第二章 きみの話

次の日俺は夏休み初日なのに珍しく早起きをして家を出た。

早起きは苦手だし、むしろこんな暑いんだ。

家で昼過ぎまで寝たいというのが本望だ。

しかしいつ俺の目の前から消えてしまうかも分からない彼女に話したいなんて言われたら会わざるおえなかった。

自転車を駐輪場に停めて病院の中に入る。

蝉の声でうるさかった外とは真逆にシンと静まっていた。

受付の人に俺は声をかけたが、忙しいのか無視をされてしまった。

愛想の悪い人達だな、なんて思っていると焦ってこちらに来る軍道さんが視界に入ってきた。この前とは違い、病衣を着ていた。

「ごめんね優弥くん、私の病室まで案内するね」

そう言われて彼女はエレベーターのある方へ歩いていった。

案内をされている中、病衣を着ている彼女を見て俺は改めて胸が苦しくなった。

もしかしたら彼女の言ってることは嘘かもしれない。大したことないかもしれない。

なんて期待していたけれど、やはり病衣を着ている姿を見ると病人というレッテルが邪魔をしてきた。

そのせいで昨日元気に話しかけていた彼女が今日は病弱な人に見えてしかたがなかった。

「てことで、ここが私の病室だよ」

そう言われて一つの部屋に入れさせられた。

どうやら個室らしい。

部屋を見渡してみると棚には花瓶が置かれていて、ベッドの上にはスマホやゲーム機、小さなお菓子の袋など良い意味で少し散らかっていた。

「ごめんね。今度から受付に話しかけないでそのまま来て良いよ」

と言ってきた。

それは彼女の素直な意見か、それとも俺への配慮かは分からなかった。

「ありがとう」

お生憎様、何を話して良いかわからなかった俺はお礼の言葉を伝えるくらいしかできなかった。でも何か話さなきゃ。

わざわざ呼んでくれたんだからと俺が焦っていると彼女はベッドに散らかっている物を片付けながら俺に話しかけてきた。

「ねえ優弥くん?」

「何?」

数秒間、彼女は黙っていた。

時計の針がカチカチとうるさい中、彼女は俺の方を見ずにずっと黙っていた。

俺は何を言われるか分からない不安と、何故黙っているのか分からない不安の二つに心拍数が上がっていくのが分かった。

そして振り向いた途端

「ごめん、やっぱ何でもなかったや」

と彼女は笑いながらそう言ってきた。

でも何かを言いたそうにしていたことは確実だった。

「え、そこまで言われたら気になるんだけど…」

「ううん気にしないで!それより喉渇いたでしょう?お水買ってくるね」

そう言って彼女は俺におかまい無しに病室を早歩きで出て行った。

彼女が出て行ったと同時に、さっきの呼び止めを疑問に思いながら、俺は落ちていた向日葵のキーホルダーを拾った。

さっきは何が言いたかったんだろうか。

それに気のせいかもしれないが、若干彼女の声が重く感じた。

もしかしたら病気が悪化しているとかだろうか。

それだったら言いたくなかったことも理解できるし、戻ってきたら勇気を出して聞いてみることにした。

「向日葵…好きなのかな」

そんな独り言をポツンと残して俺はそのキーホルダーを机に戻した。


数分経つと病室のドアが開いた。

お待たせと言う彼女は水を買ってくると言っていたくせに麦茶を二本抱えてやってきた。

小さな雑誌も一緒に抱えている様に見えるのは俺の気のせいだろうか。

「ねえ軍道さん」

「なあに?」

「飲み物しか買ってくるつもり無かったんじゃないの?」

照れ臭そうにえへっと笑う彼女は雑誌を見せびらかしてきた。

どうやら旅行スポットが載っている雑誌の様だった。

「実は今度、優弥くんと旅行に行きたいなと思いまして!」

何故か誇らしげに言ってくる彼女に俺はため息をついてしまった。

「きみ…自分の体調のこと分かってるの?」

そう言うと彼女は首を傾げて

「うん分かってるよ?」

と言ってくるので、最早どこからつっこんで良いかわからなくなった。

