第6話 小日向日和だって本気で怒る事もある
伊集院が俺と小日向に、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべて近づいて来ている。
あくまでも伊集院と瑠奈との浮気は知らないフリをするつもりだが、正直顔を見るだけでも嫌悪感が凄まじい。顔に出ないようにするだけでも難しいくらいだ。
噂を駆けつてきた他のクラスの奴らは、小日向の強烈な一言の後は既に全員泣きながら帰っている。今この場にいるのは伊集院と、クラスメイトだけ。
にしても気のせいだろうか。伊集院が教室に入ってきた瞬間、クラス全体が重苦しい空気になった気がする。あれ?伊集院ってこの学校で一番女子から人気あるんじゃなかったっけ?もっとクラスの女子達から黄色い歓声が
爽やかなイケメンタイプの恭二とは全然違うタイプではあるものの、伊集院も男の俺から見てもムカつくが顔は整っていると思う。しかも実家も金持ちときた。
勿論、顔が良くて金持ちなら女子達に無条件でモテる等という馬鹿げた事を言うつもりは毛頭ない。だけど噂で伊集院が学校で一番モテると聞いていた俺としては、クラスの女子達の反応は違和感を感じた。
「久しぶり〜日和ちゃん!てか俺があれだけアピールしても付き合ってくれなかったのは、影山の事が好きだったからなんてなあ。そりゃないぜ日和ちゃ〜ん。今からでも俺にしとかねえか?俺といる方が100倍影山といるよりも楽しいとおもうんだけどなぁ〜」
俺を酷く見下したような物言いは、瑠奈を奪った優越感からだろうか。だが今それはどうでもいい。コイツがまるで小日向をペットや愛玩動物かのように、猫撫で声で話しかけている事の方が腹が立つ。
小日向は確かにどこか小型犬のような可愛さを持っていると思う。どの仕草一つとっても愛でたくなるような存在だというのも否定しない。だがその前に小日向は一人の対等な女性だ。それなのに、伊集院のこの物言いは完全に舐めているとしか思えない。さらに言えば、こんな軽薄な男が小日向に言い寄っていた過去の事実も、小日向を日和ちゃんと馴れ馴れしく名前で呼んでる事も不愉快だ。
小日向は伊集院に名前を呼ばれた瞬間から、俺の後ろで抱きつくように隠れている。怖いのか手も少し震えているみたいだ。伊集院が小日向に言い寄っていた事は初耳だったが、よく考えたら女好きなこの男が、小日向クラスの美少女に迫っていないと考える方がおかしかった。怯える小日向の様子を見ると、相当しつこくせまられていたのだろう。
「‥なあ伊集院?小日向が怖がっている気がするんだ。もう出て行ってくれないか?」
俺がそう言うと、クラスメイト達も同調して伊集院に出て行くよう伝えるが全く聞く耳を持たない。
「チッ‥うるせえなあ。お前らは黙ってろ!なあ日和ちゃーん。そんな怖がらなくても大丈夫だって!俺といる方が影山なんかより色々教えてあげられるぜ?」
小日向にイヤらしい視線を向けられて、流石にイライラが限界を超えた。
「‥お前なあっ!!」
思わず強い言葉で制しようとしたその時――
「‥なんか‥?」
俺にだけ聞こえるような小さい声で、ボソッと小日向がそう呟いた。その後、俺にしがみつくのをやめてゆっくりと小日向が俺の横に出る。顔を見ると、いつものほわほわした温厚な彼女には珍しくハッキリと怒っている事が分かった。
「消えて」
誰が聞いても分かる程、小日向の言葉には確かな怒気が含まれていた。俺だけでなく、周りの誰もが聞いた事のないであろう小日向の冷たい言葉に全員が息を呑む。伊集院も予想外な小日向の様子に焦り始めている。
「‥どうしたんだよ日和ちゃ〜ん。ごめんって!謝るから!そんな怖い顔しないでくれよ〜」
何とか機嫌を取ろうと伊集院は謝罪するものの、小日向の方は怒りを収める様子はない。身体を僅かに震わせながら、小日向は伊集院を見た事のない表情で強く睨みつけた。
「嫌い」
「‥へ?」
「伊集院くんの事、誰よりも一番大嫌い」
本気の拒絶。小日向特有の独特の間すらない事が、その拒絶の本気度を示している。
「そ、そんな‥。日和ちゃ――」
