第9話 そしてまた少尉は鬼を追う

 翌日。

 帝都大橋通り沿いの『霜月楼しもつきろう』には数人の軍人が訪れていた。昨晩のような陰陽特務部ではなく、情報部である。


 事の中心となった日本庭園の松の木の前で、不破ふわが困ったように頭をかいた。


「結局、今回のことはどう捉えればいいんだ? お前さんが朝一番で出した報告書はこっちにも回ってきたが、正直わけがわからなかったぞ」


 隣にいる彰人あきひとは無表情で答える。


「報告書に書いた通りだ。記述通りのことが昨晩、ここで起こった。それ以上でもそれ以下でもない」

「と言われてもなあ……」


 不破の手にはまさに彰人が書いたその報告書がある。

 この『霜月楼』で起こった事件の顛末はすでに帝都軍に報告済みだ。情報部は報告内容を確認する役目も担っており、『千鬼せんき頭目とうもく』絡みということで指揮官の不破が訪れ、彰人も同行することになった。


 不破は松の根元へ視線を向ける。昨晩のうちに穴は埋めてあり、今はやや色の変わった地面があるだけだ。


「つまりこういうことだろ? 昨日、『千鬼の頭目』はこの店に押しかけ、鬼火で脅して宴会をした。隣に居合わせた博徒と喧嘩し、その時にとばっちりで殴られた大旦那の頬っぺたを治してやって、ついでに先祖の隠し財産も見つけてやった。しかも先祖の幽霊まで呼び出して大旦那の誤解を解いて万々歳ときたもんだ」


 思いっきり眉根を寄せ、不破はこちらを向く。


「なんだそりゃ? 不可解過ぎるだろ」

「……」


 自分も似たようなことを感じていた、とは言わない。

 最初に店を脅したことや博徒との喧嘩沙汰は、極めて怪異かいいらしい行動だ。しかしその後に行った平八へいはちのための一連の行動はあまりに不可解である。まるで人間のために手を尽くしたかのようだ。


 隠し財産についても嵐花らんかはあらかじめ知っていたのだろう。怪異ゆえに幽霊から正確に情報を読み取れたのだと考えられる。


「なんかこの鬼……良い奴じゃないか? 怪異が善行するなんてことあるのか?」

「ありえん。怪異は討つべきものだ。例外はない」


「しかしなあ……」

「ありえんと言っている」


 突き放すように断言した。しかし彰人自身、胸のなかにかすかな戸惑いが生まれているのを感じていた。

 昨夜、平八が隠し財産を使うと決めた後、嵐花は満足した様子でここを立ち去った。討つべき怪異が逃げようとしているのに彰人は動くことができなかった。それは部下たちも同様で、陰陽特務部としては恥ずべき失態だ。


