三幕 暑さに負けない熱い夏。

 翌日、高校生になって初めての夏休み初日なわけだが、俺はというとバスに乗り、朝早くからある場所へと向かっていた。


 通勤中の会社員たちに揉まれながら到着したのは、駅前のカラオケだった。ここで桐生さんと待ち合わせている。

 なんだか宙を歩いている感覚だった。昨日の一件がなければ、どう転んでもカラオケのような娯楽施設には来ないし、そもそもまだ寝ているに違いない。

 こうした様々な事象が、俺の人生を変え、誰かの人生にも影響を与えるのかもしれない。


「待った?」


 クルマの走行音の中に、聞き慣れた美しい声。

 考え込んでいて気づかなかったが、やがて桐生さんも到着した。カラオケが開店時間を迎えるまでまだ時間があったので、近くのコンビニに向かった。


「ごめんね、朝早くから」


「いいよ。そうだ桐生さん━━━」


 先導する桐生さんが振り返る。


「謝ることないよ。桐生さんがお願いした方かもしれないけど。俺、嬉しかったんだ。何ていうか、一緒に過ごしたいって言ってもらえてさ」


「・・・わかった。ありがと」


 実は昨晩は結局寝られず、桐生さんのことを考えていた。明日からのスケジュールについてではなく、桐生さんを助ける方法がないか、ということについてだ。寝静まった家の俺の部屋でネットと格闘し、病気のことを貪り食うように調べた。文系の俺には理解し得ない論文も読んだ。


