五幕 ともだち。
公園から十分ほど歩いただろうか。
その人の家に歩いた。
「さっき、私が虐められてた話したじゃない?」
本音を言うとその話は聞きたくなかった。
「実はね、一人だけ私のことを嫌わなかった・・・味方になってくれていた人がいるの」
「それが、これから会う人のことなんだな?」
そう。と夢喜は言った。
すっかり日は昇り、それなりに暑さを感じるまでになっていた。
「私がどれだけ蔑まれようとも、その人だけは私を信じてくれていた」
「中学校を見ながら、どうして小学校の話なのだろうと思っていたけど、その人と同じ中学だったから、小学校にわざわざ行く必要はなかったってことか?」
「そうね。中学時代には、結構思い入れもあるから」
住宅街の一角、広告お断りと書かれたその家。ここに夢喜の旧友がいるらしい。
インターホンを鳴らす夢喜。当然といえば当然だが。緊張した。
暫くすると、ドアが開いた。
「夢喜、久しぶり」
俺は面食らった。
中から出てきたのは、男だった。
そういう味方っていうのは、大抵は女だと思っていたからだ。
家を間違えたのかとも思ったが、この男は夢喜を知っているようだ。
「元気そうね、竜」
リュウという男は、俺の存在にも少し驚いているようだった。
「まあ上がれよ。暑いし」
渋々リュウの家に上がると、どこか見たことのあるような安心感のあるリビングで、彼は人を家に迎え入れる容量も心得ているようだった。
「狭い家だがくつろいでくれ」
「でも久しぶりね、ここにくるのは」
夢喜とリュウはどんな関係なのだろう。あるいは、だったのだろう。
夢喜はここに来たことがあるようだ。
冷房が効いている空間で、俺はじんわり汗をかいた。
リビングの机に俺と夢喜が並んで座る。
「まあ、食えよ」
リュウは某棒アイスを俺たちに恵んでくれた。
そして俺たちの向かいのソファに座り、長く息を吐いた。
「そちらとは初めましてだな、黒木竜だ。気軽に竜と呼んでもらって構わないよ」
「日桜広夢です。苗字でも名前でも、好きに呼んでいい。アイスおいしいよ」
夢喜とリュウ。二人の関係が気になる。痒いところに手が届くのに掻かないみたいなジレンマに陥っていた。バッと聞けばいいものを。
夢喜は平然としているが、リュウは俺をやや警戒しているように見える。
それもそうか。
俺が思っていることに似たようなことを、向こうも思っているのかも。
なら、そういうことだよな。
竜が今日は、と話す。
「突然どうしたんだ?」
「夏休みだから。会いに来たの」
「事前に連絡くらいしてくれてもいいじゃないか?」
「ごめんね、急だったから」
そんなに急だっただろうか、という疑問はすぐに消えていく。
「まあいい。今日は俺も用事はないから」
「竜は昔から予定は少ないからね」
「酷いな」
「だっていつも暇そうじゃん?」
「これでも、運動部には入ってる」
「え~意外」
もちろん、俺には会話に介入する余地はない。
二人の会話のキャッチボールは、素人から見てもフォームのきれいなものだった。
「そうだ、ちゃんと紹介しないと。日桜くんはね、私の数少ないともだちなのよ」
「数少ない・・・?」
「そう。私、結局気が合う人としか付き合えない性格なのよ」
「なるほどな。まあそういうやつだったからな、お前は」
俺は今日、夢生の小中時代の回想を聞いた。だがこれはなんなんだろう。
正直、生き地獄だ。わざわざ幼馴染の、それも関係性もわからない男とのトークショーを見に来たわけではない。まだ昼にもなっていないんだぞ?