「日和ちゃんって呼ばないで。そう呼んでいいのはお友達だけ。あなたは私にとって何でもない」
「うっ‥‥‥」
とりつく島もなく、グウの音も出ない程拒絶される伊集院の顔がどんどん真っ青になっていく。
その様子がおかしかったのか、何処からともなく誰かがプッと吹き出した。すると連鎖するように、クラス全員が一斉に笑い出す。
「‥テメエらっ‥何笑ってやがる!!」
激昂する伊集院に、最初に食ってかかったのは太一だ。
「だってよお、お前めっちゃ自信満々に口説いてんのが何か面白くってさ。優しい日和ちゃんがあんな姿見せるの多分お前だけだぜ?逆に凄えよお前。‥凄えダサいな」
太一が無闇に人を煽ったりしない人間なのは知ってる。太一も伊集院に本気でキレていた。普段日和ちゃん日和ちゃんとうるさいものの、彼女の事は本気で友達としても大事にしているようだ。
「それに影っちを見下してるのも何様なのって感じだし〜」
「そうだね。マジでうざい。ありえないわ」
早乙女、茅野だけではない。他のクラスメイト達も皆マジの目だ。この場に伊集院の味方は誰もいない。
「見ての通りだよ。俺たちのダチ二人を傷つけたお前には、ここに居場所はない。俺も相当キている。帰れ」
「‥‥クソがッ!!!
恭二の言葉でようやく耐えきれなくなくなったのか、伊集院は俺を最後に忌々しげに睨んで出ていってしまった。
伊集院が出ていってすぐ、小日向がヘナヘナと力が抜けたように俺にもたれかかる。慌てて抱き止めた小さな身体はまだ少し震えていた。‥やはり相当無理をしたんだな。
あの温厚な小日向が俺の為に怒ってくれた事に、嬉しさと同時に罪悪感を抱いてしまう。
「ごめんな小日向‥。俺の為にあんだけ怒ってくれたんだろ?」
「‥謝る必要なんてない。‥私もあの人は元から嫌い‥」
「はは、そっか。小日向は本当に優しいな‥」
自分が嫌いなだけで、小日向はあそこまで露骨に怒ったりしないと思う。俺が罪悪感を抱かないように小日向はこう言ってくれているのだろう。
本当に今日一日だけで、小日向の色々な一面を見れた気がする。
「‥どうしても謝りたいっていうなら‥‥」
「ん?」
小日向は俺の胸にコトンと頭を置いた。そして甘えるように上目遣いで――
「‥撫でて‥」
「‥‥これでいいか?」
「‥ん‥良し‥」
幸せそうに目を細める小日向を見て、俺も自然に笑みが溢れた。
「俺の前で日和ちゃんとの仲を見せつけやがって‥‥あんな姿見せられたら日和ちゃんは本当に‥‥うわああああん!」
子供のように泣きじゃくり転がる太一を無視しつつ、クラスの皆にお礼を言う。でも太一‥お前も有難うな。
皆と話している時に、伊集院の事でふと気になった事を思い出した。学校で一番モテると噂だった筈の男が来たのに、女子が誰一人として歓迎していなかったという違和感だ。
それを早乙女に聞いてみると、耳元で「‥男子に言える内容じゃないけど、ちょっと夏休みクラスの子と色々あったのよ」と言われた。
結局詳しく教えるのは男子には無理と言われ、それ以上教えて貰えなかったが、伊集院の下衆さを身をもって知っている俺としては大体想像がつく。
大事なクラスメイトを傷つけられたのだ。復讐をする理由がまた一つ増えた。今後は誰かが傷つけられる前に阻止し、騙されているものがいれば救い、伊集院から全てを奪う。
‥だが俺一人でそんな大それた事ができるだろうか?今日クラスの皆が小日向だけでなく、俺まで大事にしてくれているというのが痛い程分かった。信頼できる、最高の仲間達。
彼らならいっそ全部打ち明けても俺の復讐に――。いや、今はそれ以上はよそう。後でゆっくり考えれば良い。
その前にまずは、瑠奈の対応だな‥。俺はスマフォに届いた瑠奈からのお怒りのLINEを見てため息を吐く。
まあ正直瑠奈などは今後に差し障りないようにさえすれば、適当でいい。
今の俺が最優先すべき事は、小日向の想いにどう応えるかだ。クラスの女子から今もまだ励まされている小日向を見て、強くそう思った。
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