第8話 小日向日和はそれでも側にいたい

「‥ひっく‥ぐす‥‥酷い‥酷すぎるよっ‥!‥こんなの‥‥」


 証拠として保存してある瑠奈と伊集院とのメッセージを見た小日向は、まるで自分に起きた悲劇のように嗚咽を漏らした。


 ずっと迷っていた。告白の返事をするだけなら、別にこんな最低な物を見せる必要はない。小日向は人の心に寄り添える優しいヒトだ。そんな彼女の事だから、俺の事を考えて泣かせてしまう事は分かっていた。


 それでも俺は自分勝手に見せる事を選んだ。


 ‥‥正直に言おう。小日向が「こんなにも俺を真っ直ぐに想ってくれてるんだから、俺も全部話して誠実にその想いと向き合いたい」なんていうのはただの嘘なんだ。いや、嘘『ではない』か‥。だけど、少なくともそんなキレイなモンじゃあない。


 勿論小日向に対して誠実でありたいという気持ちは本当だ。だけど何より一番は‥‥


 ただただ単純に、小日向に嫌われる事が凄く怖い。想像するだけで心臓を抉り取られたかのように、どうしようもなく‥痛いんだ。


 だから俺は、自分にどういう事があってなぜそう返事をする考えに至ったのか、全てを小日向に知ってもらいたかった。嫌われない為の予防線を張っておきたかったのだ。


 ただそれだけ。凄くわがままな理由。


 それだけの為にあんな人間の悪意の塊みたいな物を見せて‥目の前で小日向を泣かせて。


 ‥最低だろ?でもどうしても嫌われたくない。せめてこれからも仲睦まじい友達でありたい。




 だって臆病な俺は‥‥今から小日向をフるんだから‥‥。


「小日向‥」


 涙で濡れた瞳で、小日向は俺を見る。本当はその涙を今すぐに拭ってあげたいけど、俺にはその権利がない。代わりに持ち得る限りの誠意を込めて小日向をしっかりと見つめる。


「‥上手く言葉に出来るか分からないけど、全部聞いてくれるか?」

「‥‥ん」


 目を赤くしながらも、小日向の表情が真剣になる。そんな彼女に、声を震わせつつゆっくりと言葉を紡いでいく。


「あのさ。小日向が皆の前で告白してくれた時、俺凄えビックリした‥。けど、それ以上に凄え嬉しかったんだ‥」

「‥‥‥ん」

「俺の為に伊集院に誰も見た事がないくらい怒ってくれたのも‥瑠奈に俺が優しくてカッコいいって言ってくれたのも‥小日向が本当に俺の事が好きなんだなって分かって‥本当に、本当に嬉しかった‥」

「‥‥‥‥‥ん」

「小日向は俺が夏休みに受けた心の傷を‥とんでもない速さで癒してくれた。今日一日だけで、俺の中で小日向の事がどんどん大切な存在になった‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥ん」

「だけど‥っ‥けど‥!今はまだこの想いが友情なのか妹に対する愛情のような物なのか、一人の女性への好きだという感情なのか分からないんだ‥。それに何よりも、俺は‥‥」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ん」


 小日向の瞳からまた大粒の涙が止めどなく流れていく。その姿を見て、俺の瞳からも涙が溢れてくる。それでも今、俺は逃げ出す訳にはいかない。


「怖いんだ‥。どうしようもなく‥。小日向はそんな事する訳ないって分かってるのに‥心のどこかで瑠奈みたいに裏切るんじゃないかって思ってる自分がいる‥。これから小日向をもっと好きになった時、また裏切られるんじゃないかって‥根っこの部分で疑ってるんだ‥。それに俺は――」


 そこまで言って一瞬言葉を止める。これ以上話してしまったら優しい彼女に嫌われるどころか、軽蔑されてしまうかもしれない。それでも涙を流しつつ俺の言葉を頷いて待ってくれる小日向を見て、言葉を続ける事にした。


