変身着物

増田朋美

変身着物

ある日、杉ちゃんと野上梓さんは、用事があって、富士駅近くにある文房具屋さんへ行った。用事は割りと早く終了し、さて帰るかと、二人は富士駅へ向かおうとして、ある踏切近くを通りかかった。

すると、踏切の真ん中に一人の女性が立っているのが見えた。何をしているんだあいつと杉ちゃんが言うと、警報機が大きな音を立ててなりだした。

「何してるんだ!お前さんは!」

杉ちゃんがでかい声でいうと、野上梓さんは、すぐバーをくぐり抜けて、その女性の手を引っ張って、踏切の外へ吊りだした。それと同時に、電車がすごい音を立てて走っていった。

「あーあ、良かったね。お前さんのせいで、電車が遅れてみんなが大迷惑ということもなくなったぜ。」

杉ちゃんはすぐその女性に近づいて言った。

「そういうことじゃなくて、あなたが自殺してしまうのを目撃しないで良かったわ。」

梓さんも彼女に言った。

「どうして止めるんですか?やっと楽になれると思ったのに、なんで邪魔するんですか。私、やっと楽になれると思って、嬉しかったのに!」

「馬鹿者!」

女性がそう言って泣き出すと、杉ちゃんは彼女を平手打ちした。

「どの宗教でも自分から死ぬことを認めている宗教は何処にも無いよ。」

「私は、神様なんか信じません。だって、私から大事なものを全部とっていってしまうじゃないですか!」

杉ちゃんの言葉に女性は金切り声で言った。

「ちょっと待って。大事なものをとってしまうと言いましたよね?それはもしかしたら、子供さんをなくしたとか、そういうことですか?」

梓さんが聞くと、女性は涙をこぼして泣き出した。

「はあ、図星か。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうなんです。それもまだ生まれてもいない、、、。」

それ以上女性は言葉にならないようだ。

「そうですか。わかりました。そういうことならつまり流産されたとか、そういうことですね。そうなると、たしかに、ご自身で制御するのは、難しくなるでしょうね。」

梓さんはそう彼女に言った。

「はい。私は、どうしたらいいのか分からなくて、もう死ぬしか無いと思ってしまったんです。」

「わかりました。それなら、こんなところで、話しているのもおかしいですし、何処か落ち着ける場所へ行きましょうか。そのほうが、安心できるんじゃないかしら。自宅へ帰られても、きっと居場所が無いでしょうし。」

そういう彼女に梓さんは言った。でも、製鉄所に行くには、バスでいかないと遠い。

「とりあえず、人が少なくて、落ち着ける場所がいいわね。喫茶店とかだと他のお客がいて恥ずかしいと思われるでしょうし。」

「ほんなら、こんなところでタクシーを呼ぶのもあれだから、カールさんの店でも行くか。あそこなら、歩いて行けるよ。それに、めったに他のお客は来ない。」

杉ちゃんは、梓さんにそう提案した。

「そうね。そうしましょう、あそこなら落ち着いて話せるわ。きれいな着物もあるし。」

二人はそう言い合って、彼女をカールさんの店である、増田呉服店へ連れて行くことにした。

「よし、とりあえずついてきな。」

杉ちゃんは車椅子を動かし始めた。梓さんも彼女の手を引いて、あるき始めた。幸いカールさんの店は車椅子でも数分で行けるところにあった。小さな建物で、呉服屋という感じではなくて、ちょっとしたブティックの様な感じの店だった。だけどちゃんと増田呉服店という看板はしてあるので、着物屋であることは間違いなかった。

杉ちゃんが店のドアを開けると、ドアに付けられているコシチャイムと、もう少し小さなチャイムがカランコロンとなった。

「あれ、鐘を増やしたんだろうか?」

杉ちゃんが言うと、

「いらっしゃいませ。この鐘はザフィアチャイムと言いましてですね。ちょっとコシチャイムと音が違うから、面白いと思ってつけました。」

と、店の店主である、イスラエル人のカールさんは言った。

「カールおじさんこいつに着物を着せてやってくれ。それも死にたい気持ちから解放させてやれる、明るい色柄の着物だ。」

と杉ちゃんが言うと、女性はびっくりして

「そんな!私が着物なんて!」

というが、

「大丈夫大丈夫、ここの着物は500円とか、1000円くらいしかしないから。2000円あればもう御の字なんだよ。喜んで爆買いするやつも居るよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうですね。この時期に着用できる着物ですと、暑い時期ですから、絽の着物はいかがでしょう?」

