第1章 邂逅

第1話 飛び込む駅

「ねえ、ちょっと聞いた?またあの駅で飛び込みだって」

「えーまた?本当迷惑。帰りの電車に影響ないといいけど」


 昼休み。売店で買ったパンの包みを開けていると、後ろの方でクラスメイト達の声がした。

 毎日のように誰かがどこかで自ら命を絶っている現代、飛び込み自殺なんてそう珍しい話題でもないけれど、今日はこんなに良いお天気なのになあなんて、暖かな陽気を感じながら柚香は思う。


「今エっちゃん達が話してた駅ってさ、柚香が使ってる所じゃない?」

「え?」


 外を眺めてぼうっとしていると、サンドイッチを咥えながら器用にスマホをいじっていた千穂ちほが、「ほれ」とニュースアプリのローカル欄らしい画面を見せてくる。


《今月8人目!また自殺!!なぜ東N駅で飛び込むのか?その謎に迫る》


 そう仰々しく書かれたタイトルはどこか面白がっているようで悪趣味に感じたが、たしかに東N駅は柚香が毎日通学で使っている駅だ。

 記事によると今日の午前9時過ぎ、通勤中だったと思われる20代の男性が突然線路に飛び込み、快速列車に撥ねられ死亡したらしい。


「今日の朝って、私も同じ駅から乗ったのに…その後すぐにこんな事故があったなんて」

「午前9時過ぎってさあ、たぶんお寝坊組だよね?会社に遅刻しそうになって怒られるのが嫌で死んじゃったとか!?」

「ちょっと千穂ちゃん!不謹慎!」

「あ~柚香はこういう話題嫌いだもんね。ごめんごめん」


 全く悪びれた風もなく再びスマホを眺めている千穂に呆れながらも、自分自身もパンを片手に読みかけの文庫本を取り出す。


 中学の頃から親友の千穂とは、こういう適度な距離感が心地よくて好きなのだ。

 どちらかというと地味めでおとなしい柚香に対し、流行に敏感で派手な印象の千穂は一見正反対に思えるのだが、中学時代に二人ともカナヅチだからと一緒にプールの授業をサボった事がきっかけでなぜか仲良くなった。


 好きなものや興味がある事もことごとく違うのだけれど、SNSで監視し合っているような周りのクラスメイト達を見ていると、ただ傍にいるだけで安心できるような友達はとても貴重な存在なのかもしれない。


 柚香はSNS、もっと広義な意味で言うとネット社会全般が苦手だ。

 たしかに上手く使えばとても便利な物だと思う。世界中の情報を一瞬にして得る事ができるし、有名人でも何でもない普通の人間が世界に向けて発信できるのである。


 でも、ネットの普及によって広がったのは「死」だ。


 毎日誰かが死ぬのを見聞きし、死にたい人を増やし、死を娯楽化した。


 もちろん柚香だってネットにも良い側面があるのは分かっているが、それでも日々発信される情報のほとんどが何かに取り憑かれたように病んでいると感じるのだ。

 何だか「死」に自分も引き寄せられるような気がして、最近はほとんど見なくなってしまった。


「あっそうだ。今朝といえば、何だかちょっと変な事があったんだよね…」


 あいからずサンドイッチは咥えたままで食事が進んでいない千穂は、「んー?」と目だけを向けた。


「駅で変な女の人に会ったの。立ち止まってずーっと私のこと見てきて、何だか気味悪くてね」

「知り合いとかじゃないの?」

「うーん、少なくとも私は知らないと思う。スーツ姿で、髪は黒くて後ろで束ねてて、顔はよく見えなかったんだけど…」

「えっそれってキララさんじゃん?」


 千穂がビックリしたように顔を上げる。

 「キララさんって誰?」と聞くと、さすがにあんたは疎すぎ!とビシリと指を差された。


「今「お天気雨」で超有名な都市伝説。さっき見せた記事にも東N駅で自殺が多いのはキララさんのせいじゃないかって書かれてたぐらいよ」


 お天気雨?都市伝説?と首を傾げる柚香に溜息をつきながら、素早くスマホを操作した千穂が画面を見せてくる。


 そこには真っ黒な背景に赤い文字で「お天気雨」と大きく書かれ、その下にスレッドらしいタイトルがずらりと並んでいる。

 目についたスレッド名だけでも「女子高生が赤ん坊を遺棄したトイレに凸してみる」だの「事故物件に住んでみようPart.24」だの悪趣味なものから、「噂の人面犬は本当にチワワか?」など意味不明なものまであった。


