第7話 影山優斗も本気で怒る事はある

 授業終了のチャイムが鳴り、昼休みになった。いつも瑠奈と屋上で一緒に飯を食っていた時間であり、以前の俺が学校で一番楽しみにしていた時間でもある。


 もっとも浮気された今となっては憂鬱でしかないのだが、別れない道を選んだ以上は変に瑠奈を遠ざけて勘繰られる事は避けたい。


 頭ではそう分かっていながらもまた大きな溜息を吐いてしまった俺を、隣の席の小日向が酷く心配そうに見つめていた。


 俺と瑠奈が恋仲で、昼休みは一緒にご飯を食べる事は少なくともこのクラスでは周知の事実だ。小日向は瑠奈の浮気を知っているし、俺の事を心配してくれているのだろう。自分が告白した事で、瑠奈がいい気持ちではない事も分かっている筈だ。


「‥ゆうくん‥行くの‥?‥ごめんね‥私が告白したから‥綾瀬さん‥絶対怒ってるよね‥‥」


 小日向の潤んだ目を一度でも見てしまうと、どうしても気が引けるがここは行かねばならない。何て言ってあげれば心配をかけず、罪悪感を抱かせないで済むだろうかと考えていると、勢いよく教室のドアが開かれた音がした。


「優斗!!!」


 大声で名前を読んだのは、今俺が最も会いたくない人物――瑠奈であった。腰まで伸びた艶のある黒髪を靡かせながら、物凄い剣幕で近づいて来る。


 小日向の怒った顔も今日初めて見たが、瑠奈のここまで怒っている顔も付き合って2年以上経つが未だ見た事がない。


「一体どういうつもりなの‥?浮気だけは絶対嫌だって、いつも言ってるわよね!?優斗が小日向さんに無理矢理言い寄ったって皆言ってるわよ!?」


 浮気だけは絶対嫌って‥‥。お前にだけは言われたくないんだが。そこまでして保険の俺を繋ぎ止めたいのか?


 やはりかなり真実が捻じ曲げられているな。誰が最初にそんな嘘広めたのか知らんが、小日向には学年問わず多くのファンがいる。俺を悪者にして小日向と離れさせたいのだろう。そんな噂が流れているのなら、さっきの時間他のクラスの連中から容赦ない攻撃を受けたのも頷ける。

 

「そんな事してないっ!落ち着いてくれ!頼むからまず話を聞いてくれ!」

「この状況で落ち着いてられると思う??」


 てか一体何をこんなに怒ってるんだ?浮気していない彼女だったら、誤解であれど嫉妬してくれてるんだなと理解できる。だがただの保険の俺の為にここまで激怒する必要あるのだろうか。二年以上瑠奈とは付き合ってきたが、ここまでヒステリーを起こされたのは初めての事であった。


「‥違うの綾瀬さん‥。‥私がゆうくんに告白したの‥ごめんなさい‥ゆうくんは悪くないの‥」


 小日向がそう言ってくれるもののの、瑠奈の口撃は止まらない。


「貴方みたいな可愛い子が目立たない優斗を好きになる訳ないじゃない!伊集院くんに聞いたわよ!?私の為に優斗の浮気を注意してくれただけなのに、酷い言い方されて追い出されたって!!‥酷いよ優斗。伊集院くんは私を気遣ってくれただけのに‥。一体どうしちゃったの?私の事好きじゃなくなっちゃったの‥?」


 ‥そういう事か。結局瑠奈は、伊集院が酷い扱いを受けた事をこんなにも怒っているんだ。俺の浮気を怒るのはただの建前。本当の怒りはそこじゃない。


 瑠奈は伊集院の為に激怒しているんだ。二年以上付き合った俺の話を碌に聞こうともせず、一方的に決めつけて。


 その事実が瑠奈をもう何とも思っていない筈の俺の心を強く握りしめる。夏休み伊集院とのやり取りを見た瞬間から、瑠奈が俺の事を愛していない事は分かっていた。だから俺も瑠奈を愛す事は辞めた。その時から一片の愛情も抱かないように決めた筈だ。


 なのにこうも目の前で、彼女の言葉ではっきりと伊集院の方が大切だという現実を突きつけられると‥動揺してしまっていた。短い時間で、瑠奈の心をこうも簡単に奪っていった伊集院に嫉妬までしている。


 俺は弱いな‥。自分が情けなく、矮小な存在に思えてくる。


「‥確かに‥ゆうくんは‥顔はかっこよくない‥」


 ‥‥小日向?


「‥確かに‥綾瀬さんの言う通り‥目立つような男の子じゃないかもしれない‥‥」


 ‥‥‥


「‥けどね‥綾瀬さん‥?‥ゆうくんは私にとっては最高にカッコよくて最高に優しい男の子だよ‥?」


 なんで‥そこまで俺を‥‥?


