第8話 月夜にて、願いは届く
しばらくすると、土のなかから何かが現れ、店主の
松の根元から現れたのは――大きな壺。
木製の押蓋と荒縄で固く封をされている。壺を庭園の平らな地面に移すと表面には『丸に三つ霜』の家紋が描かれていた。平八に確認すると、この『霜月楼』の家紋だという。
部下が小刀で荒縄を切り、押蓋を開く。
するとなかには、大量の天保小判が敷き詰められていた。
灯篭の明かりに照らされて、無数の小判が輝く。ところどころに欠けがあったり、表面が割れている粗悪品ばかりだが、それでも一財産にはなるだろう。
「このようなものが店の庭に……っ!? 一体なぜ……っ」
平八はただただ愕然としている。無理からぬことだろう。怪異の鬼が『店を救ってやる』と言い、松の木に何かをしようとしていた。それを知った帝都軍人が根元を掘らさせたところ、家紋の入った壺が出てきて、なかには大量の小判があった。
ただの商人である平八が驚くのも当然のことである。
「軍人様はここにこんなものがあることをご存知だったのですか……?」
「いや」
短く否定の言葉を言い、彰人は口を閉ざした。
その視線は松の木の隣へ向けられている。先程見た時と同様、そこにはおぼろげな揺らぎがあった。具体的には淡い光のようなものが人影の形に揺らめいている。
若い部下が彰人の視線に気づき、同じように松の隣を見て、「あ……」とつぶやいた。
「少尉殿、小さな光のようなものが見えます。あれは……」
陰陽特務部の部下たちは
どうしたものか、と彰人は考えを巡らせる。
彰人と部下が見ている、松の木の隣に存在するもの。その正体は――幽霊だ。
ただし死者が化けて出たもの、といった類のものではない。
陰陽特務部にはよく帝都の民から『幽霊を見た』という知らせが入る。しかし幽霊というものは現実には存在しない。死は死であり、生き物は死ねば無に還る。死んだ後も人間がこの地に留まるようはことは決してない。
ただ時折、生前の想いの欠片のようなものが残ることがある。普通の人間にはほとんど感じ取ることができないが、何かのきっかけで波長が合い、ただの残滓を『人ならざる何か』だと誤解することがあり、これが幽霊の正体だ。
人間に仇なす怪異とは違うため、厳密には陰陽特務部の管轄外になる。怪異憎しの彰人にとっても、幽霊は心の置きどころに困るものだった。
「……」
人影はずっと松の根元を気にしている様子だった。そこで部下たちに掘らせてみたところ、出てきたのがこの『丸に三つ霜』の壺である。となれば、この幽霊の正体は……。
「……やはり不自然極まる」
彰人は独り言をつぶやく。幽霊が何者かは想像がつく。
……とにかく今のうちに浄化してしまうか。
幽霊は管轄外なので、普段は寺から僧坊を呼んで経を唱えてもらうことにしている。それで大概の幽霊は消えるのだが、霊威をぶつけて強制的に浄化する方法もある。やるなら早い方がいいだろう。嵐花がこの幽霊を使って何か企んでいるのなら尚更だ。
彰人は幽霊へ向けて、手のひらを掲げる。するとおぼろげな人影がゆっくりとこちらへ向かってきた。まるで歩み寄ろうとしているように見える。
ひょっとすると、何か伝えたいことがあるのかもしれない。
だが死者は語る口を持たない。伝えたいことがあったとしても、生者がそれが耳にすることはない。自然の摂理とはそういうものだ。哀れだとは思うが、消えてもらう。
そうして彰人が霊威を放とうとした、その時だった。
突然、声が響いた。自信と威圧感に満ちた、天上の調べのように美しい声だ。
「よしよし、きちんと幽霊を見つけたな。褒めてやろう。意外にやるな、彰人」
「――っ」
振り向くと、店の塀の上に嵐花が座り込んでいた。部下たちも気づき、一気に色めき立つ。しかし嵐花は一切気に留めず、優雅に酒を呑んでいた。『霜月楼』の調理場辺りから持ってきたのか、大きな朱塗りの盃を手にしている。
