【09 オレンジブラッド】

「フィルム焼けたよ、はい」

仕事の昼休憩に抜けてきた私に写真屋の女性が封筒をよこす

「ありがとうございます」

封筒を受け取り、中身を確認すると数枚の写真がしっかりと現像されていた

「あんたすぐそこの総菜屋の子?」

カウンターでレジを打っていた女性が手を止めて私のエプロンをつけ爪で指しながら問いかける

「そうです」

「美味さなんか求めちゃないけど、もっとまともに作るように調理担当の人に言っといてくれない

この間なんか骨が丸ごとそのまま入ってたから」

「ッスー、すみません言っておきます」

私は内心恐縮しきったが、何食わぬ顔を保って写真屋を足早に飛び出した

しかしやる気は急には沸いてこない、職場でいつも通り適当に右から左へと材料をぶち込み目分量で焦げ茶色の液体を回しかける

アロマノカリスだかキリンシアだかの身を剥いて唐揚げの準備を進めていると、前田が私に向かって手招きをする

「白波、お客さんだよ」

怪訝に思いながら厨房から店内に入ると、少年と阿賀座がにこやかに立っていた

少年は商店街をうろついていたところ阿賀座に偶然会ったらしい、菓子まで買ってもらい上機嫌だった

元の歳はもっと上だと言っていた気がするが、身体が幼くなると精神も引っ張られるのだろうか

「白波ちゃん、相変わらずふにゃっふにゃね」

「そうかな、いつも元気ですよ。阿賀座は?ここに買い物に来たんじゃないよね」

「その己の腕前への自負はどうかと思うわよ…、ちょっと市場を覗いた帰りにね

どんな感じのお店だったかしらと思ってお供と一緒に来たってわけ」

阿賀座が私の耳元でささやく

「この子迷子みたいで不安そうだったから連れてきちゃった」

そのまま彼女はサングラスを外してウインクを私と前田に向かって投げる

「白波、これは何?」少し離れた所で興味深そうにショーケースを眺めていた少年が唐揚げを指さして聞く

「でかいエビ」

「アロマノカリスの唐揚げだよ」私に代わって前田が答える

「こんなことのためにアーカイブしたんじゃないぞ!!!」


仕事も終わり、売れ残った総菜を緑色のビニール袋に入れて帰路に就くと、少年が黄色いビスケットをかじりながら私を待っていた

ざあざあと水路の音がして、どこかの誰かの帽子が流れていく

「これ美味しいね、それに月みたいだ」

少年はそういってクッキーをアーケードにかざしてみせる

「月ってそういう風なんだ、私は見たことないから」

「白波はここで生まれる前の記憶を喪失してるから、そうなるよね」

「でも別に不便はないよ」

「いい加減だなあ」

少年がもたれかかっていた電柱から背中を離す

「白波、現像したフィルム前田に見せなくていいの?」

私は足を止め少し考えて、まだ前田が締め作業をしている店内を振り返る

「前田がね、阿賀座のことが好きなんだって」

「出来たら仲良くなれたらなあって言ってた

彼が写真を見たら、失くした記憶を思い出すのかもしれないけど

そしたら今の前田じゃなくなるんじゃないかと思って」

少年は何も言わない、黙って私の言葉の続きを待っている

「カメラを探すって言いだしたのも写真を見せないって決めたのも

どっちも私だから身勝手かもしれないけど、阿賀座は私によくしてくれるし

二人が笑って話してるのをみてたらこれでいいって思ったの」

熱気を孕んだ空気を通してタイルにたこ焼き屋の電球がユラユラと反射する

「そっか、僕は君がちょっぴりうらやましいよ」

少年が相好を崩してうつむく

「適当だから?」

「違うよ、やっぱり僕には眩しいからさ」

彼は私を少しだけ手で遮る形を作ってから冗談めかしてそう笑った


僕は写真を前に腕を組んだ、白波は呑気に缶チューハイを開けている

現像された写真は全部で五枚

古びた商店街が二枚、鉢植えのアジサイ、そしてあの公園が一枚

白波は気が付いていないが、古びた商店街と公園の三枚の写真には共通点がある

アーケードに小さな亀裂があるのだ

よく観察しないと分からない程度に、そこだけ光の透過具合が違う

薄ぼんやりとした空間の中で一部だけが若干白んでいる、これは太陽光だ

やはりあの噂は正しかったと言っていいだろう

前田は空を撮ろうとしていた

その事に感づいた何者かに水路に突き落とされたのだ

白波から例の噂を聞いた時点で信ぴょう性が高いと判断をしていたので、実は昼間の間に、空が見えそうな場所に関してはいくつかアタリをつけていた

途中で阿賀座さんに捕まってしまったが

この商店街には使われていない古い側道のようなアーケード街がいくつも枝分かれしている

空が見えるくらい天井部分が破損をしていて、なおかつ前田の家からそう遠くない距離にある側道は自と限られてくる

「天才学者さん、なんかわかった?」

白波が飲み終わった缶を潰しながら聞いてくる、酒に強い彼女は缶一本ごときでは酔わないらしく顔色も全く変わらない

「なんにも、やっぱり脳は毎日使わないと鈍るね」

「空とか映ってたらよかったのにね、見てみたいし」

ふあ~とあくびをする

「焦らなくてもいいよ、でも私明日も一応仕事だから今日はもう寝るね」

ゆっくりと伸びをして彼女は布団に転がる

僕は電気紐を二回ゆるく引く、パチパチと音と共に暗闇がやってくる

窓の外で明かりを落とした商店街は不気味に沈黙をする

「おやすみ」

「うん、おやすみ白波」

徐々に僕の細胞環境に適応しては光を受容し始める

隣で眠る彼女の寝顔を見て考える、彼女にとって僕は突然降って沸いた珍客だ

本来拒絶されたっておかしくない

(綾香、もしも君が僕の立場だったらどうしたかな)