カールさんは売り台から着物を何枚か取り出した。

「とりあえず、心の癒やしとして初めて着られるのであれば、絽の小紋などをおすすめします。こちらのガーベラの着物はいかがでしょうか?」

「そんな使い方、できるんですか?着物って言ったら、お祝いの着物とか、そういうときにしか使っては行けないのではないかと思っていましたが?」

女性は思わず驚いてそう言うと、

「いやあ元々着物は、使い道が無いものとして知られていますからね。祝い事では、洋服で済ませる方も多いでしょ。だから新しい使い方を考えないとね。そういうことなら、着物というものはとても美しいものですから、心の癒やしとして使ってもいいじゃないかと思うんです。」

と、カールさんは言った。

「どうですかね。お顔の雰囲気からピンクは似合うと思うんですよね。どうでしょうか。かと言って押し売りはしませんが、お値段はお先に申し上げてしまえば、売れる見込みが無いので、500円でいいです。」

「500円!こんな立派な着物がですか?」

女性はとても驚いて言った。

「それだけ使い道が無いってことだよ。」

杉ちゃんがぼそっと呟いた。

「まあ、何でもいいから、一度着てみたらどうでしょうか?きっと新しい自分になれると思いますわ。」

梓さんは明るく言った。

「あたしも、着物と言うものに助けてもらった一人なのです。あたしは元々、中国から来たんですが、どうせ、周りの人から馬鹿にされて、それはどうしても避けられない民族だったんですけど、日本に来て、着物を着させてもらって、それでその劣等感も消えたわ。だから、その感覚をあなたにも味わってもらいたいです。」

「そうなんですか、、、。」

と、女性は、思わず言った。

「それでは、ちょっと着てみましょうか。洋服の上から着てしまう方もたくさんいますので、それは問題ありません。最近は、足袋を買わずブーツを履いてしまう人もおりますし、普通にスニーカーを履いている人もいますから。」

と、カールさんはそう言って、彼女の肩に着物をかけてみた。彼女はその近くにあった鏡を眺めてみて、

「すごい素敵!自分じゃないみたい!」

と、言ったのであった。

「ええ。着物を買われる方はみんなそう言います。それは、誰でもそうです。そうやって、着物を着ることによって、変身することの手助けをすることができたら本望です。」

と、カールさんが言うと、

「はい。まさか自分が着物を着ることになるなんて信じられません。本当に着物を着ると、自分じゃないみたいで、びっくりです。」

と女性は言うのだった。

「ええ。だから、着物を着るときには、悩んでいたり、つらい思いをしている自分はいないと思ってください。そうすれば少し世の中を明るく見ることができるのでは無いでしょうか?」

カールさんは言った。

「本当だね。もしかしたら、亡くなった子供さんのお導きかもしれないぜ。」

杉ちゃんが言うと、

「そうかも知れないですね。そうなんだ。そういうこともあるんだ、、、。」

と彼女は涙をこぼしてしまった。

「ああほらほら、着物が汚れてしまうよ。それなら、お金を払ってだな。」

杉ちゃんに言われて彼女は、500円玉をカールさんに渡した。

「すみません。あまりに嬉しくてつい。」

と、彼女は言った。

「それでは、お前さんの名前何ていうの?」

杉ちゃんに言われて彼女は、

「ええ、星島結と申します。住所は、沼津になります。」

と言った。

「それで、お前さんの家族構成は?」

「はい。夫と二人暮らしです。結婚して13年経ってやっとできたと思ったんですけど、、、私が、中毒症が酷くなってしまったのがいけなくて。結局、早期胎盤剥離でもう子供も作れない体になりました。なんか、もう心にぽっかり大きな穴が開いてしまったようで、それでもう死ぬしか無いと思ってしまいまして。」

と、星島結さんは涙を拭かずに言った。

「そうなんですね。あたしたちは、流産とか、子供がすぐに死んでしまうとか、そういう事はよくあることだったんですけど、日本ではなかなかそういうことは無いですからね。さぞかしお辛かったことでしょう。」

梓さんが彼女に言った。

「はい。主人は、いつもと変わらず優しくしてくれるんですが、それが返って申し訳なくて。かと言って私も、まだ血圧のことがあって働くというわけにはいかないので。もう終わりにするしか無いのかなと。」

