64話、ハルのお料理教室(お味噌汁編、その③)
この時間だけで、先生の拍が付いてきたハルが、今まで使っていた鍋を水洗いし。タオルで綺麗に拭いてから、鍋をコンロに戻した。
「よし。さあ、メリーさん。ここからは超簡単だよー。まず、作った一番出汁を鍋に入れて、煮立つまで温めていきます」
「一番出汁を鍋に入れて、煮立たせると。それで?」
「待ってる時間が勿体ないから~、材料の豆腐やネギを切ってくよ」
緩い説明の割に、体をテキパキと動かしているハルが、キッチンにまな板を置き。豆腐を一丁、白味噌が入った容器、長ネギを持ちながら戻って来た。
なるほど。一番出汁を煮立たせている間に、材料の準備を済ませておく訳ね。私も真似をしてみたいけれども……。料理作りが未経験な私には、まだ無理な領域だわ。その内、出来るようになれるのかしら?
持ってきた材料を置くと、ハルはキッチンの下にある収納スペースから包丁を取り出し。両面をパパッと水洗いして、タオルで包丁を拭いた。
「で、まずはネギから切っていきます」
「ここは知ってるわ。青い部分と白い部分を分けて、根っこの部分を切り落とすんでしょ?」
「おお、正解! 青い部分は他の料理で使うから、必ず取っておいてね」
「根っこの部分は?」
「一応、八cmぐらい残して土に植えると、また新しいネギが育つんだけども。ウチにそんなスペースは無いので、短く切って三角コーナーにポイしといて」
「へぇ~、また育つのね。とりあえず分かったわ」
それなりに長く切って土に植えれば、また育つんだ。ものすごい生命力ね、ネギって。
でも、それだけ長く残しておくと、食べられる部分が少なくなってしまう。よし、素直に捨ててしまおう。
「んで、白い部分を斜め切りにして~。切り終わったら、次に豆腐を切ってくよ」
「わあっ、すごい。やっぱり、切るのが早いわね」
その間、僅か十秒足らず。斜め切りにカットされたネギは、厚さ、角度共にほぼ均一。包丁がまな板に当たる音と、ネギの『ザクザク』と素早く切れていく二つの音が、なんとも爽快だ。
「慣れれば、メリーさんだってこのぐらい早く切れるようになれるよ。後で、切り方とコツも教えてあげるね」
「本当? なら、是非お願いするわ」
「オッケー。そいで豆腐は、いつも絹ごし豆腐を使っているんだけども。この豆腐はとても柔らかくて、まな板の上で切った時、持つと形が簡単に崩れちゃうから、手の上に置いて切ってね」
「あっ、それ! ちょっと気になってたんだけど、そんな理由があったのね」
テレビや動画で、他の食材はちゃんとまな板で切っていたのに対し。豆腐だけ手に乗せて切っている場面があったから、観る度に気になっていたのよ。
まさか、そんな理由があっただなんて。しかし、確かに言われてみればそうだ。箸で持とうとするだけで崩れてしまう時があるから、理由を聞けて初めて納得したわ。
「やってみたら分かるけど、マジですぐ崩れちゃうんだ。っと、メリーさん。豆腐を切る時は『さいの目切り』っていう、切り方をするんだけどさ。ここで、注意点が一つあります」
「注意点?」
「そう。まず初めに、横から水平に包丁を二回入れて、次が注意点! 豆腐を上から切る時は、押したり引いたりしないで、ただ手の平に向けて落とす感じで切ってちょうだい」
実演も兼ねて注意点を説明していくハルが、豆腐の側面の上と下部分に包丁入れ。真上を切る時だけ、説明通り、包丁を動かさずにスッと落としていった。これは、理由がすぐに分かったわ。
「やっぱり、いつもの要領で切ると、手まで切れちゃうの?」
「そりゃあもう、スパッていっちゃうよ。豆腐にも血の色が移っちゃうから、本当にマジで気を付けてね?」
「わ、分かったわ……」
実体化していなければ、包丁なんて私の体をすり抜けてしまうけど。そのまま豆腐を切ろうとすれば、豆腐も私の手には乗らず、床へ落ちてしまう。
すなわち、実体化しながら豆腐を切らなければならない。その前に、私はメリーさんという都市伝説、もとい怪異よ。包丁如きで、私の体に傷なんて付けられるのかしら?