 その原因はやはり嵐花と平八のやり取りを間近で見てしまったことだろう。


 文献によれば『千鬼の頭目』は江戸の町を焼き、多くの犠牲者を出した。そうした伝承とあの姿がどうにも重ならない。

 だが帝都軍の本部前で軍用車に鬼火を放ち、大暴れしたのもまた事実である。そこに疑う余地はない。


「確認作業はもういいな? 私は『千鬼の頭目』の捜索任務に戻る」

「待て待て。あとは店主に話を聞くだけだからもう少しいろ。責任者不在じゃ確認にならないだろうが、まったく」


 踵を返そうとしたところで、不破に肩を掴んで無理やりに止められた。

 そのまま縁側から店のなかへと移動する。


「さっきの話だがな、良いことをする怪異ってのもいるにはいるんじゃないか? ほら座敷童とかは家に福を呼ぶって言うじゃないか」


 隅に行燈の置かれた廊下を歩きながら、不破がそんなことを言ってきた。

 彰人は一瞥もすることなく答える。


「陰陽特務部の任務は怪異の討伐及び封印だ。我々は主に帝都の民衆からの通報によって現場へ急行する。お前の言う、座敷童という怪異の通報があったことは一度もない」

「あー」


 隣から呆れたような吐息がこぼれる。


「良い怪異は通報されない。通報されないってことはいないってことか。ずいぶん恣意的な定義だな」

「なんとでも言うがいい。私は任務を果たすだけだ」

「……なんとでも、ね。じゃあ言わせてもらうがね」


 軍帽の下から気だるげな、同時に見透かしたような視線が向けられる。


「命を捨てて怪異を討ったって、神宮寺じんぐうじ家の人々は帰ってこねえぞ?」

「……」


 彰人は無表情で押し黙った。

 そんなことはとうの昔にわかっている。


 神宮寺彰人の生家――神宮寺家は帝都軍でも高い地位にある家柄だった。幕末には目立つ功績はなかったものの、帝都軍設立時には各方面に尽力し、重鎮の一角としての地位を確立した。また血筋が平安の陰陽道の家系だったため、激動の時代のなかで一族の面々にその才覚が目覚め、陰陽特務部の長を担うに至った。


 だが彰人が十代の頃、神宮寺一族は凶悪な怪異によって滅ばされてしまった。

 生き残ったのは彰人ただ一人。遠縁や分家も含め、他には誰も生き残れなかった。


 やがて彰人は帝都軍に入軍し、陰陽特務部に配置された。最初の任務は仇たる怪異の討伐。そこで彰人は目ざましい活躍を見せ、かつて一族を根絶やしにした怪異を見事に討ち倒した。


 しかし、そこからが長かった。


 もう帰る場所はない。

 討つべき仇も討ってしまった。残されたのは空虚な使命感だけだ。

 帝都に仇なす怪異を討つこと。今、神宮寺彰人はそのためだけに生きている。


「不破、礼を言う」

「なんだよ、藪から棒に」


 神宮寺家のことを指摘され、自身の在り方を再確認できた。

 火の入っていない行燈の間を歩きながら彰人は決然と言う。


「怪異を討つのが私の使命だ。『千鬼の頭目』が何をしようが関係ない。すべて否定して奴を討つ。この神刀を使ってな」


 腰のサーベルに触れる。蒼い宝玉が鈍く輝いていた。


「……あのなあ、神宮寺」


 苛立ったように不破は頭をかく。またぞろ口論になりそうな空気だったが、その前に廊下の曲がり角から声が響いてきた。


「どうか、どうかこの金子きんすだけはご勘弁下さい。後生でございます、中将閣下……っ」


 平八の声だった。続いて中年男性の野太い声が響く。


「ええい離せ、爺ぃ! これは怪異によって手に入れた小判だろうが。不浄の金を民が手にするのは為にならん。帝都軍にて没収する!」


 聞き覚えのある声だった。隣の不破も同様だったらしく、足を止めて眉を寄せる。


「この声、それに中将閣下ってまさか……あ、おい、神宮寺!」


 足早に廊下の奥まで進み、角を曲がった。そこにあるのは店主たる平八の居室である。襖は開いており、和室の中央に囲炉裏が見えた。壁際には箪笥と仏壇が並んでいる。


 反対側の襖も開いており、番頭を始めとする店の者たちが青ざめた表情で立ち尽くしていた。囲炉裏の横には平八がいて、畳に額を擦りつけて何かを懇願している。その正面にいるのは――彰人たちと同じ帝都軍人たちだった。


 しかし陰陽特務部でも情報部でもない。本部の内務兵部隊だ。そして彼らは髭を蓄えた中年男性に率いられていた。襟の階級章は中将の位を示している。


黒峰くろみね中将、なぜこちらに?」

「ん? おお、神宮寺少尉、君か」


 そこにいたのは帝都軍の黒峰中将だった。

 本部の第一作戦室で彰人に『千鬼の頭目』討伐を命じた、直属の上官である。


「ちょうどいい。君からもこの老人に言って聞かせてくれ。怪異の関わった悪銭を民の手元に置いておくわけにはいかんとな」


 その言葉に目を向けると、驚いたことに内務兵たちがあの壺を抱えていた。なかにはもちろん霜月喜兵衛の残した天保小判が入っている。


「君の報告書は朝一番で目を通した。『千鬼の頭目』がこの店で天保時代の小判を見つけたらしいな。君は任務で忙しかろう? よって儂が自ら回収にきてやったのだ」

「……」


 とっさにどんな言葉を返していいかわからなかった。どうやら黒峰中将は報告書を読み、霜月喜兵衛の小判を求めてきたらしい。妖威のこびりついた鏡や藁人形など、怪異の関係した道具を安全のために陰陽特務部で回収することは確かにある。