しばらくのち、隣の彼女の呼吸が一定であることを確認して僕は布団を抜け出す

音をたてないように靴を履いて、戸締りをしてそっと鍵を郵便受けに放り込む

「ありがとう、白波。どうか元気で」


消灯された商店街は不気味に暗闇の口を開ける

僕は拳を固く握り、背骨を支配しようとする恐怖をぬぐうようにぬるい湿度の闇へと滑り出す

前田の家から徒歩で約15分程の商店街の本筋から入った側道

カラーコーンの易しい封印を破って、しばらくの間凸凹のタイルを進む

紺色の視界の中、僅かに月光が落ちて光る個所を見つける

ぼくはそこで廃墟のビルの縁へ腰を下ろし、静かに待つ


数十分か数時間後、眠りと覚醒の間を行き来する僕の目の前で影が止まる

「やあ、来たね」

フードの男は相貌の無い顔で僕を静かに見下ろし、ノイズまみれの合成音声で問う

「なぜ来た」

「交渉するためさ」

僕は立ち上がり、男と向き合う

「お前の望みは分からない。一体この街をどうしたいのか

でもお前に僕の持てる知識を貸して協力をする

その代わりもう白波を、殺さないでくれ」

男は身じろぎ一つしない

「今までの白波を殺したのもお前だ」

僕は一指し指を突きつけ、証拠を述べる

「白波のように都合よく街に来る前の記憶や、前田のように空を見た部分の記憶を消せるなんて芸当、誰にでも出来るわけじゃない

意図して記憶の保存個所にエラーを起こして、記憶の抜けた部分を作ったんだ

僕らの研究は国によって厳重に隠匿されていた、漏洩した情報程度でそこまでの事が出来るわけがない

あの研究室の中に中にいた誰かがこの商店街を構築し、そして空を見ようとする人間を消している

僕は白波綾香のことをよく知っている、彼女は気になったことを放っておけない

きっと何度も、…何度空の記憶を消されても見に行こうとしたんだろう

『やっぱ隠されてると気になるよね、見に行くか』とか言って

だから白波綾香の人生の記憶を丸ごと消して、空自体を知らない状態にしたんだ

今の彼女は空を知らない、でもその内にきっと空を見に行こうと言い出す

だから、僕はなんでもする、なんでもするからどうかもう彼女を殺さないでくれ」

男がいびつな形の頭部を揺らし低い声でくつくつと唸るように笑う

そのノイズは僕への敵意で満ち満ちている

僕はその様子にそっと背に隠していたナイフへと手を伸ばす

「僕と刺し違える前に教えてくれよ、お前は誰だ」

「お前には分からないだろう」

「自分の名前をも忘れてしまったお前にはな」

影の男が挑発するように笑う

男はポケットの中から緑色の液体が充填された注射器を取り出す

灰色の手袋の中でそれは不気味に輝く

「それは」

「見覚えがあるか?無くては困る

これでたくさんの被験体を眠りにつかせたんだから」

悪寒とフラッシュバックが駆け抜け、僕は奥歯を噛み締め耐える

研究室で産まれて死んでいった沢山の虫、魚、動物、人

そのもう二度と動かない姿、宙へ伸ばしたまま固まった脚やまつ毛

男はフンと合成音声で不気味に笑い、僕へと問いかけを投げる