しかし彼女は続けて

「分かってるけど、もう死ぬかもしれないんだから最期くらい未練無く死にたいよ」なんて言ってきた。

「病院はどうすんの」

「許可取るから!」

「俺と行って何が楽しいの」

「私は友達少ないんですー。ごめんなさいね!」と止まらない口論をしていると、

彼女は頬を膨らませて私、文句あります。

みたいな顔をしてきたので、何を言ってもダメだと気づいた俺は、

「じゃあせめて近場行こうな」とだけ言って小さな椅子に腰掛けた。

俺があっさり受け入れるとは思わなかったらしく、彼女は「え?いいの?!」

とだけ言ってあとはキャーキャー叫んでいた。


二人で麦茶を飲みながら旅行雑誌を見ていると俺はさっき彼女に言いたかったことがあったのを思い出した。

「そういえば、さっき俺のこと呼び止めたじゃん?」

そう声をかけるとその話はもうしたくなかったのか、しづらかったのか、彼女はビクっとしていた。

彼女には悪いがどうしてもこの話だけは気になった為、もう一度聞くことにした。

「あれってさ、もしかして軍道さんの寿命とか、体調が悪化したとかそういう話?」

と聞くと見当違いだったらしく、彼女は分かりやすいくらいに胸を撫で下ろした。

「違うよー。それにさ、私…」

また少し間があった。でも今度はさっきと違って、強い口調でこう言ってきた。

「私、死ぬの少し楽しみなんだ」

心にもないことを急に言うものだから俺は彼女の手を両手で掴んだ。

そこには確かに彼女の体温があって、冷たい俺の手を温めてくれた。

まだ生きていることを確かめて少し安心した俺は一息ついてから彼女に言った。

「何で、そんなこと言うんだよ」

多分、俺の顔はぐしゃぐしゃだったと思う。

勿論、彼女も俺の顔が涙でいっぱいだったことは気付いていたと思う。

昔から感情移入しやすく、涙脆いと言われていた俺はその言葉通りすぐ泣いてきた。

怪我したり無視されたりとか、そんなことでは滅多に泣かなかったが、他人が関わるといつも涙脆くなっていた。

流石の彼女もビックリしたのか、少し申し訳なさそうに笑いながら

「急に変なこと言ってごめんね」

と謝って俺の手を握り返してくれた。

「私でもね、死んでちゃんと会いたい人がいるの」

誰?と言おうとしたが、そこまで言うのはいかがなものかと思い、口は開かなかった。

「だからさ言い換えたら私は死ぬのを恐れないで毎日生きてるってこと!凄いでしょ」

と切り替えようとする彼女に思わず首を縦に振って笑い返した。


何十分経っただろうか。

俺が泣き止むまで彼女はずっと手を握ってくれていた。

男として女の子の前でこんな涙を流すなんてこと本当はしたくなかったが、生理現象には勝てなかったらしい。

俺は落ち着きを取り戻して彼女に、

「ありがとう、ごめんね」とだけ言って

荷物を纏めた。

もう時間がかなり経過していて、早く帰らなくては行けないという気持ちもあったが、

それよりも恥ずかしくて早くこの場を去りたいと思った。

「私もごめんね。またメッセージくれると嬉しいな」

と言ってきたので軽く返事をして別れの挨拶を告げて帰ろうとした。

そのとき彼女が急に優弥くん!と呼ぶので振り返ると申し訳なさそうに

「そう言えば、優弥くんってお家どこらへんなの?」

と聞いてきた。

「どこって、一区辺りだけど…」

「一区…?」

よく分かってないのか、詳しく知りたいのか、彼女は疑問形で首を傾げていた。

その様子が可愛くてたまらなかったから

「後でメールで住所貼っといてやるから」

と残して手を振って部屋を後にした。

帰り道。自転車を漕いでいる中、俺は彼女が言っていた「死ぬのが楽しみ」

という言葉がループしていた。

その言葉と彼女の笑顔が俺の胸をぎゅっとさせていた。

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