第6話 嵐花と平八
帝都に蘇った鬼、
ここは料亭『
宴会をするために訪れたのだが、どうやら隣の部屋で博徒が騒いでいるらしい。
「はてさて、どれほどのものか」
博徒共を叱りつけ、その後に改心したならば、一緒に呑んでやってもいい。博徒というのは市井の人間にとっては脅威だが、あれで意外に陽気な呑み方をする。
昔のことだが嵐花は博徒の酒宴に交じって、何度か呑み交わした経験があった。ひょっとすると、またそうした愉快な酒宴ができるかもしれない。
「お、お待ち下さいませ……っ」
店主である
「頼もう! どうだ? 楽しくやってるか、博徒共!」
左右に勢いよく障子を開ける。すると、複数の視線が一斉にこちらを向いた。
西洋風とは程遠い、どこか小汚い和服姿。厳めしい顔にはあちこち傷跡がついている。なかなかの面構えな男たちだった。しかしあまり楽しい酒宴ではなさそうだ。
芸妓たちが無理やり肩を抱き寄せられて涙目になっている。また、中身の残っている徳利がそこかしに転がっていた。
「なんじゃあお前は!?」
突然やってきた望まぬ客に対し、男のなかの一人が怒鳴り声を上げた。後を追ってきた平八が「も、申し訳ございません……っ」と陳謝する。男はさらに怒鳴りつけようとしたが、嵐花の角に気づいたらしい。
「なんだ、その頭……? つ、角?」
一方の嵐花は完全に興醒めした表情で肩を落とした。
「下らん。なんという無粋な呑み方だ。こりゃ期待外れだったなあ……」
ため息交じりで部屋に入っていき、しゃがみ込んで中身のこぼれた徳利を指で摘まむ。
「ほれ、まだ少し残ってるじゃないか。ああ、勿体ない……こんなことをしていたら酒が泣くぞ? まったく、人間ってのはたまに怪異よりひどいことをする」
やれやれ、と首を降って嘆いた。
すると博徒たちが剣呑な空気でにじり寄ってくる。
「てめえ……怪異か? バケモンが人間様に説教かよ。そんな角ぐらいで俺らがたじろぐと思うなよ?」
「お、お止め下さいませ! いけません! こちらの方は大変お強い怪異だそうです。事を起こせば皆様方もただでは済みません……っ」
平八が割って入って止めようとした。嵐花だけではなく、博徒たちのことも慮った、見上げた態度だった。だが男の一人が手を振り上げ、あろうことか、その頬を強かに叩く。
「うるせえ、爺ぃ!」
「ああ……っ」
痛烈な平手打ちを受け、平八がよたよたと畳に倒れた。芸妓たちが悲鳴を上げ、他の博徒たちが腹を抱えて笑い転げる。
すると徳利を名残惜しく振っていた嵐花の手が――止まった。
片眉を上げ、平八を殴った男を見上げる。
「……おい」
「ああ? どうした、鬼の兄さんよ?」
嵐花は徳利を膳に置き、素早く立ち上がると同時に拳を放った。固い鉄拳が男の顔面に炸裂し、声を上げる暇もなく吹っ飛ぶ。そのまま床の間の壁に激突。掛け軸が外れ、男の頭にはらりと落ちた。
途端、他の男たちが一斉にいきり立った。
「てめえ、何しやがる……っ」
「なあに、酒宴の前の腹ごなしだ」
嵐花はさらりと言い、首を軽く回して音を鳴らす。
「別段、お前らが誰を殴ろうが口出しするつもりはない。俺も気に入らない奴には容赦しない
視界の端には倒れたままの平八。
「店を建て直したとしても、お前らみたいな馬鹿が出入りしていてはゆっくり楽しめそうもない。平八にとってはお前らも大事な客なんだろうが、酒や飯を粗末にするような奴は俺の馴染みの店には不要だ」
うんうん、と自分の言葉に何度も頷く。
「というわけで決めた。お前たちは叩き出す」
「は?」
「聞こえなかったか?」
頬をつり上げて破顔し、拳を握り締めた。
「俺が気に入らないからお前らを叩き出すと言ったんだ!」
「な……っ。てめえ!?」
他の男たちも躍起になって殴り掛かってきた。嵐花は腕まくりをして迎え打つ。
「よしいいぞ、掛かってこい! 喧嘩だ、喧嘩! これこそ江戸の華、いや帝都の華ってやつだなあ!」
