるならスマフォからだろうし、おそらく瑠奈の母親――
俺と瑠奈はお互いの両親公認のカップルだった。綾香さんは優しくて歳を感じさせない綺麗な人だ。俺にもいつも良くしてくれていた。
瑠奈は一週間学校に来ていない。瑠奈がどう親に説明しているのか知らないが‥。自分が悪い事をした訳でもないのに少し警戒しながら電話を取った。
「‥はい。影山です」
「もしもし?瑠奈の母です。朝早くからごめんなさい。今、少しだけいいかしら?」
「お久しぶりです。まだ学校まで時間がありますので、少しだけなら大丈夫ですよ」
「ありがとう。それが‥瑠奈の事なんだけど、ずっと休んでいる事は知ってるわよね?‥単刀直入に聞くけど、貴方達別れたの?」
「えーと‥」
「こんな事親が介入する問題じゃないのは分かってるんだけど、ごめんなさい。本人は風邪だって言ってるんだけど、全然そんな感じじゃなくて。いつもならあの子が風邪を引いたら真っ先にお見舞いに来てくれてたのに、今回は来てくれないから‥。優斗くんなら何か分かると思って電話したの。あっ、責めてるわけじゃないのよ?絶対何かあったと思ってね?」
「それはですね‥」
朝からいきなり聞かれた事もあって、言葉に詰まる。綾香さんの言う通り、瑠奈が体調が悪い時はいつも真っ先にお見舞いに行っていた。そんな俺が瑠奈が休んでいるのに、連絡すらしないなんてそりゃあおかしいと思うだろう。
瑠奈は綾香さんに風邪で学校に行けないと説明しているようだ。言葉を考えて黙ったままの俺に、綾香さんが申し訳なさそうに話を続ける。
「本当にいきなりごめんね。あの子、ご飯もろくに食べないでずっと部屋に引き篭もってるのよ‥たまに見せる顔は本当に、別人みたいに暗くて‥。ずっと眠れていないみたいなの。このままだと母親として私、とても心配で‥お願い優斗くん。別れたかどうかだけでも教えて欲しいの」
それを聞いて、心配はおろか無性に腹が立ってきた俺は器が小さいのだろうか。別れを告げた日、瑠奈は泣いていた。その意味をここ数日ずっと考えていたが‥。その時瑠奈が何を思ったのか、今何を考えて引き篭もっているのか完璧に知る由はない。だが大体は想像できていた。
あの時俺が見た瑠奈の様子、綾香さんから聞いた今の瑠奈。本当に彼女は心から罪悪感を今抱いているんだと思う。
‥くそっ、それなら最初から浮気なんかするなという話だ。あんな裏切り方しておいて、別れてからもモヤモヤさせやがって。
瑠奈の浮気を知ってからの俺の体調はそれは酷い有様だった。おそらく、今引き篭もっている瑠奈よりもずっと胸が張り裂ける想いをしながら。
ざまあみろと言ってやりたい。俺はもっと辛かったんだし報いを受けろと言ってやりたい。だが同時に今の瑠奈の様子を聞くとそれだけじゃない、何かが心に宿ってきている事もまた確かだった。
今も反省する事なくいてくれてる方が、俺もずっと楽なのに。
反省して落ち込んでいる事は分かった。だからといってそう簡単にはまだ許す事はできないが‥そこはやはり好きだった元恋人だったよしみだろうか。正直日和や太一達、先輩の存在で瑠奈に対する憎しみが日に日に薄れていっている事は事実だ。
‥‥もっと正直に言えば、今の彼女へ復讐するかどうかも迷っている。伊集院の事は絶対に許せないが、話を聞けば聞くほど屑なのでいくらでも伊集院への復讐方法はありそうだ。
一度、瑠奈とちゃんと話をしないといけないのかもしれない。今、瑠奈が何を思っているのか直接真意を知りたい。俺の心に引っかかっているモヤを取り除く為にも。
それに俺と瑠奈、伊集院の事は日和や太一達、姫野先輩にも相談済みだ。もうこれは俺一人の問題じゃない。寄り添ってくれた友達は俺が迷っている事を聞いて何て言うだろう。
甘い奴だと呆れられるだろうか?それとも――
「瑠奈とは別れました。ちょうど一週間前です。‥僕から別れを告げました」
綾香さんが自分の娘を心配するのは当然。声音からも相当焦っている事が分かる。少し迷った後、俺は別れた事実だけは伝えないといけないと思った。
「やっぱり‥ね。ねえ、良かったら何でそうなったのか教えてくれない?私としては、貴方なら瑠奈をこれからも任せられると思ってたものだから、とても残念だわ‥あの子が何か酷い事したのよね?」
「それは‥‥」
「いや、やっぱりそれは私が聞き出すべき事ね。教えてくれてありがとうね。それだけ聞けただけでも十分だわ。原因が分かった事だし今日みっちり問いただしてやろうかしら。本当に朝からごめんなさい、もう切るわね」
「あっ、ちょっと待ってください」
「何かしら?」
「瑠奈に『もう元の関係には絶対戻れないけど、何か今話したい事があればそっちから連絡して欲しい。俺からは絶対に連絡しない』と伝えてくれませんか?」
「‥‥分かったわ」
「ありがとうございます。いつもよくしてもらってたのに、こんな事になってしまってすいません。‥では」
電話を切ったと同時に、ドッと疲れが身体を襲ってきた。
自分から瑠奈のお見舞いに行ったり、気遣うような行動をしたりは流石に出来ない。だけど本当に心から罪悪感を感じていて話したい事があると瑠奈が言うなら、一度くらいは話を聞いてみようと思う。
そしてそこでちゃんと見極めよう。自分が瑠奈の事を許せるかどうかを。
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