窓の世界

遠藤みりん

第1話 窓の世界

 いつからこの椅子に座っているだろうか?

どれ位時間が経ったのかも分からない。

 この何もない部屋に置かれているのは酷く埃まみれのこの椅子だけだ。

 俺はこの椅子から動く事が出来ない。何かで強く拘束されている様に立ち上がれないのだ。 

 目の前に唯一あるのは小さな窓。この小さな窓に映る世界だけが俺の全てだ。

 映る世界と言っても無機質な壁が何処までも広がるだけではあるが。

 どうしてこの部屋に俺は居るのだろうか?何も思い出せない。


“もしかしたら全てが夢なのかもしれない”


 そうだ……夢に決まっている!おかしいではないか!理由も無く椅子に座り全く動けないなんて!


 混濁した頭でそんな事を考えているとコツコツコツと足跡が聞こえてきた。

 次第に足音が止まると窓の隅に黒い影だけが写し出された。


 影の男は話し始める。


「よぉ久しぶりだなあ?俺の事を覚えているか?」


 聞き覚えのある声ではあるがどうも思い出せない。何度も何度も聞いた声の様な気もするが。


「誰だ!?」


「やはり覚えてないか……残念だよ」


 影はやけに落ち着いた声色だ。俺はこんなに困っているのに。


「あんたが誰かなんて分からない!俺は椅子から動けないんだ!今すぐどうにかしてくれ!」


「まぁまぁ落ち着けよ、どうしてこの部屋に居るのかも分からないのか?」 


「全く分からない。ここが何処なのかも、何故この部屋に居るのかも、何故この椅子から動けないのかも分からないんだ!あんたなんか知ってるのか!?」

 

「あぁ……知ってるさ、何度も俺たちは話し合ったじゃないか」


「何度も?あんた誰だ?何も思い出せない!」


「本当に何も思い出せないんだな、あんた女は居ないのか?あんた位色男なら女の一人くらい居るだろ?」


「だから何も覚えていない!俺は一体何者なんだ!?」


 俺はそう答えると影の男は大きく溜息を吐いた。俺が何をしたって言うんだ?


「また来るよ」


 影はそう言い残すとまた足音を立て何処かへ行ってしまった。


「待て!行かないでくれ!」


 俺は最後の気力を絞り大声で叫んだが影の男には届きはしなかった。

 久しぶりの会話に疲れてしまったのか俺はすぐに眠りに落ちてしまった。いつもの曖昧な眠りではない明確な眠りだ。


 その夜、夢を見た。


 俺は女と口論をしていた。会話の内容まではもやがかかり聞き取れない。激しい口論だ。

 怒り狂った俺は包丁を取り出し女の腹を何度も何度も刺した。

 右手は重く痺れ心臓の鼓動は何処までも早くなる。身体の震えが止まらない。

 

 俺は椅子の上で目が覚めた。妙にリアルな夢だった。右手も夢同様重く痺れている。


「もういい加減にしてくれ」


 俺は泣き出しそうな自分をこらえ小さく呟いた。


 しばらくするとまたコツコツコツと足音が聞こえ窓の前で止まった。


「随分疲れてる様だな。何か思い出せたか?」


 影の男は同じ質問をする。


「何も思い出せない。もう許してくれ」


「何を許して欲しいんだ?お前は何か悪い事でもしたのか?」


 影の男がそう言うとビニール袋を取り出した。

 ビニール袋に入っているのは赤黒く血に染まる包丁であった。

 夢に出てきた包丁と同じだ。男は窓越しにビニール袋を見せてきた。


「これを見ても何も思い出せないか?」


 俺はもう限界だった。


「何も思い出せない」


「何も思い出せない」


「何も思い出せない」


「何も思い出せない」


 俺は小さく何度もそう呟き窓を眺めていた。影の男の溜息だけが聞こえてくる。











【加害者の調書】

 “19XX X月X日 加害者Aは口論の末、当時の恋人であった被害者Bを自宅にあった包丁で刺殺その後冷蔵庫へ遺棄。

 逮捕後の事情聴取にも事件を思い出せないと黙秘。次第に錯乱し自分の名前も思い出せなくなる”


「駄目だったか……」


 執行人は調書に目を通し小さく呟いた。罪を認めてくれるのでは無いかと僅かな希望を持ち最後の最後まで加害者と向き合ったが意味は無かった。


 もう何人目だろうか……執行人は大きく溜息を吐くとレバーに手を掛けた。加害者の男は電気椅子に座り覗き窓を眺めている。

 






          


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