「鬼め、なんのために現れた?」
彰人が問うと、嵐花は盃の酒を一息で煽り、答える。
「おいおい、何を眉をつり上げている? お前は俺を追ってるんだろう? 喜べ喜べ、俺が会いにきてやったのだから」
「……戯言を」
彰人は顔をしかめてサーベルに手を掛けた。すると嵐花は盃を放り投げて立ち上がる。
「さて、始めるか。やはり怪異の俺が呼びかけるより、人間のお前に見つけさせて正解だった。おかげで残滓がより活発になっている」
長い髪が宙を舞った。嵐花は塀から跳躍し、松から少し離れた池のそばへと着地する。彰人と部下たちがいる真っただ中だ。しかし些かも気負う様子はなく、手のひらには赤い鬼火が瞬いていた。夜の日本庭園は騒然とし、若い部下が動揺する。
「お、鬼火!? 奴はこんな場所でまた暴れるつもりでしょうか……!?」
「馬鹿を言え。俺がやろうとしているのはもっと愉快なことだ。今から――」
悪戯めいた笑みを浮かべ、嵐花は言う。
「――死者を呼び出す」
「させるものか!」
彰人はサーベルを抜き、素早く斬り掛かった。だが予期していたかのように嵐花はひらりと躱す。そして手をかざすと、鬼火の炎が松の木を照らした。
「出てこい。そして無念を張らせ。――霜月
途端、鬼火の光に照らされて淡い人影が明確な形を持ち始めた。
浮かび上がるように現れたのは、平八とよく似た老人。
江戸商人らしく髷を結い、『丸に三つ霜』の家紋が入った羽織を身に着けている。
突如現れたその姿を見て、平八の目が大きく見開かれた。
「先代……!? なぜ、なぜ先代が……っ!」
「こいつは幽霊だ」
「幽霊ですと……!?」
「ずっとここにいたようだぞ? この松の木の下で、お前の働きを見ていたようだな」
「そんな、ああ、そんな……っ」
信じられない、と言うように平八は首を降る。気を抜けば崩れ落ちてしまいそうな雰囲気だった。それを見て、嵐花は得意げな顔をしている。
一方、彰人はひそかに唇を噛んだ。
嵐花は今、幽霊を実体化させ、平八にも見えるようにしたのだ。ここにいた幽霊の正体は『霜月楼』の先代、霜月喜兵衛である。
強い霊威を持つ者は幽霊を構成している想いの残滓がどんなものか、読み取ることができる。強い妖威を持つ者も同様なので、嵐花は松の下に霜月喜兵衛の残滓があることに気づいていたのだろう。
だがそれを実体化することは容易ではない。何よりも幽霊そのものに強い念がなければ形にはならないからだ。よって嵐花は一度引き、彰人が幽霊の存在に気づくことに懸けたに違いない。
人間である彰人が気づけば、幽霊は想いを伝えようとして動きだす。そうすることで嵐花が無理やりに形を与えるよりも、ずっと鮮明に形を持つようになる。
その目論見は成功したと言っていいだろう。
先代だと断言できるほど、平八にはっきりと見えているのだから。
しかしそれは許されざることだ。彰人は嵐花を鋭く睨む。
「自分が何をやっているかわかっているのか? いくら想いの残滓と言えど、死者が生者に邂逅することなどあってはならない。それは摂理に反した行いだ」
死ねば皆、土に還る。死後に生者へ影響を及ぼすことはない。
それがこの世のあるべき姿だ。
しかし嵐花はあっけらかんとした表情で首をかしげた。
「摂理? そんなもの気にする必要がどこにある?」
長い髪を揺らし、鬼は穏やかに微笑んだ。
「親が子を想って言葉を残したいと言うんだ。声を届けてやるのが人情だろう?」
鬼が人情を語るなど片腹痛い。しかしもう手出しするわけにはいかなかった。すでに霜月喜兵衛の想いの残滓は実体化してしまっている。
今、下手に手を出して術が中断すると、喜兵衛が悪霊に変わってしまう可能性がある。悪霊は人に仇なすものとして怪異に数えられるので、陰陽特務部としては怪異を増やすような行動は取れない。
