―36― 期待

「ねぇ、カナタ。今すぐ、やろ!!」


 詩音の大声なんて耳に入っていないとばかりに華山ハナはオレのもとへと寄ってきた。

 目がめちゃくちゃ怖い! 華山ハナの目は獣のように鋭く、このまま抵抗しなければ捕食されてしまいそうだ。


「あの、落ち着いてください」


 覆い被さってこようとする華山ハナをどうにか腕で阻止しようとする。


「なんで? わたしのこと好きだよね?」


 そりゃ好き嫌いか言われたら好きだけど。


「だったら、いいじゃん。なにか減るわけじゃないんだし」


 いや、減りはしないけど、大事なもん失うから!


「ねぇ、お願い、カナタ――」


 そう言って、華山ハナは瞳を潤ませる。

 その表情は哀愁が漂っていて、そっと抱きしめて守りたくなるような雰囲気をまとっていた。

 見れば見るほど、華山ハナは完璧に整った顔立ちに理想を体現した肉体美を持っている。そんな彼女がちょっと手を伸ばせば触れられる位置にいるというのは、なかなかくるものがある。

 正直、このままだと流されてしまいそうだ。


「しねぇええええええ!! 主、こんな女にうつつを抜かすとは失望したぞ! この女のどこがいいんじゃ!」


 ぐふっ、おもいっきし蹴られた。溝に入ったせいかちょっと痛い。

 蹴ったのはもちろん詩音だった。すっかり詩音の存在を忘れていた。


「えー、なにその言い方。わたしってどう見ても世界一かわいいと思うんですけど」


「うるさいぞ! このビッチが!」


 グルル、と詩音が唸り声をあげていた。


「あ、そっか、君もカナタのこと好きなんでしょ。それでやきもちを焼いているんだー」


「そんなんじゃないわ!」


 即座に否定されたのちょっと悲しい。いや、わかってはいたけどさ。


「貴様の境遇は理解した。だが、その、カナタと……い、いたすのははっきりいって本末転倒だと我は思うぞ」


 詩音が咳払いをしつつ語り始める。

 いたす、と言ったところだけ言い辛そうにしていた。見た目小学生には刺激が強かったようだ。


「その、誰だっけ? ランキング1位のやつと結婚するのが嫌だとして、代わりにカナタとそういうことしても、どちらにしろ好きじゃないやつとくっつくことに変わらないだろ。それで貴様はいいのか?」