 どうやら「お天気雨」とはオカルトやホラー全般の掲示板サイトのようだ。


「えーと、ここの…あった!これよ、キララさん」


 再び千穂が差し出す画面を見てみると、そこには「東N駅の都市伝説『キララさん』」というスレッド名があり、その下に様々な書き込みがしてある。


「キララさんはね、東N駅にいるOLの怨霊なの。必死に勉強して良い大学を出て就職したんだけど、新卒で勤めた所がすご~いブラック企業でね。ある日駅で終電を待っていたんだけど、毎日遅くまで残業してクタクタだったからつい立ったまま寝ちゃったんだって。それでふらっとそのまま線路に落ちてドーン!死んじゃったの」


 千穂が右手の拳を電車に見立て、キララさんらしい左手の人差し指をぐちゃりと潰す。


「まあ仕事で疲れてたのが原因なのは間違いないから遺族は過労死だって企業と争ったらしいんだけど、まあ死因は電車による轢死だしさ、あっけなく敗訴。鉄道会社からは多額の賠償金を請求されて、遺族もみーんな自殺しちゃったんだって。


 まあここまではただのかわいそうな話なんだけど、キララさんの事故の後、ものすごい勢いで東N駅での飛び込み自殺が増えたの。

 それで巷では今、そのキララさんが怨霊になって狙った人をあの世へ引っ張っているんじゃないかって専らの噂」


 ここまで語り終えたところで「どうよ?怖いでしょ」と千穂がにんまりと笑う。


「怖いというか…何でそこまで赤の他人がキララさんの事を知っているわけ?実際にニュースになったの?」

「いや、まあそこは都市伝説だから。私もスレに書き込まれた情報しか知らないけど、実際そういう過労死っぽい女性がいたのは本当らしいんだよね」

「何だか信用ならないなあ」


「でも柚香みたいにスーツ姿の女を見たって目撃証言がいっぱいあるんだよ」と更に書き込みを見せようとした千穂のスマホが後ろからヒョイと何者かに奪われる。


「まーた中島なかじまはこんなの見てんのか。柚香に見せんなよ、怖がるだろ」

「あっ山木やまき!私のスマホ返せ!」


 千穂が口を尖らせるとあっさりスマホを返した山木雅也まさやは、隣の椅子を柚香たちの机のところまで持ってくるとドカっと座った。


「雅也くん」

「柚香、嫌いだろこの手の話。人が死ぬだ何だって」


 雅也は、幼少期から家族ぐるみで付き合いのある柚香の幼馴染である。

 千穂は「過保護すぎてキモい」とか何とか言っているが、同じ年でありながら柚香にとってはいつも気にかけてくれる頼もしい兄のような存在だった。


「たしかに怖い話とかはあまり好きじゃないけど、さっきのは私が相談したのがきっかけで…」

「相談?何を?」

「柚香がキララさんを見たのよ、今朝!」

「はあ?キララさんだあ?」


 千穂が先ほどの画面を雅也にもズイと見せる。

 ざっと目を通した雅也が「くっだらねえ」と吐き捨てた。


「そもそもキララさんって名前が全然怖くねえだろ。もっとこう都市伝説っぽい名前あるじゃん、何とか子さんとかさ」

「でも新卒ブラック企業で過労死した人とかって最近の子っぽいじゃん」

「だからキラキラネームってこと?」

「尚更くだらねー!」


 そんな話をして笑っていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

 「やばーい!私日直だった」と千穂はバタバタ走って行き、柚香も授業の準備をしようと引き出しに手を伸ばす。


 その手を雅也がそっと掴んだ。


「なあ…お前、また何か視たのか?」

「え?うーん…視た、かもしれないけど、正直今朝のはよく分からなかったの。ちょっと変な感じがしただけで実害はなかったし、大丈夫」

「そうか、なら良いけど。また何か変なもん視て怖かったら俺に言えよ」


 心配そうな雅也にありがとうと笑顔を向ける。


「まさか本当にキララさんってわけないだろうし」

「ああ、あれはオカルトオタク共が考えた根も葉もない作り話だよ。何だよキラキラネームの都市伝説って」


 ははっ、と笑いながら雅也が自分の席へ向かっていくのを見ながら、そういえばあの時聞こえた声については話しそびれちゃったなと柚香は思った。

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