星島結さんは、そう話を続けた。

「そういうことなら、もうここでおしまいにしよ。まあ確かに体の事はあると思うけど、少なくともこっちまで来ることはできたんだし。次は何をするか、それを考えよう。」

杉ちゃんは、にこやかに笑った。

「そうですね。やっとそういう事を思いつきました。こんな美しい着物を着ることができたんですもんね。私、まだ生きていてもいいのかな。でも、着物の着付けなんかはどうしたらいいのかしら。」

「お望みなら、僕がガウン感覚では着れるように仕立て直ししてもいいぜ。僕、和裁屋だからね。」

結さんに杉ちゃんは言った。

「そうですか、そういうことなら、ぜひお願いしようかな。着付け教室なんて、私が行けるようなところではないし、そういうふうに簡単に着られるようにしてくれるんだったらぜひお願いしたいわ。」

「わかりましたよ。じゃあ、お前さんの着物を、おはしょりを縫って着れるようにするね。それでは、おはしょりの長さを決めるから、こっち向いて。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。梓さんが、杉ちゃんに安全ピンを渡した。そして腰紐を結さんの腰に巻いて、おはしょりの長さを決めた。結さんは着物を脱いでそれを杉ちゃんに渡した。

「よし、これを縫って紐をつけておけば、気軽に着られるようになるよ。」

「作り帯もこちらにございます。」

杉ちゃんがそう言うと、カールさんが作り帯をいくつか彼女に見せた。

「いずれも500円で結構です。」

「ありがとうございます。じゃあ、こちらの赤い帯を頂きたいです。」

結さんは一番はじにあった赤い無地の帯を選んで、カールさんに500円を支払った。

「あとはですね、着物で仲間を増やしたいのであれば、こちらに参加してみてはどうでしょうか。ここでは結構重たい事情を抱えている方もこさせてもらっているようですよ。」

カールさんは、一枚のチラシを彼女に渡した。

「着物サークルへのお誘いですか?」

結さんは手に取って読んで見る。

「ええ。ただ着物を着て美術館などに行くというサークルだそうですが、あなたのような重い事情を抱えている方も居るようです。そこでお友達を作られるのも悪くはないでしょう。」

と、カールさんはにこやかに言った。

「良かったねえ。ぜひ、そこで仲良くしてもらうといいよ。リサイクル着物はインターネットでも入手できるからさ、なにか欲しい物が出たらそこで頼むといい。もちろんこの店に来たっていいんだぜ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ありがとうございます。それでは、もう少し生きていてもいいかなと思います。ほんとうにありがとうございました。お礼をしたいので、名前を教えてもらえませんか?」

と、星島結さんは言った。

「お礼なんて言う必要もないと思うけどね。僕は影山杉三で、こっちは親友の野上梓さんね。じゃあ、一週間後の今日、ここへ来てくれる?着物をお渡しするから。」

「ええ。ありがとうございます。必ずここへ来ますから、よろしくお願いします。」

結さんは、頭を下げた。

「はい。任しとけ。じゃあ、もう電車に飛び込もうなんて、そんな馬鹿な事はしないでね。」

「はい、決して致しません。」

杉ちゃんがそう言うと結さんはにこやかに笑った。そして、着物は杉ちゃんにあずけて、作り帯を持って、

「ここでは富士駅へ行くにはどうしたらいいでしょうか?」

とカールさんに聞いた。カールさんが、

「そういうことならタクシーを呼びますよ。」

と言って、電話をかけ始めた。しばらくしてタクシーが、やってきてくれて、星島結さんは、タクシーに乗り込みどうもありがとうございましたと言って、彼女は富士駅に帰っていった。

それから、一週間後。杉ちゃんがおはしょりを縫った着物を持って、増田呉服店で結さんが来るのを待った。野上梓さんも、一緒に待った。

「来ないねえ。」

と、杉ちゃんは言った。

「電車でも混んでいるのかしら?」

と梓さんもいうが、それと同時に、増田呉服店のドアノブにかけられたザフィアチャイムがカランコロンと音を立ててなる。

「ああ、来たか。約束通り、着物のおはしょりは縫ったよ。これで、ちゃんと着られるよ。」

と、杉ちゃんが明るい声でそういったのであるが、やってきたのは星島結さんであった。それははっきりしている。だけど、彼女は、とても悲しそうな顔をして、うつむいているような感じであった。