……いや、無理に試す必要も無いわ。もし、料理をしている最中に指を切ってしまったら、ハルに危ないからという理由で、料理作りを止められてしまう可能性があるしね。
「おっ、ちょうどよく煮立ってきたや」
「あら、もうなの? 結構早いわね」
弾んだハルの声を追い、私も削り節の匂いを乗せた熱々の湯気を浴びつつ、鍋の中を覗いてみた。
鍋の底から湧いている泡は大きくなっていて、表面に到達してはボコボコと暴れている。
「元々沸いた状態だったからね。で、一番出汁が煮立ったら、豆腐とネギを入れていきますっと」
ハルが二つの食材を静かに入れると、暴れる表面が『パチャパチャ』と音を立てていく。出汁が利いているから、これだけでも十分おいしそう。
「次はどうするの?」
「約四十秒から一分掛けて、豆腐とネギに火を通していくよ。で、最後に味噌を溶かしながら入れるんだけども、ここで最後の注意点!」
『注意点』。これはもはや、ハルの決まり文句ね。人差し指を得意気に立てているし、表情もどこか得意満面になっている。
「最後の注意点、はい」
「味噌を出汁に溶かす時は、必ず火を止めてからにしてね。んで、白味噌の量は、大体これぐらいだよ」
最後の注意点を挟んだハルが、いつの間にか持っていたお玉を私に見せてきた。そのお玉には、大体三分の一ぐらい敷き詰められた白味噌があった。
「ふ~ん、分かりやすいわね。ちなみに、これは一ℓの水から作った場合の量よね?」
「そうだね。量は、おおよそ大さじ三杯分ぐらい。大さじ一杯が十七g前後だから、五十g前後かな。出汁に対して白味噌の量を減らしてあるから、これで物足りないと感じたら、ちょっとずつ加えていってね」
「結構あるように見えるけど、これでも少ないんだ」
ハルのお味噌は、幾度どなく飲んでいるけど、味噌の味はしっかり利いている。もしかして、一番出汁が後押しをしているのかも?
……しまった! 一番出汁の味見をしておくべきだった。そうすれば、違う観点でお味噌汁の味を楽しめたかもしれないのに。勿体ない事をした気分だわ。
「そうそう。私が作る味噌汁って、普通の物よりも薄味なんだよね。でも、一番出汁がしっかり利いてるから、めっちゃくちゃ美味く仕上がるんだ~」
鼻高々と語るハルが、お玉を鍋の中に入れて、白味噌を出汁で溶かしながら全体に馴染ませていく。数秒もすれば、透き通った琥珀色の一番出汁が、瞬く間に濁っていき。
再びコンロの火を点けて、煮立てていけば。私にとっても馴染み深くなりつつある、大好きなお味噌汁になっていった。
「うわぁっ、良い匂いが一気に広がってきた。はぁ~、おいしそう~っ」
これが正真正銘、ハルが作った出来立てのガチお味噌汁。心の芯まで落ち着くような、鼻と食欲をくすぐる白味噌の豊かな香り。
早く食べてくれと誘惑してくる、表面に浮かんだ豆腐とネギ。ああ、何もかもが最高。文句の付けようが無い至極の一品だわ。
「よし、完成! それじゃあ、早速飲んでみる?」
「もちろんよ!」
「おおっ、いい返事だね。んじゃ、用意するから待っててね~」
一秒でも早く飲みたい一心で、我を剥き出しにして気合の入った即答をしてしまった。けど、たまにはいいか。こうやって、清々しく催促するのもね。
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