 そして窓から淡い日差しが差し込んだ時、ああ本当に彼女は助からないんだな。と、己の無力さに沈んだ。


 残された彼女の命が、俺と過ごすことを望むなら、俺は全うしてみせよう。


「あと日桜くん、私のこと苗字で呼ぶの禁止ね」


「む、夢喜も苗字だろう?」


 夢喜むぎか。『ゆめ』と『よろこび』、本当に良い名前だな。


「ま、いつかね」


 朝からコンビニでおにぎりやお茶にジュース。お菓子を買い漁る高校生が二人。いつもしないことなだけに、心躍る。

 夢喜と一緒だから、心暴れる。


「さあ歌うわよ!」


 フリータイムで入室し、どうやら夜までいるつもりらしい。普通に出歩いているとはいえ、病人なのだから、医者には慎むように言われていないのだろうか。


「私は・・・体力に異常がある訳じゃないから。大丈夫よ」


「そうか、なら安心できるよ」


 最近カラオケに行っていないものだったから、何を歌えば良いものかと悩んでいた。しかし、夢喜がマイクを握れば一度に最低四曲は歌う始末。


「夢喜ってすごい歌うんだな」


「歌うわよ。歌えるんだから」


 もしかするとこれが・・・いいや。これは普通の夏休みなんだ。

 俺はそう自分に言い聞かせた。


「日桜くんって音痴ね」


「音痴が取り柄なんだ」


 俺がマイクを握ればこの始末。時々ドアの磨りガラス越しに写る客が立ち止まるのが、いかに俺の歌声が悲惨なものかを表している。


「夢喜は上手いから、もっともーっと歌ってくれよ」


 すると夢喜は少しはにかんだ様子を見せ、スナックを口に放り込んだ。


「日桜くんも練習したほうがいいよ?私はちょっと疲れちゃったな」


「そうかい?なら練習するけど、聞いてる夢喜がもっと疲れるかもしれないぞ?」


 三曲ほど通しで歌うと、夢喜のタフさに驚かされる。


「やっぱり音痴だ」


 ニタニタしながら言うのが憎らしくも愛らしかった。


「昨日練習しておくべきだったかな」


「でも、私は音痴でもいいと思うな」


「驚いたな。音痴を擁護するのか?」


「それも日桜くんの個性だから」


 こんなに嬉しいことを言ってくれるとは、思わなかったな。

 お菓子のゴミが増えたと思った時には、もう三時を過ぎていた。久々に楽しい時を過ごしたからか、その時間の速さに驚いた。


 まだ歌えるかと聞くと、もう駄目だぁ!喉がボロボロだぁ!と叫ぶのだから、俺は笑いながら困惑した。


 流石にセトリも尽きたそうで、カラオケを出て、道路を挟んで向かいのカフェに入ることになった。


「初めて来たよ、カフェ」


「嘘でしょ?」


 本当の本当に本当だ。行く機会も興味もなかったのだから、仕方のないことだ。仕方のないことだ、うん。

 問い詰める夢喜をいなしながら店員さんに席に案内され、小洒落た庭の、池がある窓辺の席へと案内された。


「じゃあ日桜くん、彼女いなかったんだね」


 座るや否や、夢喜は話を再開した。


「・・・なんでそうなるんだよ」


「彼女いるなら、カフェとか待ち合わせに使うでしょ?」


 聞いたこともない名前の飲み物が載るメニューを眺めながら、「なるほどな・・・」と答える。


「夢喜は彼氏いないのか」


 興味本位というか、仕返しというか、気になったので聞いてみた。


「いたら日桜くんと一緒にいないでしょ?」


 そりゃそうだ。

 なんで俺なのか。どうして俺なのか。

 それは聞かないほうがお互いのためかもしれないと、俺は僅かな希望の火を、カップで封じた。

 それから他愛もない一学期の思い出話をして、一時間を過ごした。


 日が傾いた頃、俺たちは帰り道が正反対のために別れた。翌日も翌々日も、翌々々日も、翌々々々日も、俺は夢喜の時間を共に過ごすことになっている。

 小さくなっていく夢喜の背中を見ると、追いかけたくなった。

 俺は今日を嬉しく思う反面、悲しくもあった。


 ***


 夢喜の希望によって、この日は水族館と決められていた。水族館など幼少に家族旅行で行ったくらいで、どんな場所なのかはそれほど記憶されていない。


「今日は何を見たいんだ?」


 今日も朝早くから電車で海沿いを走り、ゆらゆら揺れながら会話する。向かいの席の若いカップルを見ると、男は話題を振り、女は画面と見つめあっていた。


「うーん、イルカとか?」


「なるほど、それはいいな」


 水族館は勿論海に隣接しているわけだが、お陰で海も久々に見ることができた。以前家族で来た時には、姉が岩に座って地平線を眺めていた。

 中に入ると、海にガラスの箱を打ち込んで、そのまま海を持ってきたかのような美しい空間が俺たちを迎えてくれた。

 夢喜は喜んでいるようだった。


「そんなに来たかったんだな」


「私、嬉しい」


 そんなに素直に喜んでくれるのだから、こっちも嬉しくなる。

 まだ先程開場時間になったばかりなのに、辺りには自由研究をしに小学生が来ていたり、飼育員と話す中学生グループ。さっき電車で見たカップルもいた。


「で、イルカはどこにいるんだ?」


「よくぞ聞いてくれました」


 水族館は三階で横広に空間がとられており、二階の外にある水槽に、イルカはいた。三階の半分は屋上スペースとなっており、売店や双眼鏡で海を見渡すこともできるようになっていた。


「もっとこう、メインの生き物を探すのには苦労するものだと思っていたよ」


「時間を無駄にしたいために、抜かりなくリサーチしておいたの」


「すまなかった。俺も調べてくるべきだったよ」


「イルカに免じて許してあげる」


 二人でイルカをガラス越しに凝視する。俺がイルカだったら、穴が空くだろうな。

 しばらく無言の時間が続いた。こういう時、何かイルカの豆知識なんかを披露すればよかったのだろうか。

 無言というのは辛い。


「ね、イルカってさ」


 昨日の晩飯の話をしようと思っていたところで、幸運にも夢喜から話が振られた。晩飯の話は関係ない上につまらないに違いない。


「水族館と野生とでは、寿命が違うんだって」


「水族館だと狭いから、ストレス感じるのかもな」


 聞いたことのある話だ。動物園に反対するニュースも、見たことがあった。飼育されているから短命になるのかは、当事者と話せないから俺にはわからない。野生も自由である反面、天敵がいる。


「日桜くんは、狭い中で生きてるのは可哀想だと思う?」


「そうだなァ。ここで生まれたのなら、本人の世界の広さの認識は、この広さのままで終わる。この子らが可哀想だという者は、俺たち人間様が世界の広さを知っているから言えることだ」


 大陸が見つかっていない大昔の世界に生きる者たちは、世界はこんなものだと思っていたのだろう。


「俺は可哀想だとは思わない。本人が幸せだったらな」


「でも、聞いてみないとわからないじゃない?」


「だよな。だからこそ、全部本人次第だと思うんだ。第三者が当事者の人生や生き様を評価して、幸せや哀れみを語るのはいいけど、それは結局のところ、第三者の意見に過ぎない」


