【07 蝶になる】

五月晴れの空には飛行機雲の線がひかれている

その青と白のツートンカラーに万国旗の原色がはためいて楽し気な雰囲気を作る

ピーーーッ徒競走の合図を告げるホイッスルが高らかに鳴らされ、スピーカーから天国と地獄がノイズを含みながら大音量で流される

必死で走る背もバラバラの低学年のこども、せーので旗を振って応援をするクラスメイトとスマートフォンを構える親達

その喧騒のすべてが僕から遠い

校庭の隅、銀杏の大木の下で空気の抜けたタイヤに腰かけて賑わいを傍観する

足元に目をやると蟻が行列を作って、彼らの社会のために働いている

僕はため息をつき、校庭の人だかりからも足元の行列からも目をそらす

道路と小学校を区切るフェンスに沿って銀杏と桜が作る影の下、この喧騒からなるべく遠くへ離れることにした

校門のすぐ近くのつつじの植木まで来たとき、地面に青と黒の模様が入った蝶が死んでいるのを僕は見つけた

アオスジアゲハとみられるその蝶は、死んでからさほど時間は経っていないらしく羽に少し欠けた部分や傷はあるもののまだ柔らかさを保っていた

かがんで蝶を観察していると、後ろから声をかけられる

「ねえ、その蝶どうしたの」

振り向くと赤いハチマキを巻いた女子が立っている

「まだ生きてるの?」

「し、死んじゃってる」僕は内心バクバクしながらその子に答える

「本当に?」その女子は隣にしゃがみ込み蝶をのぞき込むと、風にされるがままに揺らされる蝶を見て「ホントだね」とつぶやく

「僕が殺したんじゃないよ、僕はただお墓を作ってあげようかなって思って」

僕は慌てて小学生らしい理由をでまかせに伝える

「そうなの?私も手伝おうか

五年生の午前の競技は全部終わっちゃって時間あるから」

「疑わないの、僕がやったんじゃないかって

僕の通学班の子やクラスメイトはそう言うよ」

「私その話知らないし、虫ってこんな綺麗に殺せないんじゃないの」

僕はホッとして体の力が抜ける。僕の言葉を聞いてくれる人がいるのは、うれしい

それから僕達はつつじの下に浅い穴を掘って、そこに蝶を横たえた

その子が黄色い砂をパラパラとかけ、僕は上に載せられるだけ落ちていたツツジを載せる

その上にその辺に落ちていた鋭利な角をもつ、若竹色の透明なガラスの欠片を飾る

ピンク色の花とガラスで作った即席のお墓へ僕は十字を切り、彼女は合掌をしてお互いにしばらく目をつむった

僕はこの十字の意味を大して知らない、このアオスジアゲハがどう生きたのかも

只のまねごとで僕達は祈る

暗闇に風が吹き抜ける

目を開けると、隣で祈っていたその子はまだそこにいた

木漏れ日が僕達と今作ったばかりの小さなお墓を、色とりどりの騒ぎから縁取って守ってくれているみたいで心地がいい

ちょうど正午になってスピーカーから流れていたトルコ行進曲がぶち切られ、お昼のアナウンスが流れだす

「あーあ、お昼になっちゃったね

私の家族今年も忙しくて来れなかったんだ。やだな、みんなが家族で食べてるのに

私だけ一人で食べるの」

彼女が運動場から捌けていく人たちを見ながら言う

地面に広げられる色とりどりのブルーシートの上には彼女の場所はないのだろう、たぶん僕と同じように

「もし、君さえよければ僕と二人で食べる?

