第14話 影山優斗は元恋人の様子に戸惑う

「もうっ‥遅いわよ。途中でいきなり雨降ってきたし」

「ごめん、全然気づかなかったわ。結構待たせたか?」


 寝起き直後でまだ意識が朦朧としていた為気づかなかったが、ドアを開けると外は雨が降り始めていた。

 

 不満そうに唇を尖らせている瑠奈の手に傘はなく、髪と服は濡れている。


「いいよ、私も連絡もしないでいきなり来ちゃったし。でも来て早々アレなんだけど、まずシャワー借りていい?」

「‥うん。とりあえず中に入ってくれ」


 決して長話をするつもりはない。だが流石に雨の中待たせておいて玄関で別れを伝え追い返すのはどうかと思い、家の中に案内する事にした。


 瑠奈が手慣れた様子でシャワーへ向かうのを見届けた後、俺はソファーに座り込んだ。


 教室で瑠奈を強く追い出してから約一週間だ。当然「そろそろ」かなとは思っていた。心の準備も出来ていたものの、こうやって少し一人で考える時間を貰えるのはありがたい。


『ふふふっ、影山くんってとても優しいんだね』

『‥ありがとう。大切にするね』

『今日のデート楽しかったわ』

『優斗。キス、して?』

『‥好きだよ、優斗』


 迷い、ではない。別れて当たり前だと思う。その選択を取る理由も十二分にある。一方的に酷い裏切りを受けて尚、まだ瑠奈が好きという訳でもない。


 それでもいざ突然その時になると、良かった頃の思い出が走馬灯のように頭に過ぎった。初めて人を本気で好きになって、初めてのキスで‥初めての朝だったから?それもあるだろうが――


 太一のこの前の「今までお前に見せた姿は、本当に全てが嘘だったのか?」という言葉‥


 それを聞いてどうなるわけでもないのに、想いが再燃するわけでも無いだろうに、やけに胸に引っかかる。


「大丈夫?‥だらしない顔しちゃって。もしかしてまだ寝起きでボーっとしてるんじゃないでしょうね?」

「ん?ああ、もう出たのか。随分と早いな――て、なんて格好してるんだよ」


 天井を見上げて考え事をしている間に、もうシャワーを済ませてきたようだ。瑠奈は呆れ顔で軽いため息を吐いた後、隣に腰掛けてきた。


 何故かバスタオル一枚の姿で、浴室から出た直後だからか少し顔を上気させている。


「‥ねえ、優斗‥何でアンタの方から連絡くれなかったの?あの時だって、小日向さんより私を皆の前で選んでくれたら良かっただけなのに。私達、恋人同士じゃないの?知ってるのよ‥アンタが最近小日向さんだけじゃなくて、姫野先輩とも仲良くしてるって‥」


 俺にすり寄るように身体を密着させて、瑠奈は悪びれもせずに言う。


 本気で、言ってるのか?


「私の事好きじゃなくなった?魅力ない?あんなに好きって言ってくれたのは嘘なの?ねえ‥優斗‥」

「‥ッ!やめてくれ!!」


 甘い声でキスしようとした瑠奈を思わず突き飛ばしてしまう。


「‥なんで‥どうしちゃったの‥?最近はいつもそんな顔して‥優斗‥」


 瑠奈は戸惑いを目に浮かべて、消え入るような声で言った。何故そんな顔ができる?


「お前は一体‥誰なんだ?本当に俺の知る瑠奈か?一体瑠奈に何があった?何故そこまで歪んだ‥?」


 嘘告から始まり伊集院とのメッセージで見た姿が見たままの瑠奈の本性で、本当に俺はこれまでずっと騙されていただけ。友達にも相談せずに一人で抱えていた頃の俺は、そうだと疑おうともしなかった。


 勿論どんな事情があろうと、伊集院と浮気をしたは事実。俺をハメようと画策していた事も事実。その時点で俺たちはもう終わっている。


 それでも今まで俺が側で見てきた瑠奈と、今現在の瑠奈があまりにも乖離しすぎているのだ。


 あの日の教室。皆の前で「俺は瑠奈の方が好き」だと言えば、日和がどれ程悲しい想いをする事になるのか分からない筈がない。俺がよく知っている瑠奈なら別の日和が傷つかない方法を選んだ筈である。