 夢喜は黙って俺を見ていた。俺は自分で自分の考えに自信が持てなかった。この返答は、場合によっては夢喜を傷つけかねないからだ。

 でも俺は、ありのままの考えを述べた。

 包み隠さず、日桜広夢の考えを。


「本人が幸せなら、俺は嬉しいよ。このイルカも、人と戯れるのを楽しんでるかもしれない。少なくとも俺は、そう思っていてほしい」


 別の種族を見ていると、人間が万能な言語を持ったことは、幸せをもたらしただけではなかったのかもしれないと思う。

 ふと夢喜を見ると、瞳にイルカを映し泣いていた。俺は焦る。


「日桜くんは、私の人生どうだったと思う?私は・・・幸せかな」


「夢喜は、自分が心から幸せと言える?」


 夢喜は黙ったままだった。若くして死を告げられ、さらに期限も迫っている。そんな状況下におかれた人の気持ちは、俺には想像もつかない。


「俺はさ」


 今までの中で一番勇気を振り絞る。


「幸せを感じてほしいよ、夢喜には。だから俺は、夢喜が幸せになる手伝いがしたい」


 一匹のイルカが近づいてくる。俺たちはそのイルカと目が合った・・・多分。イルカは夢喜の前で佇む。

 どうやら夢喜を見つめているようだった。


「元気出せって言ってるのかもよ」


 そのイルカに、凝り固まった空気は溶かされる。


「・・・日桜くんに頼んでよかった」


「ありがとよ」


 ***


 正直、死んじゃうっていうのは何かの冗談だろうと思っていた。

 高校生になって最初の出来事は、余命宣告。

 八月から九月にかけて。と大きな病院で言われた。

 最初に、やっぱり死んじゃうのかって思った。定期検査を受けるたびに、何かの数値が上がったり、また他の数値は下がったり。回数を重ねるごとに、死する時期は明らかになっていったようだった。


「付箋、落としたよ」


 どうやってクラスメイトに死んだことを隠そうかと思っていた時に、その人と出会った。

 ひっそりいなくなれば誰も悲しまずに済むし、夏休み中の急な転校ということにしておけば、誰も傷つかない。

 でも、ある一人には、私が死ぬのを知っておいてほしいなと思った。


 私と同じ、『夢』という字を名に持つ人。


 私がお気に入りの付箋を落とすと、その人はすっと拾ってくれた。


「あっ、ありがとう」


 ちょっとふざけてわざとらしく落としても、ちゃんと毎回拾ってくれた、隣の席の人。

 ちゃんと私のことを見てくれている人がいるんだなって思うと、悪いことをしてるのに、なんだか嬉しかった。


 今その人と、ちょっとしたデートをしています。


 それは純粋な出会いでなはく、死が引き起こした出会い。

 私が死んでしまうことを知っている小中の友人がいない高校をわざと選んだのに、わざわざ彼には打ち明けた。


 彼は私が幸せになることを望んでいるようだけど、私は幸せになるなら彼に幸せにしてほしいなと思う。


 ただ死を待つのではなく、生きがいを必死に見つける手伝いをしてくれた大事な家族。それだけでも幸せでお腹いっぱい。

 だけど、やっぱり家族以外の人に幸せにしてもらえるって、特別なことだと思う。普通なら、他人を幸せにしようなんて思わない。


 彼を選んだ理由は、そんなところ。


 ***


 水族館のカレーには、タコさんウインナーが使われていた。それだけかと言われれば、本当にそれだけだ。


「さっきはごめん」


「いいんだ。・・・それに、謝らないでって昨日言っただろう?俺は楽しみ、楽しませたいんだ」


 泣き止んでくれてよかった。イルカさんに、助けられた。

 周囲も賑やかで、娯楽施設ってのはこうでないとなと思う。


「ねえ日桜くん、明日以降のことなんだけどね」


 一体これから何をしようと考えているのだろう。

 決して無理は出来ないはずだ。


「昔の友達と、遊ぼうと思っているんだけど」


「いいじゃないか、旧友なら尚更会いたいだろう?」


「そう。旧友ってことは、私の運命を知っている人ってことよ」


 そうか、夢喜はそのことを知らない人で構成された高校に来たのだ。旧友らはそれを知って、どうしたのだろう。


「なるほど。ちなみにどこまで行くんだ?」


 ここ。と言って示されたスマホの画面には、俺たちの高校から約三十キロメートル離れた町が映し出されていた。


「家は越したから通学には支障ないけど、なかなかの距離でしょ?」


「ああ。大変だとは思うが、行ってくるといいよ」


 すると、夢喜は困惑した顔をして言った。


「何言ってるの。日桜くんも来るのよ」


 確かに一緒に夏を過ごすと約束したが、旧友との再会に男が一人いるんじゃあ、こっちも気まずいというものだ。

 だが、夢喜のご要望とあれば、拒否する理由はない。


「どこに行くのにも、俺はお供するよ」

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