第37話 ルシファー様、任せる


「どうして……? 貴方は今、こんなにも辛い目に遭っているのに?」

「どうして、って」


 狭山さんは手を取らずに、自分の力で立ち上がる。服についた土埃を払ってから、面倒くさそうに語り始めた。


「わたし、宇都宮から通ってるんですよ。栃木県の」

「は、はぁ」


 結構遠いね。


「上野までね、だいたい片道二時間かかるんです。新幹線なら四十五分ですけど、そんな贅沢出来ないですし」

「それは、その……大変ですね」

「『大変ですね』って気軽に言いますけど、宇都宮から通勤通学したことでもあるんですか?」

「ないです……」


 狭山さんの追撃にミサキさんが萎縮する。一人暮らしとかはさせてもらえないんでしょうね、きっと。


「だからわたし、一日のうちの自由な時間ってそんなにないんですよ。でも推し活には先立つものが必要だから、ずっと時給の良いバイト探してたんです」

「そう、だったんですね」


 だから時給気にしてたのねあの時。


「大学のダン配サークルに入ったけれど、分配金もリーダーのお気に入りにばっかりだし飲み会にお金ばっかり使うから、すごい嫌な感じだったけれど、それでも普通のアルバイトより時給が良いから我慢してて」

「それはさぞ……お辛かったですね」

「またそうやって勝手に人の気持ち代弁するんですね。自分の出ない飲み会に稼いだお金使われたことあるんですか?」

「……ないです」


 寿司食われた事ならあるよ、昨日。


「だからわたし、つらい目になんて遭っていません」


 狭山さんはミサキさんを真っ直ぐと見つめてきっぱりと言い切った。


「ガチャ引いたらスパチャ貰えたし、今だって時給が発生してるし、アスモデウスさんは交通費は経費に出来るから出勤日は新幹線使っていいって言ってくれたし」


 並び立てられる俗物的な理由の数々は、きっとミサキさんには何一つ魅力的ではないのだろう。


「勝手に人を憐れまないで下さい!」


 けれどそのどれもが、彼女の幸せを形作っているとしたら。


「だ、そうだシスターよ。悪質な勧誘はやめてもらおうかな」


 二人の間に割って入り、ミサキさんを手で追い払う。少なくとも狭山さんとミサキさんの勝負はこれで決まりだ。


「だ、そうだミサキ。何に救われるかなんて他人が決める事じゃあなかったな」


 と、遅れて合流してきた鷹宮さんがミサキさんの肩を優しく叩いた。


 ……ウォーリアのサイン入りTシャツ着た大人が言うと説得力が違うな。


「悪かったなルシファー。だが俺達より先には行かせられない……だから」


 簡単な謝罪を済ませてから、鷹宮さんは腰の剣を引き抜き俺達に向けてきた。結局こうなるのかと思いつつも、わかりやすくて嬉しくなる。


「違う」


 けれど、低い唸り声がダンジョンに響く。


「違う違う違う違う! 人の幸せは、全部! 主の下にしか存在しないのです! 人間なんて下等生物は、全部主の前に跪けばいいのです!」


 ミサキさんはさっきまでの余裕は消え失せ、一心不乱に自分の頭を掻きむしる。


「ミサキ……? いつものお前はそこまで言う奴じゃ」

「うるざぃづ!」


 濁音の混じった声と共に、ミサキさんが斧で鷹宮さんを吹き飛ばす。


「違う違う違う違う許さない許さない許さない許さない」


 それから斧を構え直し、俺達に向き合うミサキさん。その豹変した様子は否が応でもあいつを思い出させた。


「MAITOの時みたいだって思ったでしょ」

「……よく知ってますね」

「そりゃあそこの冷血メイドに徹夜で資料見せられたからね。下手したら二代目より詳しいかもよ?」


 ケタケタと笑うベルさん。昨日来たばっかりだってのに勤勉なことで。


「あの糸目は……いないか。相変わらず陰湿な野郎だね、本当」


 俺は彼女の独り言を聞きながら、拳を覆う手袋を掴む。あの時と同じだと言うなら、やることは決まっている。


「待って二代目。ここはあたしに任せてくんない?」


 が、それを止められてしまった。


「俺がやった方が早いって顔してるね。まぁそうなんだけどさ……けど敵の狙いはきっと、二代目の動きを観察する事だと思うから」

「敵って?」


 左手を戻して聞き返せば、ベルさんがきょとんとした顔で答えてくれた。


「ここのボスの天使に決まってるじゃん。気付いてなかったの?」


 思わず無言でアスモデウスに視線を送るが、彼女は相変わらず無言のままだ。本当報連相大事にして欲しいんだけどなぁ。


「まぁまぁこんな小物ぐらいは、下々の者に任せなさいってね」


 ベルさんが俺の背中を軽く叩く。それから一歩前へと踏み出して、握りしめていたチューハイの缶を手渡して来た。


「本当に大丈夫なんですかぁ?」


 まだ残った缶を受け取りながら、ベルさんの背中に冗談を投げる。


「あのねぇ、あたしを誰だと思ってんのさ」


 表情はわからないけど、きっと笑ってくれているだろう。


「こちとら神に挑みしルシファー様の頼れる頭脳……オリジナルセブンが一人」


 彼女の背中が鈍く光る。眩しさのせいで瞬きをした瞬間、俺の瞳に映ったのは。




「ベルフェゴール様だぞ?」




 漆黒に輝く、六枚の翼だった。




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