 確かに、詩音の言うとおりだった。

 オレか武藤健吾か、対象が変わっただけで華山ハナにとってどちらもそう変わらないのではないか。


「でもっ! 武藤健吾とこのまま結婚するぐらいなら、カナタの方がマシッ!!」


 華山ハナは叫んだ。よほど武藤健吾が嫌なようで、その言葉には感情がこもっていた。


「おい、あまりうちのカナタを侮辱するなよ。カナタは貴様の道具じゃないんだぞ」


 詩音がドスをきかせた低い声を出す。


「貴様がどこぞのアイドルか知らんが、うちのカナタは貴様なんかよりずっと尊くて気高い存在なんだぞ。次、カナタのことを侮辱したら殺す」


 そう言って、詩音は右手から透明なナイフのようなものを展開しては、華山ハナの首に押し当てながら脅していた。


「ご、ごめんなさい……」


 華山ハナはびくびくしながら謝っていた。

 ちょっとドン引きなんですけど……。

 恐らく詩音がキレたのは、華山ハナが「武藤健吾よりもオレのほうがマシ」と言ったからだろう。秘密結社のボスであるオレがマシとは何様のつもりだ、と言いたいんだろう。

 いや、そんなことでキレるのも意味わかんないし、さっき尊いオレのことを足で蹴ったよな、こいつ。中二病怖すぎだろ。


「おい、そのへんにしておけよ」


 とりあえず、なにか言っておかないと詩音がさらに暴走するかもしれない。すると、ちっ、と詩音は舌打ちしてから展開していた光のナイフを仕舞っていった。

 華山ハナは完全に詩音に対してびびってしまったようで、ガクガク震えながら肩で息していた。さっきまでの陽気な性格は完全に息を潜めていた。


「詩音さすがにやりすぎだ。その、悪かったな。こいつ冗談通じないやつだからさ」


 ひとまず華山ハナを落ち着かせようと声をかける。すると、彼女は「ありがとう」と言いつつ顔を上げてくれた。


「主が優しくてよかったな」


 おい、これ以上ビビらせるなよ。


「ともかく、詩音の言っていたことも一理ある。自分の体を蔑ろにする方法で解決しても意味がないだろ」


「じゃあ、どうすればいいのよっ!」


 華山ハナはそう叫んだと思えば、決壊したダムのように突然泣き出した。もしかすると、彼女はずっと泣きたいのを我慢して、明るい部分だけを見せていたのかもれしない。


「そうだな……」


 どうにかしてやりたいとは思うけど、かといってなにかいい方法が思いつくわけではない。


「方法ならあるぞ」


 詩音が告げた。


「その前にひとつ確認したいことがあるが、例えば、このことを世間に暴露することはできないのか? 考えて見ろ。一介の探索者がいくら権力があるとはいえ、気に入ったアイドルを手に入れるようとしたなんて、世間にバレたらスキャンダルもいいところだろ。だったら、このことをなんらかのSNSで暴露すればいい」


 確かに、と納得する。世間がこのことを知れば、非難は免れないだろう。


「無理だよ。ダンジョン利権は莫大なの。そのぐらいのスキャンダル簡単に握りつぶすことができる」


 この国のメディア事情なんてオレは詳しくないが、アイドルというメディアと多少関わりがある仕事をしていた華山ハナがそう断言するってことはそういうことなんだろう。思ったよりも闇が深そうだ。


「やはりそうか。まぁ、情報の統制なんて世界中でありふれているしな。仮に発信したところで真実だと証明するのは難しい。ただでさえ、この社会はデマで溢れているからな。スキャンダルを流したところでデマだと思われるのが関の山か」


 ホント見た目小学生のくせに随分と達観しているなぁ、とか思わんでもない。


「それで、さっき言っていた方法っていうのはなんのことだったんだよ」


「あぁ、それなら単純なことだ。武藤健吾の権威を失墜させればいい。武藤健吾にそれだけの権力があるのは、彼にそれだけの価値があるからだろ。だったら、その価値を落としてしまえばいいわけだ」


「価値を落とすって具体的にどうやって?」


 言っていることはわかるが、具体的な方法がまったく想像つかん。


「武藤健吾を物理的にぶちのめす。衆目がある中で、武藤健吾に徹底的な敗北をわからせてやればいい。それも、客観的に弱いとされる存在が武藤健吾を負かすとより効果的だな。そうすれば、武藤健吾にそれだけの価値がないとみなが気がついて、おのずと彼の権威は失墜するだろう」


 詩音は堂々と演説するかのごとくそう告げた。


「いい加減にして。そんな絵空事のようなことできるわけがないでしょ」


 華山ハナの主張はもっともだった。


「武藤健吾を負かす? バカ言わないでよ。彼はこの国で一番強い探索者よ。どこに彼に勝つことができる人がいるっていうのよ!」


 彼女は鼻で笑いながらに口にしていた。

 あぁ、そうだぞ。詩音の理論は根本的に破綻している。所詮、見た目小学生が考えることか。


「バカは貴様だ。ここにいるだろ。武藤健吾を負かすことができる存在が」


 そう言って、詩音はオレのほうを見た。


 ん? オレ?


「ランキング一位だがなんだか知らないが、どうせ我が主の足元にも及ばんだろ。しかも、ちょうどいいことに主は適正ランクがFときたもんだ。Fに負けたとなれば、言い訳できぬだろ」


 自信満々なのはなに言ってんのこの子!?


「えっ、カナタってそんなに強いの!?」


 ほら、華山ハナが目を輝かせて期待を膨らませてるけど、どうすんの!?

 オレが武藤健吾に勝てるわけないだろうが!!








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