「お前が白波に会いたいという意思、被験体への懺悔の念

それは本当にお前のものか?ははは

僕から見たら、嘘っぱちのオモチャに見えるぞ」

そう告げた瞬間、男のキックが僕の腹部に命中をする  

「あっ」

あまりにも突然の暴力にバランスを崩され、背中の凶器を構える暇もないまま慌ててなんとか立ち上がろうとする

そこへ容赦なく膝が入り、僕の臓器が押し上げられる

「うえ゛っ」唾と胃液が同時に逆流を始めて視界が宙を彷徨う

次の瞬間、生暖かいアスファルトで身体中を擦過し痛みと熱さが同時に襲ってくる

オレンジ色をした人造血液が傷口のいたるところから流れていく

男は僕の身体に膝を立て、地面に押し付ける

「さて、次に生まれてこれるのはいつになるかな」

そいつはそのまま注射器を僕の身体につきたて、一気に液体を動脈に注入した


朝起きると、部屋には私一人だった

も抜けの殻の布団は、主を失ったままの形で朝のぼやけた光に照らされている

「そっか、出てっちゃったか…」

私はいつも通り歯を磨き、顔を洗って適当な朝ご飯を済ませて服を着替える

髪を梳いてヘアゴムで縛ったら、玄関で靴を履くだけだ

また同じ一日が始まる

「………」

思い返してみると、少年とは出会ってたった数日だけだったけど楽しかった

いや、その前の横領されたお金を探すところから

肝を冷やしたり、泥にまみれたり、目の前にあるベールの向こう側にドキドキした

常に新しい出来事が私を待ち構えていた

よく考えなくても、あの惣菜店は私がいなくても回っていく気がする

阿賀座も料理の仕事がしたいと言っていたし、前田は彼女と仲良くなりたい

店長も、まあたぶん私がいないほうが嬉しいだろう。知らんけど

決意は出来た、私はキャビネットの中から封筒を出し

ボールペンで「退職届」と勢いよく書く

少年は、もしかしたら私に探してほしくはないのかもしれない

私は彼が求める人ではない

彼と彼女が積み重ねた思い出は何一つこの私には無いし

彼だって私に白波綾香として仲良くすることを期待しているわけじゃないだろう

私と彼は数日前に出会っただけの赤の他人同士だ、でもそんなことはどうだっていいのだ

影の男の正体は分からないままだし、少年が写真を見て何かに気が付いていたのだとしたら私もそれをどうしたって知りたい

空だって、この目で見てみたい

それにもしかすると彼は今頃危ない目に遭っているかもしれない

私はぺたんこの靴を履いてドアを開け、戸締りをする

ドアノブのすぐ上、真鍮のネームプレートに刻まれた蝶の横に「白波」の名がある

私はかつてここで生きて、少年を待った彼女たちに軽く頭を下げる

「お金、使わせてもらうね

ちゃんと彼のために使うから、でもちょっとだけ私のために使っても許してね」

扉はただ静かにそこにある、私を羨むことも背中を押すこともない

私は踵を返し共用廊下の明り取りから差す光を突っ切って、リノリウムの階段を駆け降りるその度に胸が高鳴っていく

私は白波


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