 しかし帝都の民の財産を没収するというのは……。


 彰人が立ち尽くしていると、不破が追いついてきて顔をしかめた。


「なるほどなるほど、掘り出し物の小判が見つかったとわかってネコババしにきたわけですか。黒峰中将、さすがにそれはどうかと思いますよ」

「不破少尉か」


 あからさまに不愉快さを顔に出し、黒峰中将は不破を睨む。


「黙っていろ。君は情報部だ。怪異のことは門外漢だろう? いくら不破家の後ろ盾があるとはいえ、少尉風情が儂に意見することは許さんぞ」

「それは申し訳ありません」


 不服そうに不破は肩を竦める。続いて中将の視線は彰人へと向けられた。


「神宮寺少尉、君の報告書によれば、この小判の山を最初に見つけたのは『千鬼の頭目』だったな? 間違いなかろう?」

「……その通りです」


 軍人らしく、形だけは姿勢を正して答えた。


「儂の管轄する陰陽特務部は怪異の手から帝都の民を守ることを任務としている。この小判は『千鬼の頭目』に関わった、大変危険な代物だ。ならば我々が責任をもって回収するのは当然のことだ。儂は間違っているかね?」

「……いえ」


 彰人がそう答えた途端、平八が中将の足に縋りついた。


「どうかお許し下さいませ! その金子は先代が私たちのために残したものです。それを持っていかれては店が立ちゆきません。鬼の御方にも会わせる顔がございません……っ」

「鬼の御方だと? とうとう尻尾を出しおったな!」


 中将の足が平八のことを蹴り飛ばした。そう強い力ではなかったが、年老いた平八は簡単に畳に転がってしまう。


「神宮寺少尉、この老人は鬼に魅入られているようだ。君が目を覚まさせてやりたまえ。多少手荒なことをしても構わん」


 いくぞ、と合図し、中将は壺を持った内務兵たちと居室を出ていく。

 その背中を横目で見て、不破が小さく舌打ちするのが聞こえた。


「胸糞悪い……神宮寺、黒峰中将は軍規に従って没収するつもりなんてないぞ。そのまま自分の懐に入れるつもりだ。わざわざ自分できたのがその証拠だ」

「……」


 確かにそうなるだろう。黒峰中将の気質は自分もよくわかっている。彼は決して品行方正な人間ではない。だが軍人として上官に逆らうことはできなかった。


「……うぅ」


 老人の押し殺したような泣き声が耳に届く。店の者たちが駆け寄り、彼らに支えられながら平八は慟哭していた。


「申し訳ありません、先代……私、私は……せっかく鬼の御方にも助けて頂いたというのに……店を守りきることが……できませんでした……」

「……っ」


 いつの間にか拳を握り締めていた。軍人として上官に逆らうことはできない。

 そんなことは決してするべきではない。だが、しかし。


「く……っ」


 気づけば中将たちの後を追っていた。廊下に出て、彼らの背中に呼びかける。


「お待ち下さい、黒峰中将!」

「ん? なんだね?」


「その小判を没収することは不当です。帝都軍の規律に反する行為となります。どうかお考え直しを」

「……どういう意味だ?」


 中将の顔色が変わった。

 我ながら馬鹿なことをしている、と自虐的な気分になりながら彰人は口を開く。


「確かに『千鬼の頭目』は壺について気づいている節がありました。しかし実際に松の根元の残滓に気づいたのは私です。さらには掘り出したのは陰陽特務部の部下たちですので、厳密にはこの小判の発見に怪異の関与はありません」