向かってきた男の腕を取って一本背負い。部屋から庭園まで投げ飛ばされ、男は池のなかへと突っ込んだ。盛大な水飛沫が上がり、獅子威しがカコンッと鳴る。
「この野郎……っ」
間髪を容れず、次の男が殴り掛かってきたので、ひらりと躱して足払いを掛ける。
「あらよっと」
「なっ!?」
体勢を崩したところで後ろ襟を掴み、これまた放り投げた。男はきれいな弧を描き、襖を破って隣の部屋へと倒れ込む。
そうして片っ端から蹴散らした。最後の一人もこれまた盛大に投げ飛ばす。男は放物線を描き、畳の上に落下していく。しかし直後に嵐花ははっとした。
「しまった……っ」
男の真下に三味線が落ちている。この部屋にいた芸妓たちはいつの間にか逃げ出していたが、三味線まで持っていく余裕はなかったのだろう。男と畳に挟まれて、三味線の
「くそっ、俺としたことが!」
替えが効く安物ならいいが、長年使いこまれた愛用品だったら取り返しがつかない。
倒れた男を足裏で転がしてどかせ、三味線の様子を見てみる。やはり棹が真っ二つになっていた。
「駄目だ、こりゃ直らん……」
肩を落とし、頭を抱えた。すると、背後に人の気配を感じた。
振り向くと、博徒があと一人残っていた。
「なんだ、まだいたか」
「やっ、その……っ」
一応、腕まくりはしているものの、男は完全に戦意を喪失していた。仲間が立て続けにやられ、さすがに勝てないと察したのだろう。嵐花は恨みがましい目で睨む。
「どうしてくれる? お前たちのせいで芸妓の三味線が壊れてしまったぞ? もしも持ち主が腕のいい弾き手だったら、俺は名演奏で気持ちよく酔う機会を失ったかもしれん。これはお前たちの責任だ」
「いや三味線はあんたが投げ飛ばしたせいなんじゃ……っ」
「うるさい」
腹いせに思いっきり殴り飛ばそうと思った……が、また同じ失敗をしては敵わない。拳を急停止し、男が「ひぃ!?」と仰け反ったところへ、指先であごを弾いた。
脳を揺さぶられ、男はくらりとよろけると、静かに崩れ落ちる。
「よし、今度は何も壊さずに済んだな」
腰に手を当て、嵐花は満足げに頷いた。続いて「さてと……」と辺りを見回す。見れば、最初に倒れた男が床の間で目を覚ましかけていた。
ちょうどいい、と思ってそちらへ赴き、掛け軸を被ったままの頭をぺんぺんと叩く。
「おい、喧嘩は俺の勝ちだ。この店は今日から俺が贔屓にする。お前らは二度と近づくなよ? いいな?」
「……へい、承知しましたあ」
蚊の鳴くような声で返事をし、男は再び気を失った。呑み方はなっていないが、負ければきちんと従う辺り、根は素直な奴らのようだ。
「あれだけの人数をたったお一人で……」
声に振り向くと、倒れたままの平八が呆然としていた。
「
「それはそうだろう。たかが二百年で俺ほどの傑物が世に現れるわけがないからな」
得意になって胸を張る。もっと称えていいぞ、と言おうと思ったが、直後に『あー、違う違う。そうではない』と首を振った。褒められて天狗になっている場合ではないのだ。
平八のそばにいき、膝をついて視線を合わせる。どうにもバツの悪い気分だ。
「あー……すまんな、平八」
「は? ……な、何がでございますか?」
「芸妓の三味線が壊れてしまった」
嵐花は気まずく視線を逸らした。そして早口でまくし立てる。
「俺のせいではないんだが、守り切れなかった責任がないわけではない……と思わんこともない。俺ではなく、あいつらが悪いことは明白なんだが、そのなんだ……大丈夫だろうか? 替えは効くか? なんなら持ち主の芸妓がまた気持ちよく弾けるように、お前の方で便宜を図ってやってはくれないか?」
「い、いえいえ……ご安心下さい」
やや面食らった表情ながら、平八はこちらを落ち着かせようとするように言った。
「折れた物は大した三味線ではございません。店主としてこんなことを言うのは憚られますが、こちらのお客様方はあまり演奏に興味はございませんので、芸妓たちもそうしたお座敷には上等な三味線を持ち込みません。お気になさるようなことはございませんよ」