彰人は手振りで部下たちに『動くな』と命じた。
それに気を良くし、嵐花は意気揚々と平八に言う。
「こいつはまぎれもなくこの店の先代、お前の父、霜月喜兵衛だ」
鬼火に照らされて、喜兵衛がゆっくりと顔を上げていく。
「俺の見たところ、喜兵衛には何か思い残したことがあるらしいぞ」
「思い残したこと、でございますか……?」
「聞いてやれ、平八。それがお前の為にもなる」
嵐花が促すように言うと、喜兵衛がゆっくりと口を開き始めた。そして生前の想いの残滓が語られていく。
「儂は……失敗した」
思いもよらぬ言葉だったのだろう。
その一言を聞き、平八は虚を突かれたように「失敗……?」とつぶやく。
喜兵衛の目は焦点が合っていない。幽霊とはあくまで想いの残滓。生者と明確に言葉を交わすことはできず、ただ想いを吐き出すだけだ。
「……徳川様の世は不変だと思っていた。尊王派にお力添えすれば、後の世で必ずや子孫たちに見返りを頂けるものと。だから儂は店のすべてを費やして援助を……」
「な……っ!?」
平八の喉から驚きの声が漏れる。
「先代が佐幕派の方々に与したのは政に溺れたからではないのですか……っ」
喜兵衛から答えは返ってこない。ただ、悔しそうに想いをこぼす。
「……口惜しや、口惜しや。まさか徳川様の世が終わるとは……。このままでは儂の失態によって子孫たちの道を閉ざしてしまう。それでもどうか……」
松の木の下、喜兵衛は天を振り仰ぐ。
「どうか一縷の望みは残りますよう……」
ゆっくりと膝を下り、喜兵衛は大穴の前に座り込む。
「儂はここに金子を残す。松の木よ、いずれ子孫たちの手に渡るよう、どうか見守ってやっておくれ……」
その瞬間、平八は唇を震わせた。
「で、ではこの小判は先代が私たちのために……!?」
「そういうことだな」
まるで我が事のように嵐花が頷く。同時に若い部下が戸惑ったような顔で訊ねてきた。
「少尉殿、どういうことなのでしょうか? 自分には事の次第がさっぱり……」
「あの小判は『霜月楼』の先代が残した隠し財産だった、ということだ。おそらくは佐幕派に献上しづらい粗悪品の小判を貯めていたのだろう」
幕末の頃に商人たちが佐幕派や尊王派に援助をしたのは、後の世の見返りを求めてのことが多かった。平八は先代が政の真似事に現を抜かしたものと思っていたようだが、実際は新時代への伝手を残そうとしてのことだったのだろう。
だが結果的にその読みは外れてしまった。霜月喜兵衛が汲みした佐幕派は敗れ、新政府が樹立した。その後、帝都では旧佐幕派だった商人たちの財産を没収するという噂が流れた。実際に没収された事例は過激派に与していたごく一部だが、喜兵衛は『霜月楼』も同じ憂き目に合うことを恐れ、金子を隠し財産として埋めたのだろう。
祈るように首を垂れている喜兵衛に対し、嵐花が髪をなびかせて口を開く。
「その無念、この俺が確かに聞き留めた。任せておけ。必ずやお前の子孫に伝えてやる」
驚いたことに怪異である嵐花の声は幽霊にも届くらしい。
古き時代の老人は安心したように目を細めた。そして最後に子孫への言葉を紡ぐ。
「あとを頼むぞ、平八……」
風が吹き、松の木が枝を揺らした。鬼火の光と共に、灯篭の明かりが日本庭園を照らしていた。そのなかでふいに喜兵衛の輪郭がほつれる。そのまま老人の幽霊は風に溶けるように消えていった。伝えるべきことを伝え、満足したような表情だった。
「お、お待ち下さい、先代! いや父上……っ!」
枯れ木のような足を必死に動かし、平八は駆け寄ろうとする。しかし触れることは叶わなかった。伸ばした手がすり抜けたかと思うと、喜兵衛の姿は瞬く間に消え去った。
「父上……」
もう誰もいなくなった地面に膝をつき、平八は呆然とつぶやく。嵐花の鬼火も消え、庭園は静けさを取り戻した。