「本気で言っているのかね?」

「私は事実をご報告申し上げております。怪異の関与がない以上、『霜月楼』の敷地内で発見されたこの壺と小判は店主の者です。それを没収することは軍規違反に当たります」


 中将の顔が見る見る険しくなっていく。


「だがあの老人は『鬼の御方』と言っていたぞ? 魅入られている何よりの証拠だろう」

「あれは『黄丹おうにの御方』と言ったのでしょう。黄丹とは顔料の鉛丹えんたんの別名です。顔料商の贔屓がいると昨夜、店主は申しておりました。その者を差して『黄丹の御方』と言っていたのだと思われます」


 無論、平八からそんなことは聞いていない。とっさの方便だ。


「わかった。では君の言う通り、この小判は『千鬼の頭目』とは無関係としよう」


 明らかに苦虫を嚙み潰したような顔をしつつ、中将は頷いた。


「しかし知っているかね? この店は幕末に徳川に与した佐幕派だ。この小判のことが知られれば、新政府があの手この手で没収しようとするだろう。ならばその前に我ら帝都軍が回収した方が帝都のためだとは思わんか?」

「誰にも知られなければ問題はありません」


 自然に声が低くなった。

 すっと目を細め、彰人は中将を見据える。


「我々、帝都軍の責務は帝都の守護及び治安保持です。今さら過去の権力闘争に拘泥する必要はないと考えます。少なくとも我が神宮寺家はそうした理念によって帝都軍を設立しました」


 静かな威圧感が廊下を満たしていた。

 内務兵たちが気圧されたように後退る。同様に中将の頬にも脂汗が流れていた。


「くっ、神宮寺家の子倅が儂に説教をする気か……っ」


 本来、中将の黒峰家はそれほど地位の高い家ではなかった。彼が現在の立場に着けたのは神宮寺家が滅亡したことが遠因だ。その負い目もあるのだろう。今にも沸騰しそうな顔だったが中将は背中を向けた。


「本部へ戻るぞ!」

「つ、壺はどう致しますか……?」

「捨て置け! そんなものはもういらん!」


 内務兵のお伺いに怒鳴り声を返し、派手な足音を立てて中将は去っていった。

 廊下の騒動を聞きつけ、平八や店の者たちが居室から顔を出す。それに気づき、彰人は軍帽を下げて表情を隠した。


「この金子はあなた方の物だ。気兼ねなく使うがいい。……私もこれで失礼する」


 そう言って、廊下を歩きだす。黒峰中将と鉢合わせしないよう、やや速度を緩めて歩いていると、不破がにやついた顔で追いついてきた。


「頭の固いお前さんがまさか上官に逆らうとはなあ。どういう心境の変化だ?」

「……変化などない。私は軍規に則った行動をしただけだ」


「軍規に則った行動ねえ。世の中、不思議なこともあるもんだ。人間と鬼が力を合わせて人助けするなんてな」

「力を合わせて……だと? どういう意味だ?」


 隣に並ぶと、不破はにやけ顔で突拍子もないことを言った。


「『千鬼の頭目』が小判を見つけて、お前さんが中将に没収されそうなところを間一髪で防いで……これじゃあまるで二人でこの店を救ったみたいじゃないか」

「……」


 思わず足を止めた。

 先程、中将たちに向けたのと同じ視線を不破に向ける。


「私に斬られたいのか?」

「おいおい、物騒なことを言うな! サーベルから手を離せ、俺は鬼じゃないぞ!?」

「まったく……」


 小さく毒づき、背を向ける。

 嵐花の行動を肯定したつもりはない。中将の行いを諫めたのは老人を蹴るという暴挙があまりに目に余ったからだ。


 怪異が善行をなすなどありえない。

 ありえるわけがない。


 そう自分に言い聞かせ、彰人は『霜月楼』を後にした――。

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鬼はたまゆら、帝都に酔う 古河 樹/富士見L文庫 @lbunko

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