【10 グラウンドゼロ】

ピピッという音と、激しく点滅するライトで瞼の毛細血管が透ける

真っ白なライトの光、その中を歩いてくるシルエットには見覚えがある

「白波...」

コンクリートに転がる僕を彼女は抱き起こす

「はは、良かったよ食べといてさ」

話ながら凄まじい嘔吐感に襲われ、アスファルトへ胃腸の内容物を吐瀉する

「アロマノカリスさ、彼らのもつ酵素の一部は僕に打たれた毒の効きを著しく軽減するんだははは

あいつはこの商店街で古代生物が常食されていることを知らないんだ」

目の前の景色が緑オレンジピンクの渦を巻く

白波は黙って僕の肩をかつぎ、歩かせる

薬の影響か内臓は不愉快さを訴えてくるのに、なんだかやたらと愉快で気分がいい

「あっははは、影の男に会ったよ

ねえ、もう綾香はいないんだ!こんなに僕が会いたいのも人類を救うためにあんなに生き物を殺したのもあいつは僕がやったことじゃないっていうんだ

なんだか笑いが止まらないよ」

「ちょっとやかましいし、静かにしたほうがいい顔色やばいよ」

白波は僕をクッションのついた座席へと放り込み、僕の口にペットボトルの水を流し込む

「ゲホッゲホ」急に流しこまれた水がベシャベシャと僕の顎を伝いシャツへとしたたり落ちる

乾いて黄色くなった血液が、水分でまたぼやけていく

「はあ、ねえ白波」

「何?」

「僕って今生きてる?」

「生きてるよ

こんなにバカだと思わなかったけど、死にたかったの?」

白波は心底不思議そうにしながら僕へ追加の水を飲ませようとする、流石に頭と体が冷えてきたのでそれを遮ってペットボトルを受け取る

「そうかもしれない」

喉を鳴らして水を飲み、大きく息を吐く

視界の端では青い光の筋がピカピカと点滅しながら蛇行する

「もう一つ聞いていい?これ何」

僕は自分の座る座席を指さし聞く

「いいでしょう、トラックだよ

市場の無人トラックを一つ買い取ったの、かっこいいでしょ」

白波は僕のまだビカビカと安定しない視界の中でも分かるほど満面の笑顔で得意げに告げた


無職無免許運転の白波がアクセルを踏む小型トラックは、作っただけで使われていない商店街を進んでいく

恐ろしいことにこの街には運転免許という概念が存在しないので、白波は完全になんとなくで乗っている

梅雨の薄曇りで時間は判然としないもののもうすっかり日は登っているようで

昨日の夜は闇に包まれていたまでも続く道の寂れた無人の商店や雑草だらけのビルの一階部分が視界を流れていく

「白波」僕は興味深そうに景色を眺めながら運転をする彼女へ告げる

「影の男は、僕だと思う」

「少年は人を襲うような人間じゃないよ」

白波は僕を一瞥した後、また前方へと視線を向ける

「今君と話している僕は、25歳の頃にアーカイブしたデータなんだ

前にも話したと思うけど、僕の血液は大量生産出来ない

成人男性分の僕の血液を個別に精製するのには時間が必要だから、最低限記憶の運用に耐えられる頭脳を持った13歳相当の肉体で設定をしてここにいる…

つまり、僕は僕が25歳以降どうやって生きたのか何があったのかを知らない」

白波がそう、と相槌を返してくれる

「僕は、変わってしまったのかもしれない

僕の想像の付かない人間へと」

僕は首から下げた巾着をぎゅっと握りしめる

どんな理由があっても、最良の友人であった彼女を何度も殺した『僕』を

この僕が許すことはないだろう

「もう一度あの男に会う前に言っておきたいんだけど

私自身は影の男に酷いことをされたわけじゃないから私はあいつをやっつけたい訳じゃないよ、ただ興味があるだけ

…もし、今までの白波綾香が影の男のやったことに納得してたらどうする?」

白波がハンドルを左へと切って、狭く薄暗い側道から車が走るのに十分な幅のあるアーケード街へと出る

「それでもやっぱり、だめなものはだめだよ」

タイルからコンクリートへと変わった道を走り続けていると、前方に僕らと同じ型のトラックが見えてきた

「私、このまま工場へ行こうかなと思って

今までは一日中仕事で、行こうなんて思わなかったから」

白波が口笛でも吹き出しそうに楽し気に言う

「いいね、ちょうど僕もそう提案しようかなと思っていたところさ」