「日桜君」
「?」
「夢生は高校ではどんなやつなんだ?」
そうだなぁ・・・。
「一見真面目だけどそうでもない」
「はぁ!?」
「けっこうおちゃらけている」
「おちゃら・・・違うでしょ!!」
「でも、綺麗な生き方をしている。そういうところは尊敬している」
「・・・なるほどね。少しは成長したってわけだ」
「そういうところって、他はダメみたいじゃない?」
「好きに解釈してくれ」
リュウは、納得したような様子を見せた。
それからすぐに、夢生はお手洗いへと行った。やや愚痴をこぼしつつ。
リュウとの時間が始まる。何も話すこともないし、向こうも何かを話すとは思えない。
沈黙。沈黙。沈黙。
時計の針の音。
外を通過する原付。
服の擦れる音。
「「なあ」」
おっと。被ってしまう。
「いや、リュウ。どうしたんだ?」
「いや・・・ちょっと来てくれないか?」
「来る?」
そう言うとリュウは立ち上がり、付いてくるよう促した。
「見せたいものがあるんだ」
階段を登り、リュウの部屋と思われる部屋へ入る。
「一体、俺に何を見せたいっていうんだ?」
リュウは、棚から卒業アルバムを出し、みんなのサインスペースを開いた。
「・・・?」
「これは中学の時のものだ。ここに、夢生」
そこには、去年とられたであろう夢生の写真があった。
「あんまり変わってないんだな。昔の写真は初めて見たよ」
「確かに、この部分を切り取ったら、昔とあまり変わっていないように感じるな」
「変わったっていうのか?」
日差しが差し込む。そろそろ本格的に気温も上がってくることだろう。でも先に、俺がオーバーヒートしてしまいそうだ。
「今日、久しぶりに会って、驚いたよ。昔はあんなに喋るやつじゃなかった。話は聞いたかもしれないが、あいつは虐められていた。かなり酷いものだった」
聞いたよ、と端的に答える。生の現場を見てきたリュウは、その眼に焼き付いているのだろう。
ただ一人の、味方だったのだから。
「俺は、今日会う人は唯一の味方だったと聞いてきたんだ」
するとリュウは軽く笑い、自らをあざ笑うように語る。
「そうだったのか。なら絶望させてしまうかもしれない。俺はとても、味方に相応しい行いをできたとは言えない」
「どういうことなんだ?」
「たしかに俺は、夢生を虐めたり、それに加担するような行為を行わなかった。だが、それだけだ。大勢の前に立ち塞がって、やめろの三文字も言えなかったんだ。俺は確かに夢生を慰めたり、助けることはしていたかもしれない。だがそれだけだ。それだけなんだ」
小学生が大勢の前で、それも自分はマイノリティーなのに、声を上げられたらそれだけでもすごいと思うがな。普通はできない。だが、今それを言っても、俺がリュウの悔やみを取り払うことはできない。初対面なら、なおさらだ。
「俺は常に安全地帯から夢生を見ていた。見ていることしかできなかった。あんなに酷い目にあっていながら、どうして泣くことも嫌がることもしないのかが不思議でたまらなかった。いいや、俺はきっと矛先が自分に向くのを防ぎたかっただけにちがいない」
「リュウ、お前は自分が悪いと思っているのか?」
「謝らなくてはいけないだろうな」
「俺はそうは思わない」
リュウが困惑と侮蔑の目を向ける。
「俺はリュウがやったことは間違っていないと思う。夢生は、自分にされていた数々の酷い行いが、どうして自分に向けられているのか、わかっていなかったんじゃないか?彼女は普通の人間で、俺たちも普通に生きている。虐めは確かに、どんなくだらない理由でも起爆剤になりえる。夢生は、怒る理由が見つからなかったんじゃないかな。ただみんなと毎日過ごしていただけだったから。彼女は、自分の病気がマイナスなものだと考えていないようなんだ。それすらも、毎日をいきいきと過ごす理由にしてしまう。だから俺は、そんなところに惹かれた」
「なんだって?」
「俺は、夢生のことが好きなんだ」
なぜか惹かれたというワードが出てきたので、この際打ち明けることにした。リュウへの語りかけが、意味のあるものになるには、俺の夢生への本気度を知ってもらうことが手っ取り早いはずだ。
「日桜君も、夢生のことが好きなのか」
「リュウ、俺たちはよくわかってるはずだ。同じ人を、好きなんだから」
「だったら尚更、どうして虐めをリアルタイムで阻止しなかったんだと思わないのか?」
「いじめは見ている奴も悪いのが世間のお決まりらしいが、俺はそんなの滅茶苦茶だと思うね」
「なぜだ?」
「そいつらこそ、安全地帯から見ているだけだからだ」
夢生の虐めは大人数によるものだった。何人かが始めれば、心理的には行動のハードルが低くなる。
「考えてもみろよ、大勢でいじめているなかで、声をあげられると思うか?俺は無理だ。正義感がないわけじゃない。でも、やっぱりそういう年頃って友達失うのが怖いし、自分も同じ目に遭いたくないだろう?声を出せるなら、出してるはずだよ。教室は一つ一つが国みたいなもんで、リーダー格に目をつけられればいつ殺されるかわかったもんじゃない。声を上げて虐めを止めろって言う教師はあまりに無責任じゃないか。子供は自分で身を守れる教養があるなら学校なんて行かないで就職したほうがいい。俺は小学生のころからなぜバイトできないのかと思ってたよ」
「日桜君変わってるな」
「だろう?教師の労働環境も知らないで、よくほざいてるなと思う。でも、免許取らないとできない仕事なんだからな。虐め対処しないのは、永遠の脇見運転と同じだ」
滅茶苦茶なことを言ったと思うが、要するにリュウは悪くないのだ。
「俺は夢生が好きだった。だから味方でいたかった」
「俺も味方だ。夢生が好きだから」
「だから俺は、リュウを肯定するよ」
夢生はまだお花を摘んでいるのだろうか。花束でも作る気か?
「ありがとう。少し自分をほめてやれそうな気がするよ」
夏の日差しは、リュウを力強く照らしていた。
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