第12話 ニィト ~村の生活と年下の友人たち~3

「さあ、朝ごはんの用意をしましょうか。リュウはたまに来ているから分かるわよね、竈場かまどば。今日はニィトも一緒に行きましょう」

「はい、ケィヤさん」


(竈場、か。正直興味はあるな)

 この村には、共同の炊事場がある。村の中央から、やや山のほう――標高の高い方に寄っているそこには、大きな竈が幾つかと上流の沢清水を引いた水場が備えてあり、朝の時間には村中の女性が集まるらしい。


 なぜ集まるのかと言えば、この村では各家庭で調理は基本せず、共同炊事場で調理したものを分け合っているからだ。これが、献立がほぼ村で共通の理由だ。


 俺は最近までそのことを知らず、ケィヤは料理をしない人なのだと思っていた。朝になると鍋を片手に出かけ、料理を持ち帰ってくるから、てっきり村のどこかにテイクアウト対応の料理屋があるんだろうと想像したのだ。

 献立も、季節によって食材に変化はあるものの基本煮物や汁物で、レパートリィに乏しかったこともそう思った一因だ。


 俺は共同炊事場の存在を知った後に遠目に望んだことはあるが、近くで誰かが調理している所を見たことはない。なので、今回賑わっている状況が見られるのは楽しみではある。

 なんだかんだで“食”というのは、生きる楽しみの大きな要素なのだ。

「母さん、行こう!」

 逸る気持ちが抑えられず、俺は年甲斐もなく(見た目は三歳児なので何の問題も無いのだが)はしゃいでしまう。


 村の目抜き通りを、炊煙に向かい連れだって進んでいくと、段々と喧騒が大きくなってきた。日が昇ってきたせいだろうか、進行方向遠くにそびえる山のほうから吹いてきた風が、香ばしいにおいを運んでくる。目を凝らすと、多くの人が炊事場で動き回っているのが見えた。


 五感のうち三つまでを刺激され、急いた気が足を速める。「そんなに急ぐと転ぶわよ」とケィヤが後ろから声を掛けてきたが、どうにも抑えられない。

 横を見れば、リュウと目が合う。表情から、気分が高揚しているのが見て取れる。同じ気持ちなのだろう。小走りで並走する格好で、俺たちは竈場へと急いだ。


「おおお」

 思わず驚きの声が漏れるほど圧倒的な情報量が、俺の眼前に広がっていた。

 こんなにもこの村に住んでいたのか、と今更思うほどの人出。その全てが、老若の差はあれども女性だ。

 赤を基調とし、トライバルタトゥーを思わせる大胆な線の意匠を盛り込んだ服に身を包み、生き生きと調理に勤しむ“誰か”の祖母や母や娘たち。その熱気あふれる動的な立ち振る舞いやリズミカルに響く調理の音が衣装の赤色と相まって、竈火の化身とさえ見紛う。

 熱気の元は、女性たちから受けるイメージや人いきれだけではない。竈の輻射熱や料理から立ち上る湯気が、物理的にも俺に熱を与えてくる。


 更に圧倒されるのは香りだ。

 竈の中で爆ぜる薪がふりまく、スモーキーな香り。燃焼臭だけでなく微かな芳香が混ざるのは、乾燥がやや足らなかったせいだろう。内に含んだ水分が炎に煽られて水蒸気と化すその瞬間に、木の持つ揮発成分を道連れに外へ噴出しているらしい。

 竈の上の鉄鍋からは、様々な野菜と獣肉が煮られて発する、混沌とした――空腹時であれば抗いがたい――香りが漂う。まして、それが勢いよく立ち上る湯気と共に拡散されているとすれば猶更だろう。


 少し目を転ずれば、水場の傍に備えられた東屋で刀工自慢がその技を惜しみなく振るっているのが見える。何とか流庖丁道、なんて名前はないだろう。しかしその太刀たち――いや包丁ほうちょうきの確かさは、確かな日々の積み重ねを感じさせる見事なものだ。

 使っているのは、俺の知る出刃包丁をはるかに超える身幅と重ね(厚み)を持った包丁で、木の葉状の刀身を持つ。刃の部分はカーブを描いており、断ち切りや引き切りだけではなく、食材に対し押し滑らせることでもその“利”を発揮している。


 切られた食材からも、様々な香りが弾ける。熱をくわえられる前の、フレッシュな匂い。玉葱に似た野菜からはやや大蒜にんにくめいた、強く爽やかなくさみ。見慣れぬ葉野菜からは青臭いが、胃腸に良さそうな匂いが漂う。


 ひときわ異臭を放っているのは、竈場の外れに組まれた櫓に幾つも吊るされた獣肉だ。

 既に血抜きも皮剝ぎもモツ抜きも終わっているようで、所謂枝肉のような状態になっている。そのため元の姿は杳として知れないが、今の俺よりも大きな個体だったようだ。

 吊るし肉の周りにいる女性たちが、日持ちさせるためだろう、塩と香草や香辛料らしきものを肉に摺り込んでいる。香辛料の香りは、カレー屋というより中華料理屋のイメージだった。八角や肉桂、花椒などに近い種のようだ。


 興奮して景色に見入っていた俺の肩に、ケィヤが優しく手を添えた。

「さ、先ずは『炊事頭たきごとがしら』に挨拶しましょうね」

 そう言うと、ケィヤは肩に添えた手に少し力を入れ、竈場が見渡せる小屋のほうへ俺を促した。

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