「瑠奈も伊集院もこのまま何もせずに許す事なんて出来ない‥復讐したいと思ってるんだ‥」


 軽蔑されたかもしれない。俺はもう小日向の顔を見れなくなっていた。


「今さ‥頭の中がめちゃくちゃなんだ。こんな状態で、中途半端な気持ちで小日向と付き合う事は出来ない‥。本当にごめん!!!」


 涙で顔をグシャグシャにしながら頭を下げる。


 裏切られる前まで、瑠奈の事を心から好きだった。それこそ他の女子の事なんて、異性の対象にならない程にだ。今は確かに違う。瑠奈への感情は嫌いを超えて憎しみに変わり、小日向が俺にとって一番大事な女性になりつつある事は間違いない。


 でもそれが恋なのかまだ分からないのだ。加えてこれから小日向に俺が恋をしても、トラウマがいつ治るか分からず迷惑をかける事になるかもしれない。かといって自分の性格上「好きになるまで待って」や「トラウマが治るまで待って」なんて無責任な事も言えやしない。復讐の事だってある。


 小日向はめちゃくちゃ可愛い。俺だって男だし、出来るなら脳味噌を空っぽにして今すぐその可愛らしい唇を貪りたい。心も身体も全部俺だけのものにしたい。


 だけど大切になったからこそ、何もかも不安定な状態で軽率に彼女の想いに応えてはならないと思った。


 正に苦渋の選択。これからこんなに俺を好きになってくれる人なんていないかもしれない。


 深く傷つけたであろう小日向の顔を見るのが怖くて、涙で沈黙したまま下を向く時間が暫く続く。


 そろそろ勇気を出して顔を上げようとした時、小さな手が優しく俺の頭を撫でた。


「‥よしよし‥ふふ‥やっぱりゆうくんは‥優しい人‥」


 まるで今日の朝の時のように、慈しむように小日向は俺の頭を優しく撫でる。驚いてすぐ顔を上げるも、彼女は俺の頭を撫でる事を一向にやめない。


「‥辛かったね‥苦しかったね‥大丈夫‥大丈夫だよ‥?」


 小日向はもう泣いてなんかいなかった。それどころか、必死になって俺を慰めようとしてくれていた。


「小日向‥‥?」

「‥ゆうくん‥ありがとう‥全部話してくれて‥私の事‥いっぱい‥いっぱい‥考えてくれて‥」

「そんな事ない‥俺は小日向を傷つけて‥」


 小日向は撫でる手を止め、ブンブンと首を横に振る。


「‥うん‥フられちゃったね‥。だけど‥ずっと私の気持ちになって‥言葉を選んでくれてた‥。‥ゆうくんは‥今でも綾瀬さんが好き‥?」


 好きな訳ない。俺がゆっくりと首を振ると、小日向は安心した表情を見せる。


「‥ん‥今はそれで‥充分‥」


 小日向は泣き笑いのような表情になった。その表情にズキッと胸が痛む。


「復讐は‥私には‥よくわからないけど‥ゆうくんの‥辛くて苦しい気持ちは‥私にもわかる‥だから‥ね‥?」


 小日向はギュッと俺を抱きしめた。


「私は‥どんなゆうくんでも‥側にいるから‥私は‥絶対裏切ったり‥しないから‥絶対‥だから‥ずっと‥どこまでも‥ゆうくんの‥側にいるから‥‥」


 温かい。このような温かさ‥今まで感じた事がない‥。抱きしめ返したくなる気持ちをグッと抑える。こんな優しい彼女をフッた今の俺にはその資格がないから。


「だから‥ね‥?‥好きで‥いさせてね‥?‥私がゆうくんの‥トラウマを‥塗り替えてあげる‥どれだけ‥時間がかかっても‥それで‥私も‥ゆうくんに‥好きになってもらうんだ‥たくさん‥アピールして‥一番の‥大好きに‥」


 懇願するように小日向は抱きしめる腕に力を込めた。しばらくそうした後、身体を離した小日向は悪戯っぽく笑う。


「‥だから‥これから覚悟しておいて‥ね?」

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