「そうかあ。ああ、そうか。いやそれは良かった……っ」
ほっとして思わず頬が緩んだ。博徒たちが礼儀知らずだったことが幸いした。
嵐花は胸を撫で下ろし、平八に「ほれ」と手を差し伸べて助け起こす。よく見ると、頬が多少腫れていた。
「痛むか?」
「いえ、ご心配には及びません」
「無理はするな。店に薬はあるのか?」
なんなら治癒の術で治してやってもいい。人間の術者が霊威の術を使うように、怪異も妖威の術を使う。老人の頬を治す程度、訳はない。
「一応、張り薬程度はございますが……」
「ならば俺が治してやった方が早い。術を使えば跡も残らん」
そう言い、手をかざした。鬼火のように燃え盛ることはなく、ほのかな熱と光が集う。痛まぬようにそっと頬に触れてやる。すると、見る見る傷が癒え、腫れが引いていく。
「これは……」
「俺の妖術だ。じっとしていろ。すぐに治してやる。隣の部屋に戻っても、一緒に呑む相手が万全でなくてはせっかくの酒が楽しめんからな」
温かい手のひらに治療され、老年の大旦那は眩しそうに目を細めた。
「不思議な御方ですね、貴方様は……」
「うん?」
「……嵐のように猛々しく、かと思えばまるで春の陽だまりのように温かい。なんとも不思議な御方です」
「はは、詩人だな、平八」
人間から怯えられることも、称えられることも慣れているが、どちらであっても悪い気はしない。嵐花は頬を緩ませて得意げに笑う。
やがて平八の傷が癒えた。
さて戻って飲み直すか、と部屋から出ようとしたところで、嵐花はふと気づく。
「……ん?」
視線は縁側の向こうの日本庭園へ。隣の『霜月の間』にいた時は気づかなかったが、池の奥に松の木が一本立っていた。そこからかすかな気配を感じる。
「なるほど、あれだな」
探し物が見つかった。我が意を得たり、と口元が緩む。やはり幸運は眠っていた。当然のことだ。この店は威脈の流れの上にある。美味い酒を出す店が潰れることなどあっていいはずがない。
「喜べ、平八」
嵐花は意気揚々と部屋を横切り、備え付けの草鞋を履いて縁側から庭に出る。
「この店は俺が救ってやる」
「は……?」
呆気に取られた様子で平八も縁側に出てくる。その間に嵐花は池の横を通り、松の木の前にたどり着いていた。なかなかに立派な幹をしている。百年とは言わずとも、それに近い年月、この店を見守ってきたのだろう。
「平八、お前の先代は幕府の味方をして割りを食ったんだったな?」
「……はい。佐幕派の方々に
松の木を見上げたまま、嵐花は問う。
「俺にはここ最近の歴史はよくわからんが、そんな先代をお前はどう思っている?」
「どう、と申されましても……」
口ごもるように言い淀み、数秒の間を置いて、平八はか細く答えた。
「……私共は商売人でございます。
「恨めしく思っているということか?」
「……」
平八は答えない。老年になるまで店を守ってきた身だ。今さら泣き言や恨み言を口にするのを良しとしないのだろう。実に天晴だと思いながら、嵐花は肩越しに振り向く。
「しかし平八、お前の人生はそう悪いものでもないようだぞ?」
「それはどういった意味で……」
目を瞬く平八の顔を見つつ、嵐花は唇をつり上げて手をかざした。手のひらに妖威を込め、鬼火を出す。しかし燃やしたり、爆発させたりするためのものではない。
「目を見開いていろ。今、お前にも見えるようにしてやる」
鬼火を松の木へとかざそうとする。
だが、その時だ。
どこからともなく足音が聞こえてきた。集中すると、その足音が庭園の逆側、店の内廊下から聞こえてくることがわかった。直後、部屋奥の襖が勢いよく開かれた。
「見つけたぞ。老舗の料亭に潜むとは、人間の真似事でもするつもりだったのか?」
現れたのは神刀のサーベルを腰から下げた、美貌の軍人。
――神宮寺彰人だった。
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