 瑠奈は少なくとも人を思いやれる優しい女の子だった。そんな瑠奈だから俺は好きになったのだ。


「何を言ってるの優斗‥私は瑠奈よ?何も変わってなんかいないわ‥何でそんな怯えているのよ‥」

「別れよう」

「‥‥‥‥え??」


 いつ切り出そうかタイミングを伺っていたが、自然と今俺の口からその言葉が出た。


「今‥何て‥?」

「別れよう、瑠奈。全部知ってるんだ。瑠奈が伊集院と浮気をしている事も。夏休みキスしている所を見たんだ」


 それ以上もしている事を知っているが口にはしない。最低限の必要な言葉で別れを伝える。既に俺は多くの人を巻き込んでしまっている。その場の激情に任せてしまう事は出来ない。


 瑠奈の顔が途端に一気に真っ青になる。


「ち、違うの!アレは伊集院くんが‥」

「やけに親密そうな関係だったけどな。俺だけじゃない。別の日に友達も二人がキスしている所を見てるんだよ」

「‥ッ!!誤解、誤解なのよ!ねえ、信じてよおお」

「俺だって嘘だと思いたかったよ。何度も自分の目を疑った。信じようとしたけど‥」


 信じられる訳がない。瑠奈と伊集院の醜悪なLINEのやりとりは全部一通り見ている。


 だが目の前の瑠奈は信じられない程慌てている。俺と別れる事なんて瑠奈にとって些細な問題の筈なのに、この反応は予想外だ。

 

「‥7月28日、とても大事な話があるから絶対空けておいて欲しいって言ったよな?瑠奈はどうしても外せない用事があったって言ってたけど、俺知ってるんだよ‥」


 思い出したくもない記憶が蘇り、声が震えてしまう。


「伊集院といたんだろ?LINEの通知で見たけどその日はアイツの誕生日なんだってな。夜も過ごした事も知ってる。正直絶望を味わったよ。それで完全に気持ちが切れた。ずっと信じて待ってたんだ。まだやり直せるかもしれないってプレゼントも用意してさ‥」

「嘘‥そんな‥プレゼントなんて‥‥それに、浮気を知ってるなら何で言ってくれなかったのよ!!――あ‥‥」


 瑠奈の顔から完全に生気が消えた。


 俺は実際に浮気を見た訳じゃない。あくまで二人のやりとりを見ただけだったが、今瑠奈本人がそれを白状した。


「‥何で言わなかったの?その後も気づいてないフリをして何で私を抱いたの?」

「汚してやりたかったんだ。俺の手で」

「好きでもないのに抱いていたって事?」

「ああ、俺も最低だった。でも今思えば瑠奈を離したくないだけだったんだと思う‥。ずっと好きだったから。でもそれも後から考えた事だし‥ただの言い訳でしかないけどな‥」

「‥‥」


 浮気を知った後も、瑠奈からどうしてもと求められた時は応じていた。酷い嫌悪感を持ちつつも、断りきれなかったのは‥やはりそういう事だったんだろう。


 だが今は俺も瑠奈より大事な人が出来た。まだ異性として好きという感情まではいかないが、俺を一途に想ってくれている日和という人が。


 しばらくお互い沈黙した後、俺はもう一度ハッキリと告げる。


「次会う時に別れようと決めてたんだ。瑠奈‥どの道俺たちはもう終わってる。別れよう。ごめん、もう帰ってくれないか?傘は返さなくていいから‥」


 瑠奈は何も言わずただただ呆然と虚空を見つめた後、服を着て帰る準備をし始めた。瞳には予想外の大粒の涙を流しており、その姿を直視出来ない。


「‥‥‥ごめんなさい」


 鞄を手に取り俺に背を向ける瑠奈は消え入るような声でそう言った後、トボトボと傘も持たずに帰って行く。


 その姿に俺は何も言う事が出来ず、ただ無言で見送るだけ。


 全てが予想外。所詮は瑠奈にとって保険でしかない俺と別れて、瑠奈は寧ろせいせいするんだろうなと勝手に思っていた。別れを告げる時嫌味もたくさん言われる事を覚悟していた。


 なのに――


 なんでお前が泣いてるんだよ‥


 俺は考えてもいなかった元恋人の反応に戸惑いながら、ソファーにもたれ込んだ。

 

 






◇◇◇◇◇

次回から一話か二話程、瑠奈視点でのお話になります。

いつも応援してくれて、本当にありがとうございます。ぜひ最後までお付き合いくださると嬉しいです。

◇◇◇◇◇

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