第2話 晴れ舞台
柚香は昔から変なものをよく視た。
家の中を漂っているだけの白いふわふわしたものだったり、じーっとこちらを見つめてくるお地蔵さんなど、そのほとんどは害のないものである。
ただ時々、手や足を掴んだり首を絞めたり、直接的に干渉してくる存在がいた。
恐ろしいのと、彼らから向けられる悲しくて辛くて真っ暗な感情が苦しくて、そういった存在を視る度に柚香は泣いて怯えた。
そんな彼女を昔から守ってくれたのが幼馴染の雅也であり、神主の息子という立場もあってか、そういった普通の人には視えない存在に対して偏見なく受け入れてくれる彼の存在がなくては、幼少期の柚香は壊れてしまっていたかもしれない。
人も海も山も、どこに行っても全てが怖くてたまらなかった柚香だったが、年を重ねるごとに少しずつ自分をコントロールできるようになり、今では千穂という親友もできて普通の学校生活を送れるようになった。
それでも今の世の中の「死」を歓迎する空気だけは受け付けず、その巣窟となっているSNSやネットの海だけはどうしても無理なのだった。
昼休みに千穂や雅也と話したことで、朝の奇妙な体験のモヤモヤは少しだけ薄らいだ。
結局あの女性が何者だったのか、後ろから聞こえた声が何だったのかは分からずじまいだが、特に害はなかったわけだし、柚香の勘違いだった可能性もある。
その後も特に変わりなく午後の授業を受け、無事に下校の時刻となった。
「じゃあまた明日ね柚香!」
「うん、また明日。千穂ちゃん」
千穂は放課後アルバイトをしているため、ジャラジャラとストラップをつけたリュックを背負って颯爽と帰って行く。
雅也とは家が近いので一緒に帰る日もあるが、最近はサッカー部の大会が近いからと遅くまで練習をしているらしい。
朝の体験とキララさんの話を聞いたせいで一人で帰るのは少し心細かったが、夕方とはいえ外はまだ明るいし、むしろ早めに帰った方がいいと急ぎ席を立った。
「きゃっ!」
と同時に、ドンッと誰かとぶつかりよろける。
振り向くとクラスメイトの
彼女とは特に親しい間柄ではないが、クラスの中でも派手めなグループにいるという印象で、いつも髪から爪の先まで完璧にオシャレしているような女の子だ。
その吉田さんが泣きながら走り去って行くなんてどうしたのだろうか。
「ちょっと
「ユリのやつ周り見ろっつーの。男にフラれて泣くのこれで何度目だよホント」
振り向くと、吉田さんといつも一緒にいる女子生徒達が駆け寄ってきた。
「ごめんね~。ユリね、また彼氏にフラれちゃったのよ。彼氏っつってもアプリで何回か会っただけの男なんだけどさ」
「あ、泣いてたのは大丈夫よ。SNSに泣き顔アップしてイイネもらいたいだけだし、また次の男見つけて元気になるのがあの子のパターンだから」
だよねー!ギャハハと笑う彼女達に「そうなんだ…」と愛想笑いをする事しかできず、柚香はそそくさと荷物をまとめて教室を出た。
友達って何だろう。彼女達と吉田さんは友達じゃないのかな。
もし千穂ちゃんが男の子にフラれて泣いていたら、私だったらどうするだろう…。
そんな事を考えながら校舎を出ると、すっと辺りの空気が変わったような気がした。
見て…見て…私を見て……
「え?」
どこからか声が聞こえた気がして見回すが、特に変わった様子はなく、楽しげに会話をしながら下校する生徒達の姿があるだけだ。
見て…私を…かわいそうかわいそう……
また聞こえた声に立ち止まる。キョロキョロと辺りを見回す柚香を不思議そうに見ながら通り過ぎる生徒に、この声は自分にしか聞こえていないのかもしれないと嫌な予感がする。
かわいそうな私…見て…見てよ…
徐々に大きくなるその声がどこからするのか、ふと上を見上げるとそれはいた。
「ひっ……!」
屋上にいるそれは、飛び降り防止の柵をよじ登りながら、何十倍にも膨れ上がった巨大な顔を柚香に向け、大きく見開いた目からは涙を流していた。
その顔はさっき泣いて出て行った吉田ユリのものであったが、とても普通の人間のサイズとは思えないほど巨大化した顔は、まるで加工したかのように歪で大きな瞳をギラつかせていた。
私…かわいそうでしょう…見て…私を見て…
うわごとのように同じ言葉を繰り返しながら、重みでグラグラと頭を揺らして吉田ユリはぎくしゃくとした動きで柵をよじ登っていく。
「あれ?ねえ、あそこ誰かいない?」
「えっ!まさか飛び降りる気!?」
ようやく他の生徒達も吉田ユリの存在に気付いたのか、周りがざわつき始める。
しかし柚香と同じように巨大化した顔が視えている人はいないのか、単純に飛び降りようとしている生徒がいると騒ぎになっているだけだ。
誰かが呼びに行ったのであろう教師が真っ青になって飛び出してきて何やら叫んでいる。
騒然となっている現場を前にして、聞こえていた声に恍惚とした響きが加わる。
みんな見て…かわいそうな私を…人生最高の晴れ舞台なのよ
フラれちゃったの私、かわいそうでしょう?見て…見て…
この声は柚香にしか聞こえていないのか、巨大な吉田ユリの顔はゆらりゆらりとしながらも嬉しそうに話している。
ふと、その声が止み、吉田ユリの歪な顔がにっこりと笑った。
「ねえみんな見ててねーっ!」
ここにいる全員に聞こえる声でそう叫ぶと、吉田ユリはぴょんっと飛び上がり、地面で潰れた。
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