 少し頬を染めながら、小日向は満面の笑顔で言う。何で小日向がここまで俺を好いてくれているのかはまだ分からない。だけど小日向の笑顔が‥嘘の感じられない言葉が‥張り詰めた心を癒していくのを感じる。また闇に呑まれてしまいそうな俺の心を引き上げるかのように。


「‥それにね‥?‥伊集院くんの言ってる事は‥全部嘘なんだよ?‥本当だよ‥?‥クラスの皆も私が告白するところ‥見てるもん‥」

「そんなことあるわけ――」


 瑠奈はそれでも否定しようとしたが、会話に入り込めず黙っていたクラスメイト達が頷くのを見て言葉を止めた。

 

「な、何よ!私が悪いみたいじゃないっ!わかったわよ!浮気はしてないのね?小日向さんに無理矢理手を出してないのよね?」


 流石に分が悪いと感じたのか、話を聞こうともしなかった瑠奈は途端にしおらしくなる。


「そう言ってるだろ?」

「‥‥わかった。信じてあげる。けどこれだけ聞かせて?小日向さんが優斗を好きなのは分かった。けど優斗はどうなの?私と小日向さん、どっちが好きなの?」

「‥‥は?お前、何を?」

「だから、どっちが好きなの?皆が見てる前でハッキリと言ってくれた方が、私も優斗を信頼できる。まあ、答えは分かっているけど一応言って!!」


 瑠奈は余裕の笑みを浮かべて、小日向に視線を向けた。それを受けて小日向は身体をビクッと強張らせる。


 身体が怒りで熱くなっていく。コイツは一体何を言ってるんだ?


 瑠奈は俺が自分の事を好きだと確信している。俺が浮気を知らないと思っているから。その上で小日向を傷つけようとしているんだ。まさかここまで腐っているとは‥。


 計画通りに瑠奈と関係を壊さず復讐をするなら、今俺が言うべき答えは『瑠奈の方が好き』だ。それさえ言えば、瑠奈は大人しく帰るだろう。クラスの皆も俺が瑠奈を夏休み前まで盲目的に好きだった事は知ってる。瑠奈が好きだと答えない方がむしろ不自然だ。


 それでも‥‥


 皆の前で今日俺を救ってくれた小日向を傷つけろって?俺なんかを純粋に慕ってくれてる小日向を?今も答えを聞くのが怖くて隣で震えている小日向を?


 有り得ないだろ。勿論そんな事、出来る訳ない。


 放課後、小日向に言う言葉はもう決めてある。だけど、それは決してこんなふざけた場面で言う事じゃない。


「‥‥帰れ」


 ドスの利かした声に瑠奈の顔が引き攣っていく。


「な、何よ?優斗‥まさか小日向さんの事が‥!?」

「黙れよ!!いいからもう帰れ!!!小日向に謝るまで、俺はお前を許さない!!!」


 怒りのあまり、瑠奈の事を強めに押してしまった。


 今まで瑠奈に怒鳴った事なんて一度もなかった。人生でこんなにも大きな声で怒りを露わにした事も記憶にない。


 瑠奈が信じられないといった表情で俺を見る。クラスメイト達も同様に驚いていた。

 

 事情を何も知らない者からすれば、俺の方が異端。当然だ。誰よりも彼女を大切にしていた男が、その彼女を蔑ろにして小日向の方を明確に守っているのだから。


 それでも小日向を傷つけられる事は我慢ならない。


「帰れ!!!」

「‥何よっ!!もうっ!!」


 瑠奈は最後まで、自分が追い出される意味が分からない様子で渋々帰っていった。暫しの沈黙が教室の中で流れる。


「優斗、お前どうし――」

「ごめん!太一‥みんな‥。何も言わないで、今はそっとしておいてくれ」


 太一が心配と疑念の両方を宿した目で話しかけてくれたのに、俺はそれを止めてしまう。いい言葉が何も思い浮かばないのだ。一つを話せば全部話さないといけない事になってしまうから。


 瑠奈への説明だって本当は適当に流すつもりだったのに、二学期初日から歯車が崩れる事になるとは思わなかった。


 考えないといけない事は山積みである。


「‥‥ゆうくん‥私‥」

「言っとくが、勝手に俺がやった事だからな?」


 だからそんな顔をしないでくれ。


 残りの昼休みの時間は教室を出て適当な場所で一人で過ごし、その後は放課後になるまでクラスメイトの誰も詮索してこなかった。クラスメイト達の気遣いに感謝しながら、放課後になった瞬間小日向に声を掛けた。


 他の生徒に声をかけられると非常にまた面倒な事になるので小日向と手を繋ぎ、ダッシュで校門を出る。

 

 幸い帰り道は同じ方向だ。共通の帰り道の、少し抜けた所に人が通る所をほとんど見た事がない古ぼけた公園がある。


 そこなら少なくとも知り合いには見られず、二人きりで話せる筈だ。


 公園に着くと、二人でくっつくようにベンチに腰掛けた。ベンチが他の公園より狭い為か、自ずと寄り添うような形になってしまう。小日向は恥ずかしいのか先程からずっと黙っている。時々チラホラと告白の返事を期待して見てくるのが、何ともこそばゆい。


「‥小日向」

「‥ん」


 狭いベンチで向き合う二人の顔は、他人には到底見せる事が出来ない程に真っ赤に染まっている。


 俺の事をこんなにも想ってくれている子だからこそ、俺の中でも小日向がとても大事な存在になったからこそ、まず返事の前に小日向には全部話すと決めていた。


「俺さ、実は小日向に教えて貰う前から瑠奈の浮気を知ってたんだ」

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