工場はアーケードの突き当りに存在していた

私は初めて道の終わりを目にして、ひそかに心を打ち震わせた

ザアザアと流れる水路は、ゲートの下を通って建物の中へと続いているようだ

深い水路の中でピラニアがうじゃうじゃとうごめいている

トラックを降り、ゲートの前で私は少年へと手を伸ばす

「ん」手をパーにして眼前へと突き出す

「果物ナイフ、私の台所から持ってったでしょ」

「返さなきゃだめかな…」

少年は露骨に嫌そうにする

「当たり前でしょ、私の家のなんだから」

だから返して、と迫ると渋々少年は背に隠していた果物ナイフを私の手に載せる

「じゃあ行こうか」

彼は凶器を失い不安そうな顔をしたが、一泊深呼吸をして

「うん」と返し私の隣に並び歩き始めた


「意外とシンプルな作りなんだね、あれだけの肉や生き物を作ってるんだから

もっとゴテゴテしているのかと思ってた」

私たちは数本のパイプと並走して作られた橋を渡る

ベルトコンベアには真空パックされた肉や、丸まって横たわる生き物が流れていく

工場内の天井はアーケードと同じように曇ったガラスで覆われ、淀んだ光を眼下に流れる水路へと落としている

水路の傍には見たことのない大きな気が空調に合わせてユサユサとダイナミックに揺れていてなんだか楽しげなムードだ

「人工的なタンパク質を合成することはさほど難しくないし、大きな設備自体はこの裏側にあるんだよ

それにここは市民プールを転用して作られているから、もともと水路が引かれていて大規模な工事をする必要はなかったんだ」

「あっピラニアが」

私達の真下、排水口のような場所で腹を見せて浮いた沢山のピラニア達が水流に逆らえず吸い込まれていく

「タンパク質を合成するって言っても、できれば回収して再利用できるものはしたいだろ

彼らが食べた生き物の情報はその場で工場のコンピューターに共有されて

今この街で何が減ったのか、増えたのかをAIを使ってうまく制御して

彼らが蓄えた肉はここで死骸と一緒に回収して再利用するんだ」

「よくできてるね」

「まあね」と少年は複雑な顔をしてみせた

「行こう、この先に影の男の本拠地がある気がする」

少年に促され、私は欄干から手を離した


少年が市民プールと呼んだ施設の突き当りには、木目を施したドアがあった

ドアの向こうは完全に消灯された廊下が向かい側の建物に接続されていた

屋根で覆われたそこは暗く、向こう側の建物の明かりだけでほのかに明るい

「ちょっと怖いね…」と尻ごむ少年を励まし、手を引き建物を移動する

おっかなびっくりの少年と私を迎えたのは、ほの明るい広い空間だった

だたっぴろい空間を、何本かの巨大な柱が支えている

頭上にはキラキラと揺れる何かの飾りが揺れていて、眼下にはまだ空間が続き出口が見える

廊下の端の階段を下れば下のフロアにも行けそうだった

さあ行こうと踏み出した私の足が後ろにひかれてつんのめる

振り向くと少年が俯いたまま、立ち尽くしていた

薬物を打たれた体験が彼を引き留めさせようとしているのかもしれなかった

彼の血の気が引いた唇が開く

「このままにしてもいい?君が良ければ」少年は私の手を強く握って、離さない

その手は小刻みに震え、冷たいのにじっとりと手汗をかいている

「いいよ」と答えるとほんの少しほっとした様子を見せ、また私に並んで歩き出した

階段を下っていくと、空間の大きさに驚かされる

私は初めてこんなに開けた空間を見た、電球でない明るさも初めてだ

光源は出口から漏れている薄く青白い光のようだった

あれだけの大きさなのに、こんなに広い空間を明るく出来るなんてどんなライトを使っているんだろう

一階に着くと、そこはなんだか全体的につるつるした部屋だった

足元のタイルや柱がピンク色っぽい不可思議な模様を描く複雑な石で作られている

その中に見慣れた貝の模様を見つけてじっと眺めていると、まだ少し青白い顔で少年はおかしそうに笑った

「それは君が買ってくれたたこ焼きに入っていたアンモナイトだよ」

「そんなわけない、石のタイルだよ

模様が描いてあるんじゃないの」

私はコンコンと踵で床を鳴らして見せる

「ホントはずっと何億年も前の昔の生き物なんだ、とっくに絶滅して土に埋もれて