「良かったな、平八。これだけ小判があれば店を建て直すこともできるだろう? 西洋風の店にすれば、また客が戻ってくるぞ」
得意げに嵐花が声を掛ける。しかし平八は膝まづいたまま、大きく首を降った。
「……それはできません」
「なに?」
「……私には先代の残した金子を使うことはできません」
「なぜだ? お前たちの為に残したものだぞ?」
もう一度、平八は大きく首を降った。そして絞り出すように言う。
「私はずっと先代を恨んできたのです……」
老人の小さな肩が小刻みに震えていた。
「先代が政に心を奪われて散財しなければ、帝都の世でもきっと『霜月楼』は繁盛していたはず、と。そう恨み言を腹に溜めて生きて参りました。本当は先代は我々子孫の為を想ってくれていたのに……なんという恩知らず
、なんという親不孝でございましょうか。このような私が先代の残してくれた財産に手をつけることなどできません……っ」
「……そうか」
嵐花は目に見えて肩を落とした。
「まあ、お前が嫌だと言うなら無理強いはできんしな」
夜風によって枝葉がさざめくような音が響き、嵐花はなびく髪を押さえる。
「しかし残念だ。せっかく良い店を見つけたというのに……ここが潰れれば他の常連たちもさぞかし落胆するだろうよ」
「……っ」
嵐花の一言にはっと平八は顔を上げた。途端、鬼はにやりと笑む。
「あれほど良い酒を出す店だ。常連が博徒共だけということもあるまい? なあ、平八よ。お前の『霜月楼』は店を愛する客を蔑ろにするのか?」
「そ、そのようなことは……っ」
「ないだろうよ。無頼の博徒共すら客としてもてなすお前だ。足を運ぶ客をお前は何より重んじている」
膝を折り、嵐花は視線を平八に合わせた。
「その客が求めているのだ。お前に店を続けてほしいと。一国一城の主、老舗を守る四代目の店主として、これほど幸福なことがあるか?」
「しかし私にはこの金子を使う資格が……っ」
「資格なんぞ、あるに決まってるだろうが」
細い肩を鬼はしっかりと掴む。
「この店を守ってきたのは誰だ? 西洋化に出遅れて落ちぶれ、博徒共が入り浸るようになっても歯を食いしばって耐えてきたのは誰だ? お前だろう? その風雪に耐え忍んできた日々が今、良縁を呼び込んだのだ」
月夜の下、美しい鬼が語る。
人の肩に触れ、想いを説く。
静かな庭園に力強い声が響いた。
「誇れ、霜月平八よ! この俺が認めてやる。誰がなんと言おうと、お前は先代の想いを継ぐに相応しい店主だ!」
「……っ」
そして。
長い年月の分だけシワの刻まれた頬に一雫の涙がこぼれた。
平八は長いこと口を閉ざしていた。だがやがて泣き笑いの表情で苦笑をこぼす。
「……お客様からそこまでのお言葉を頂戴したら、もう返す言葉はございません」
ぽたり、ぽたり、と目元から雨を降らし、平八は頭を下げた。
「ありがとう存じます。先代の金子、ありがたく使わせて頂きます。四代目の名に恥じぬよう、必ずや店を盛り返してご覧に入れます」
地面の上に温かい涙の跡が増えていく。亡き先代へのわだかまりはここに解けた。客からも強く背中を押され、一店主として長年の苦労が報われた瞬間だった。
その言葉に嵐花は満足そうに笑みを返す。
「おう。楽しみにしているぞ。なにせこの俺が贔屓にする店だからな。帝都一の料亭になってもらわなくては困るというものだ」
「はい、お任せ下さいませ」
強い決意を滲ませ、平八は頷いた。
すると、ちょうどこの夜に幕を下ろすかのように、鹿威しが小気味よく鳴った。
そして彰人は――。
「……」
唖然としたまま、動くことができなかった。まるで何かの絆を結んだかのような鬼と老人の姿を目にし、彰人はただただ立ち尽くすことしかできなかった。
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