後でクラスの子から、マッドサイエンティストと一緒にいたって言われるかもしれないけど」

「マッドサイエンティストなの?」

「違うよ!僕は生き物ふつうに好きで…研究だって、酷いことなんかしないよ

カエルも鈴虫も大事に飼ってるんだ」

彼女はそうなんだ、と足で半円を描いてから「うれしい」と言って笑った

「私は白波っていうの白波綾香だよ」


眩む視界がしばらく僕が酸欠状態であったことを伝えてくる

天井からはビーズの飾りが下がり、僕の頬をひんやりと掠める

ジャラジャラとそれらを鳴らしながら、毛皮のシーツを捲ってベッドからゆっくりと上体を起こす

今の僕の身体は、僕の最後の記憶より随分小さくて細い

第二次成長期を経て筋肉が発達する前のまだ頼りない腕を、回らない頭でぼーっと眺めているとふすまが開いて、白波の顔をした女性が入ってくる

「よかったね、阿賀座の家が近くにあって」

「君の友達?」

「違う、知り合い」

「白波ちゃん冷たい~!市場でお買い物を仲じゃないの~」ふすまの向こうからハスキーな女性の声が聞こえる

「白波、さん。ふすまをしめてもらっていいかな」

彼女は小さく頷いて、戸を引いて占めた

「傍に座って」

僕がそう頼むと、ぶち模様の毛皮の上に腰かけ僕の顔を見下ろす

その顔は、僕が生きる世界を変えてでも、何を代償にしてでも出会いたかった友人の姿そのものだ

「痛む?」

「ううん、平気だよ。助けてくれてありがとう」

研究所で重圧に押しつぶされそうだった時、白波がいつかのように僕を孤独の淵から助けに来てくれたらどれだけいいだろうと思った

電波を遮断する合金の扉を開け、滅菌シャワーを超えて無菌室のパスワードを破ってまた僕に、「それって何してるの?」とさえ聞いてくれたら

こんな倫理観の無いグロデスクな研究や、未曾有のパンデミックから人類を救うなんて大義をすべて放り出して青い空の下なんてことのない話を永遠にするんだ

そんなことを一人で味のしない夜食を食べながら、何度も何度も想像した

だけれど冷たいアルミニウムの机は現実だけを反射した

今僕の目の前にいる女性は、僕を不思議そうな顔で見下ろす

「怖かったろ、逃げてもいいんだよ」

「そういうわけにもいかないでしょ、あなた子供だし…

子供じゃなくても、別に親しくなくても目の前で死なれるのは嫌だよ」

彼女はなんてことないように言う

「気になったら無視できない」

「はは、」生ぬるい液体が僕の両目からこぼれる

この身体は僕の研究通り上手に出来ているらしい、昨日今日生まれたばかりの肉体なのに感情の昂ぶりで塩化ナトリウムを多量に含んだ涙を流すことが出来る

対して僕は出来損ないで、身体を制御する心を持たない

嗚咽がうまく止められない、この間もあんなに泣いたのに

「君が白波じゃないこと分かってるんだ

もう彼女はこの世界のどこにも、僕が何回生まれ直してもいないんだって」

「そうだね」

「彼女は、きっと僕に会いたかったと思う

最後にLINEをしたとき、また話そうねって言ってくれたんだ」

隣に座る女性は、僕をじっと見る

「白波が、何回もこの街に生まれて死んでいって

そのたび僕をずっと待って、最後に死んだ時どんな風だったのか後悔はなかったか

淋しくはなかったかって想像するととても耐えられない

僕はあんなに彼女に助けてもらっていたのに、僕は、僕は…」

行き場のない自分への無力感で自分の髪をぐちゃぐちゃにして縮こまる

「私は、あなたと彼女のこと知らないけれど

その人が私の身体を持つ人ならきっとそんなに気にしないと思う」

彼女の言葉に顔を上げる

「会いたかったとは思うけど、恨んではないんじゃない」

「そうかな…」

「まあ、分かんないけど」

「そうだね…結局どんなに考えたって分からないことだね

…きっと君にも僕にも分からないほうが、いい」

僕は内臓を起点にしない胸の痛みを左手でなぜる

そこにはかつての白波がお金と一緒に隠した巾着がある

目の前の彼女が私のものではないから、と僕に首から下げさせたのだ

昨日の夜にそっと覗いたそこには中には小さなキーホルダーや安物の指輪なんかの雑多とした小物が入っていた

僕は、白波がその一つ一つをどんな思いで集めたのか、僕に何を話そうと思ったのかをずっと分からないまま生きていく

「…君は、君で白波だから僕は君のことは白波と呼ぶことにするよ」

「わかった、じゃああなたの記憶の中にいる白波は何と呼ぶの?」

「面と向かって呼んだことないから照れくさいけど、綾香って呼ぶよ

LINEの登録名は綾香だったしきっと許してくれる」

そう伝えると白波は、「いい名前だね」と言ってちょっと口角をあげて

ふすまを引いて部屋を出ていった、その後ろ姿は悲しいほどに僕の記憶の中の白波綾香のままだ

「綾香…会いたいよ…」

目の淵にたまった涙が一粒静かに頬を流れた


「で、少年きみの名前はなんてーの?」阿賀座は手際よくお茶を注ぎ、漆黒の亀ゼリーと自家製らしいカラフルなフルーツポンチを人数分のガラス製の器に盛っていく

「覚えてないよ」

「えっ」思わず私はぎょっとして少年の顔をまじまじとみてしまった

あんなに色々知っているのに自分の名前を知らないなんてことがあるのかを

少年にヒソヒソと尋ねると、バツが悪そうに「僕は混血児で珍しい血液型だから、作るのに手間と時間がかかるんだ。だから他のコストをなるべく下げてて…」と私に耳打ちした

「いいじゃないか別に僕はこの世界のルーキーなんだ、好きに呼んでくれよ」

「ルーキー?何のこと??」

「この街に来たばっかってことだよ」私は適当にお茶を濁す

阿賀座はどうでもいいようで「はー、えらいねえ若いのに」とゼラチンをレンゲで掬って啜る、「美味しい」と真顔で自画自賛したのち私達に皿を差し出した

「私が商店街に来る前なんか、もっと都会のごちゃごちゃしたとこで遊んでばっかだったよ。気が付いたらここに来てお堅い本屋の仕事なんかしてるけどさあ」

「阿賀座は料理の仕事の方が向いてそうだね」

「でしょう!白波ちゃんは分かってくれると思った、んふふ

白波ちゃんは仕事向いてなさそうよねん、いつ通りかかってもあの店の総菜適当に作ってるの分かるもの」

「んん゛」白玉が喉につまりかける

「人事の采配ミスが起こってるじゃないか」白玉を見つめる少年の目が冷たい

「あ~私は、その、仕事辞めようかと思ってて」

「仕事って辞められるものなの?」

「知らないけど、ちょっとね」少年と阿賀座が同時にレンゲを口に運ぶ手を止め私を見る

「私は今やりたいことがあるから」


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