第29話 ルシファー様、うっかり殴った上に逃げ出す
「社長になれば、さ。タワマンに住んで好きな物食べて、それから夜は三つ星ホテルで会食だって……そう思っていたんだ」
・解像度低すぎてガビガビ 通信制限でもされてんのか?
・人類救った英雄の姿か、これが……?
・食ってばっかりじゃん
・仕事しろゴミ 俺らだって毎日嫌いな奴に頭下げて飯食ってんやぞ
愚民共の辛辣なコメントが襲って来るが、働きたくないと宣戦布告した俺にはもう効かない。
「だから決めたよ、みんな。俺は……」
カメラに真っ直ぐと向き合い、息を吸って、吐いて。
働きたくないと決めたなら。
やるべき事は、もう決まっていた。
「逃げる」
・カスオブザイヤー待ったなし
・新入社員入った初日に逃げる社長ってマジ?
・よういうたそれでこそクズや
・うるせぇ毎秒配信しろ
チッ愚民共がうっせーなぁ。
「あの、ベストフェローズとのコラボ」
「うるせぇ! こっちは仕事するかしないかの瀬戸際なんだよ黙って」
と、ここで背後から何か聞こえてきたので見向きもせずに手で追い払う。
遅れてドンッという鈍い音が響いたせいで恐る恐る振り返ると。
頭から壁に刺さる、キノコメガネの無惨な姿がそこにあった。
「いっけね、殴っちゃった……」
前にもなかったっけこんな事。
・あーあ だから言ったのに^^;
・学習能力/zero
・まぁ向こうもアレだから許してやるけどさ
くそっ、華麗に仕事から逃げ出そうと思ってたのに。
「あの、空野さん」
いや本当不幸って続くよなあーまた後ろから声が聞こえてきたよはい手は腰の前ね腰の前。
「空野さん!」
っていうか空野って誰だよ。
俺だよ。
「……えっ!?」
「具合、悪いんでしょうか。すいませんうちの元リーダーがご迷惑をおかけして」
恐る恐る振り返れば、そこには申し訳なさそうに俺の顔を覗き込む狭山さんの姿があった。
それは昼間の時の姿と重なって。いや仮面、仮面してるよね俺なんで昼間の空野と同一人物だって気付いてんの?
「ちょちょとちょちょっとこっち来ようか狭山さん!」
・空野、それが名字!?
・ルシファー様ついに身バレか
・因 果 応 報
・おいお前ら! ありったけの卒アルかき集めろよ
・個人情報探しに行くのか
爆速で流れるコメントは無視。愚民共はせいぜいありもしない秘宝に胸を躍らせるがいいさ。
「あの、何で俺が『空野』って」
「エフェクトかかってますけど声一緒ですし……あ、わたし声オタだから聞き分けできるんですよ!」
満面の笑みで答える狭山さん。怖いね声オタの耳って、特殊能力かな?
「狭山さん」
「はい」
できる限り優しく彼女の名前を呼び、できる限りそっと肩に手をのせる。今の俺が最優先でやらねばならないのは、彼女の口封じなのだから。
「これから先いつどこで『空野さん』を見かけてもも絶対に話しかけないでね」
「あっごめんなさいVの中の人の詮索は御法度でしたよね……」
「うんVの人じゃないけどね俺。後の細かい話はアスモデウスに聞いてね」
勘違いしてるけどもうそれでいいから。
「お給料の振込先はネットバンクでも良いですか?」
「うんそう言うのマジで知らないからアスモデウスに聞いてね」
そういう事務的な話本当俺役に立たないから。何せ書類にサインした記憶も無いから。
「じゃ」
さて口封じも済んだし。
・逃げるな空野 責任から逃げるな
・おつルシー じゃなかったおつ空野ー
・給料良いなら俺も入るかなアルカディア
・こいついつも逃げてんな
うるせーばーかクソして寝ろ!
「おつルシーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
全速力でその場から走り出す。そうさ、空なんか飛ばなくたって。
人は、こんなにも自由なんだ。
「食費も浮きましたし今日はお寿司にしますか」
それは流石にズルくない!?
◆
寿司に後ろ髪を引かれながらも、俺は何とか浅草の路地裏に逃げ隠れた。室外機のぬるい風を浴びながら、マントと一緒に仮面とコートを脱ぐ。
「ここまで、くれば。大丈夫、だろ……」
日本有数の観光地だけあってか、今日も浅草は大賑わいだ。しかしその弊害とも言うべきか、大通りを少し外れた路地裏にはゴミが捨てられて。
「地元民の迷惑考えろよな」
近くにゴミ箱でもないかと周囲を見回していると、遠くに見える空き缶に目を奪われる。
排水溝の近くで動くそれは、緑色の何かに突かれているように見えた。
「スライム……? な訳ないよな」
確かめようと前に踏み出したその瞬間。
「あいたっ!」
下から、声がした。恐る恐る目線を向けると金髪の美人が寝転んでいた。
「あ、す、すいません大丈夫ですか!?」
「いやいや、これぐらい大した事じゃ……いたたたっ」
お姉さん、と言うのが適切な彼女は足をさすりながらゆっくりと立ち上がる。
折れてはいない、良かった。
「ご、ごめんなさい、今すぐ病院に…….」
あれ、俺が踏んだのに折れてないって?
「いや、これぐらいちょっと休めば治るから……例えばほら」
アイラブ浅草とかいう土産物屋でしか売ってないTシャツを着た彼女は、通りの向こうにある一軒の店を指差して。
「そこの、焼き鳥屋でとか」
「……よし帰るか」
ニヤリと彼女が笑うから、俺は踵を返して逃げようとする。
するが、後ろから肩を掴まれたせいで動けない待ってどんだけ力強いのこの人。
「いたたたたっ! あー折れてる! 折れてるけどあそこの焼き鳥屋で炭火でじっくり焼かれた鶏皮を日本酒で流し込めば治るんだけどなー!? もし治らなかったら警察に駆け込んで被害届出さないとなー……」
脅された。悪魔かこの女は。
しかしこのまま警察に行こうものなら、マスクとコートで正体がバレてしまうかもしれない。
ウエノダンジョンの一件はなんとか有耶無耶なままだが、もし追及されればついに全国ネットに本名顔出し地上波デビューしかねないので。
「……三千円までなら」
財布の中身を正直に申告すれば、彼女は少しだけ足をさすってから俺の肩をポンポンと叩いて。
「君、話がわかるねぇ……将来社長になれるよ?」
もう手遅れな褒め言葉を、一つだけ俺にくれた。
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