身体の成分が入れ替わってこうして石になっちゃったのさ」

少年が床にしゃがんで私に床の一部を指示して見せる

「これがカニ、巻貝。これは分かりやすいね、ベレムナイトだ」

「ベレムナイトは前に仕入れたことがあるよ、これでダシを取ると美味しいんだって店長が言うから」

「ははは、滅茶苦茶だなあもう」

少年は私と手をつないだまま、へたりこむように床に寝転がる

私も彼に合わせて寝転がる、私と彼の胸が呼吸に合わせてゆっくりと上下をする

天井から下がる飾りは、出口から漏れ出る銀色にキラキラと輝く

「ここはなんて不思議な場所なんだろう」

「市民ホールだね、ここは商店街の始まりで終わり門真市市民ホールだ」

少年が天井を見つめてつぶやく

「君はなんでも知ってるね」

「僕はここで少年時代を綾香と一緒に過ごしたからね

そして研究機関に入って、彼女を救いたい一心でこの場所を政府の実験実施エリアの選定リストの一番上に挙げた

だから、この出口の先に何があるかも覚えてる」

私は肘をついて顔をのぞき込む

「あんまり顔色がよくないね」

少年は微笑む

「知りたい?この先にあるもののこと」

私は少しだけ考える、影の男の事、まばゆい光を放つ出口のその先

「いい、っていうの多分あなたは分かってるでしょ」

「…そうだよね、僕はそれも覚えている筈なんだ

でもなんでだろう、白波、君に聞いてみたくなったんだ

ねえ白波、僕がこの先でみっともなく泣いちゃっても幻滅しない?」

私は少年の額へ手を伸ばす、掌がくっつく前に少年が額を寄せる

熱はないようだ、じっと閉じられた瞼を縁取る赤いまつ毛が少し濡れている

「初対面が裸で、その上何回も殺されかけたり、目の前でゲボまで吐いた人が何を言ってるの、そもそも散々泣いてるところも見てるよ」

彼は恥ずかしそうに頭をかく

「そうだったね、でもそれを聞けて安心した

…もう行こうか、僕にとっては思い出で、君には初めての場所へ」

私は震えの止まった彼の手をひいて、立ち上がらせる

「そうだね、行こう」


光の先はコンクリートの道路だった、ただし上にアーケードも天井もない

どこまでも高く、高くに巨大な灰色の覆いがあり

それは風でゆっくりと動いているようだった

そのあまりのスケールの大さに、首を上に向けたままヨタヨタと後ろずさる私を見て少年が「あれが雲だよ」と教えてくれた

「雲?!!?実物ってあんなに大きいの???

私たちがいた商店街のアーケードの上にはこんな巨大なものがあったの???!

凄い…来てよかった…やっぱり仕事辞めてよかったな

そうじゃなかったら、私きっと一生こんなの見られなかった」

少年は雲には興味のないようで、手で庇を作りまっすぐ立って道路の向こうにある大きな建物を見つめている

ツタが絡まった門には「門真小学校、正門」と彫ってある

「僕は行きたいところがあるんだ、ついてきて」

バキバキに割れた道路を渡って彼に連れられて門をくぐると

もはや木と言って差し支えないほど成長したツツジが植わっていた

「多分、このあたりだと思う」彼は屈みこんで、地面を掘り始める

「?」私は彼の手元をじっと見つめてみる

その間も頭上の雲を動かす風は私と彼の髪をさあさあとなびかせる

しばらくした後、「あった…」という彼の声と共に一つのガラス片が土の中から掘り起こされた

「ガラスだよね、何これ?」

「これは、僕と綾香が初めて出会った時に見つけたものだよ

二人で校庭の隅で死んでいた蝶のお墓を作ったんだ」

「あっ…それで蝶が私のネームプレートに彫ってあったんだ」

少年が土がこびりついたガラス片を見つめる

「もっと、涙が出てきたり心が無茶苦茶になると思ったのに

実際に綾香が生きた思い出に触れてみると不思議と冷静なんだな」

「綾香はどんな人だったの、私と似てた?」

「綾香は君とあんまり似てないよ、好奇心のあるところはそっくりだけど

例えば彼女は料理をする時…あれ、なんだったかな…」

少年が眉間を押さえる

その時、校舎のスピーカーからノイズまみれの音楽が流れ始めた

「天国と地獄だ…」彼はつぶやく

校舎の中に見える図書館、そこに影の男はいた


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