第13話 ニィト ~村の生活と年下の友人たち~4
小屋の前には、中年の男性が独り椅子に座って、調理の様子を見ていた。
見るからに厳格そうな男である。彫刻刀どころかノミで掘られたかのごとき深い眉間の皴、硬く一文字に引き結ばれた口元、静かだが確固たる意志を感じさせる眼差しは、男の性格をそのまま表したかのようだ。
「炊事頭、ケィヤです。今日は遅くなってすみません。ゴウ家のトウリがしばらく留守にするので、今日から私がゴウとその子らの食事をこさえます」
「うむ、話に聞いていた通りだな。くれぐれも食の災いを起こさぬよう、気を付けよ」
いつになく丁寧な物腰で挨拶するケィヤに、炊事頭と呼ばれた男が返答する。直後、男は俺に顔を向け、話しかけてきた。
「名は」
静かで落ち着いた声であるのに、俺の心臓はそれを聞いた途端大きく跳ねた。
顔が火照り、喉が渇く。口を開くが、空気が漏れるだけで言葉にならない。
聞きなれたハロワィや隣家のゴウとはまるで違う……。いや、聞きなれているかどうかじゃない。言葉と視線に、無条件の好意が含まれているかいないかの違いか。
俺のことを好きでも嫌いでもない、客観的な態度。前世ではありふれていた、他人が俺に向ける態度だ。
久々にそれを正面から受けて、“敏明”だったころの俺の感覚が一気にフラッシュバックしたのだろう。別に悪意を向けられているわけではないのに、目の前の中年男性の眼差しが恐ろしくてたまらない。
引き籠って10年。最後には、肉親以外と目を合わせることが怖くなっていたことを、俺は唐突に思い出したのだ。
固まったままの俺の背に、暖かな感触が広がった。ケィヤが手を添えてくれていた。
たったそれだけの事で、俺の恐怖は霧消した。早鐘のようだった鼓動も落ち着き、喉の奥から何かがせり上がる感覚も収まる。
横を見ると、ケィヤと目が合った。
もちろんケィヤは、俺が突然固まった本当の理由を分かるはずがない。だけど我が子の異変を感じ、“最低限かつ十二分”のサポートをしてくれたのだ。
「は、はい!ニィトです!」
漸く返事をした俺に、中年男性は顔に刻まれた皺を少し歪ませた(どうやら、微笑んだらしいと後で気が付いた)。
「ニィトよ、竈場へ立ち入るならば今から言うことをしかと守れ」
表情を戻し、俺の目をしっかりと見定めながら中年男性は話し始める。
一つ、体の具合が悪いなら入ってはならぬ
一つ、初めに体を清めよ
一つ、食材を大切にせよ
一つ、普段と違う臭いや色の食材を見つけたならばすぐに報告せよ
一つ、……
正直驚いた。
この世界に食品衛生という言葉があるのか分からないが、この中年男性――炊事頭が言っていることはまさにそれだ。
共同炊事場のメリットは多くある。
煮炊きの燃料――薪や炭が大きく節約できるし、火事のリスクが抑えられる。
さらに炊事に関する仕事量が、全体としてみれば圧倒的に減る。仕事量が減るから空いた手で子供の世話ができるし、生産業務にも寄与できる。
しかし、同時に大きなリスクとして生じるのが、食中毒だ。
集団が同じものを食べるのだから、もし食中毒が発生すれば集団全体に影響が及ぶ。
大きな利点と、あるかもしれないリスクを天秤にかけて、利点のほうを採用するのは普通だろう。ただ、この村は危険性を目に入れず楽観的に考えているのではかった。いわゆる安全性バイアスに囚われず、リスクの存在を認識して対策も取っているのだ。
「む、……ニィトよ、ケィヤの言うことを聞き、静かに居るのだ。ケィヤ、しかと見ているように」
「おっしゃる通りにいたします」
驚き感心したせいで呆けている俺を見て、理解できていないと思ったのかもしれない。炊事頭は最後に最低限の注意を俺にして、話を打ち切った。
炊事頭にお辞儀をして、俺たちは小屋を離れた。
「ニィトにはちょっと怖かったかしら。でもね、あの方は食事を作る場所をいつも見守ってくれている、とても優しい方なのよ」
その言葉に続くケィヤの説明――小さな子供用に砕いた表現ではあったが――によれば、炊事頭は村で一番厳格な者が選ばれ、この竈場や食料関連を統括する役職らしい。
つまりは、食料・飲料水・燃料など村のライフラインを統括している人ってことだ。
(村全体の生命財産を守っていると言っても過言じゃないよな…。迫力あるわけだよ)
「こわいかおしてるけど、やさしい人だよ。ニィトもはやくなれるといいね」
横から俺の顔を覗き込んで、リュウが話しかけてきた。竈場に何度も出入りしている先輩らしく得意げに、お兄さん風を吹かせている。
こっちには事情があるんだよと抗弁したいところだが、その“事情”を説明するわけにもいかず、俺は生返事を返すだけだった。
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