「なにかあったのか?」

と杉ちゃんが言うと、

「ごめんなさい。着物はやっぱり、苦手だというか、難しいというか、そんな気がしてしまって。」

と、結さんは言った。

「一体何があったんですか?ちゃんと話してもらわないと、何も解決になりませんよ。」

とカールさんが言うと、

「ええ。私あのあと、図書館で本を借りて、帯揚げと帯締めというものが必要になるんだと思ったので、それで、ショッピングモールにある呉服屋さんに行ったんですけど。」

と、結さんは言った。

「それで帯揚げと帯締めを買いたいと言ったら、それよりも、着物を買うほうが大事だとか、今なら、5000円ローンで払えば買えるとか、そういう事を、うるさいくらい言われて、もう帰りたいと言ったら、周りの人達に取り囲まれてて帰れなくなってしまって、もう怖くて怖くて。それでは、用事があるからと言って、急いで帰って来たんですけど。もう、あんなふうに怖い思いをしたくないなって。肝心の帯揚げと帯締めは買えないまま帰ってきてしまったんです。」

「まあねえ、新品呉服を売っている店は、ホント商売法として問題があるよね。」

杉ちゃんは結さんに言った。

「そうですね。そういうやり方を、囲み商法と言いまして、立派な悪徳商法ですよ。幸いクーリングオフもできますけど、たしかに怖い思いをしまして、もう着物は嫌だという気持ちになりますよね。」

と、カールさんも困った顔で言った。

「それで着物が嫌になっちまうのも困るよな。着物は本当に、そういうものじゃないんだけどさ。それより楽しんでもらえたら嬉しいんだけど。」

杉ちゃんは、大きなため息を付いた。

「ちなみにこちらで帯揚げと帯締めは200円程度で買うことができますが、でも、そんなふうにされてしまったら、もう買うきにならなくなりますよね。」

カールさんは、帯締めのたくさん入ったかごを出してきたが、結さんはもう興味が失せてしまった様な感じの顔であった。多分、囲み商法をされてしまってよほど怖かったのだろう。そうなるとやはり日本の呉服屋は問題がある。

「そんな事無いと思うわ。杉ちゃんだってせっかく着物を着られるように直してくれたんだし、あなたがそれをもういらないって言うのは、ひどすぎるんじゃないかしら。それでは、着物を着られるようにしてもらったのに、裏切るのと同じ様なものよ。」

と梓さんが、そう言い出した。

「そうだけど、怖い思いをされて、部品が買えなくなるのは悲しいことだからねえ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「でも、そういう事にあって簡単にやめてしまったら、着物の方が可哀想になるのでは無いかしら。着物には何も罪は無いはずよ。少なくとも一度は欲しくなったわけだし、その気持を大切にしていかなければならないんじゃないかしら。少なくともあなたは、着物を着て、自分じゃないみたいって言ってくれた。それは私にしても、杉ちゃんにしても嬉しいことだったわ。それを、もういらないって言うのは、ちょっと私達は悲しいわね。それでは、着物も悲しむと思うわ。確かに、着物屋というのは、問題があるのかもしれないけれど、それよりも素敵なものであることに変わりは無いのよ。」

と梓さんは、にこやかに笑ってそういうのだった。

「それにあなただって着物にできることをちゃんと知ってるんだし。」

「そうですね。でも、あんなふうに怖い思いをして買うのは、ちょっとなというか、、、。」

結さんは、そういうのであるが、

「いいえ、もし必要なものが出たら、リサイクルで買えばいいの。今はリサイクルで何でも手に入る時代よ。それに、リサイクルのほうが、着物らしい着物が手に入るって喜んだ人も居るわ。だから、それを忘れないでいてほしいの。」

と、梓さんは言った。

「ここで200円で買えるって言う事なら、そうすればいいのよ。それだけのことなのよ。人にどんなに批判されたり、バカにされたりしても、着物は美しいものだから、とても素敵なんだと思えば、また着ることができるようになるはずよ。」

「そうですよね、、、。確かに、着物はとても美しいものですし、あたしも一度は着てみたいと思ったわけですから、やっぱり着てみようかな。」

結さんは、小さい声でそういったのであった。

「ありがとうございます。それでは、私、改めて着物を着てみます。批判とか、そういう事をされても平気にならなくちゃいけませんよね。それが私に課せられた事かもしれない。それでは、私も頑張らないと。」

「そうそう。その調子。それでいいんだ。それで頑張らなくちゃ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑って彼女に着物を渡した。

「それでは、これを大事に使ってな。着物もそのほうが喜ぶよ。」

結さんはにこやかに笑った。






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変身着物 増田朋美 @masubuchi4996

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